山鹿語類 / 士道・辨財用受與之節
師嘗曰。凡施受之道。君臣上下之義。朋友相接之禮。士之所可愼守也。物無輕重大小。其間皆有義。而或與或受。故與施不以道義。則人不喜。士不來。傳曰。使義士。不可以財。爾來之食。乞食之賤。不受之。豈可不愼乎。受之道有其義。則不依物之輕重。受之可也。闕一義去一道。則雖千鍾之祿天下之重。不可受矣。故與則考其物之輕重。詳其制法。而用之。以使書言辭。假令雖一个之微一掬之少。皆志之所寓。義之所存也。彼所受。不感乎。受之之道。送迎辭讓之用。豈可忽乎。不得其道。則與而不感。受而不喜。施與受之間。專可愼也。或曰。士與吝惜而積財。寧施之有餘。
新字:師嘗曰。凡施受之道。君臣上下之義。朋友相接之礼。士之所可慎守也。物無軽重大小。其間皆有義。而或与或受。故与施不以道義。則人不喜。士不来。伝曰。使義士。不可以財。爾来之食。乞食之賤。不受之。豈可不慎乎。受之道有其義。則不依物之軽重。受之可也。闕一義去一道。則雖千鍾之禄天下之重。不可受矣。故与則考其物之軽重。詳其制法。而用之。以使書言辞。仮令雖一个之微一掬之少。皆志之所寓。義之所存也。彼所受。不感乎。受之之道。送迎辞譲之用。豈可忽乎。不得其道。則与而不感。受而不喜。施与受之間。専可慎也。或曰。士与吝惜而積財。寧施之有余。
書き下し
師嘗て曰く、凡そ施受の道は、君臣上下の義、朋友相接するの礼にして、士の慎み守るべき所なり。物は軽重大小と無く、其の間皆義有りて、或は与へ或は受く。故に与施道義を以てせざれば、則ち人喜ばず、士来らず。伝に曰く、義士を使ふには財を以てすべからずと。爾来の食は、乞食の賤しきも之を受けず。豈慎まざるべけんや。之を受くるの道其の義有れば、則ち物の軽重に依らず、之を受けて可なり。一義を闕き一道を去れば、則ち千鍾の禄、天下の重きと雖も、受くべからず。故に与ふれば則ち其の物の軽重を考へ、其の制法を詳にして之を用ひ、書言辞を以てせしむ。仮令一个の微、一掬の少と雖も、皆志の寓する所、義の存する所なり。彼受くる所、感ぜざらんや。之を受くるの道、送迎辞譲の用、豈忽にすべけんや。其の道を得ざれば、則ち与へて感ぜず、受けて喜ばず。施与受の間、専ら慎むべきなり。或ひと曰く、士は吝惜して財を積まんよりは、寧ろ之を施して余り有れと。
現代語訳
師はかつて言われた。およそ施すことと受けることの道は、君臣・上下の義であり、朋友が交わる礼であって、士が慎んで守るべきところである。物は軽い重い大きい小さいにかかわらず、その間にはみな義があって、あるいは与え、あるいは受ける。だから与え施すのに道義によらなければ、人は喜ばず、士は来ない。伝に「義士を使うのに財によってはならない」とある。「おい」と呼びつけて与える食べ物は、乞食のような卑しい者でも受けない。どうして慎まずにいられようか。受ける道に義があれば、物の軽重によらず受けてよい。一つの義を欠き一つの道を外れれば、千鍾の禄、天下の重さであっても受けてはならない。だから与えるときは、その物の軽重を考え、その作法を詳しくして用い、手紙や言葉を添えさせる。たとえ一つの小さな物、一すくいのわずかな物でも、みな志の宿るところ、義の存するところである。相手は受け取って感じないことがあろうか。受ける道、送り迎え辞退し譲る作法を、どうしておろそかにできようか。その道を得なければ、与えても感謝されず、受けても喜ばない。施すことと受けることの間は、もっぱら慎むべきである。ある人は言う。士はけちをして財を積むよりは、むしろ施して余るほうがよい、と。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『五常訓』巻之四・義一子曰く、君子は義以て質と為し、礼以て之を行ひ、孫以て之を出し、信以て之を成す、君子なるかな。云ふ意は君子の事を行ふは、義を以てした地とすべし。義は事を制する本なれば也。万の事を行ふに、まづ義か不義かをかへり見るべし。義にあらずんば、行ふべからず。義に合はば行ふべし。是義を以てしたぢとする也。其上は、礼を以てすべ、よく行ひ、孫を以てへりくだりて、人にたかぶらず、信を以て、始終真実に行ふべし。是君子の行なり。然れども義なければ、其事の主なし。故に礼孫信の三そなはりても、非義なれば見るに足らず。尚書に、以義制事といへるも、此意なり。
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『翁問答』下卷之末偸盗戒を義なりといへるは可なりしかれ共義は天徳の利にして、人間果断の神理天下の故に感通して天下の務をなす本なれば不盗の粗迹一いろをもて高明広大の義なりと云はみかみ山を富士山なりと云にことならず、邪婬戒を礼なりと云に似たり、しかれども礼は天徳の亨にして、人間恭敬樽節の神理天下の故に通じて、上宗廟朝廷より下民間に至まで、人倫の交、冠婚喪祭飲食軍陳等、万事の天理儀則を履をこなふ主宰なれば、不邪婬一色を礼なりと云は、一勺の水を大海なりと云が如し、
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『弁名』義義も亦た先王の立つる所、道の名なり。蓋し先王の礼を立つる、其の教為ること亦た周きかな。然れども礼は一定の体有りて、天下の事は窮まり無し。故に又義を立つ。伝に曰く、「詩書は義の府なり。礼楽は之が則なり」と。礼楽は相須ち、楽は未だ礼を離れて孤行する者有らず。故に曰く、「礼義なる者は人の大端なり」と。礼は以て心を制し、義は以て事を制す。礼は以て常を守り、義は以て変に応ず。此の二者を挙ぐれば、先王の道以て之を尽くすに庶し。故に古は多く礼義を以て対言す。是が為の故なり。
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『五常訓』巻之四・礼賢を尊ぶは義なり。人に大賢あり、小賢あり、才能ある人あり、旧識恩徳ある人あり。其内に、大小高下の品あり。是賢を尊ぶの等なり。親類の品に応じてしたしみ、大賢小賢の品によりて敬ふは、是即礼の生ずる所なり。しかれば礼は仁義を行ふに、各其品にしたがひて、程よきをいへり。
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司馬法・仁本天下既に平らぎ、天子大いに愷(がい)し、春は蒐(しゅう)し秋は獮(せん)す。諸侯は春に旅を振い、秋に兵を治む。戦を忘れざる所以なり。古は、奔るを逐うこと百歩を過ぎず、綏(すい)を縦(お)うこと三舎を過ぎず、是を以て其の礼を明らかにす。不能を窮めずして傷病を哀憐す、是を以て其の義を明らかにす。列を成して皷(こ)す、是を以て其の信を明らかにす。
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