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山鹿語類 / 士道・正一日之用

師嘗曰。人壽百歲に至るを以て上壽とす。大丈夫唯以今日一日用可爲極也。一日を積て一月に至り、一月を積て一年に至り、一年を積て十年とす。十年相累て百年たり。一日猶遠し、一時にあり。一時猶長し、一刻にあり。一刻猶あまれり、一分にあり。爰を以て云時は、千万歲のつもりも十一分より出て、一日に究まれり。一分の間をゆるがせにすれば、ついに一日に到。終りには一生の懈怠ともなれり。天地の生々一分の間も止まらず。人間の血氣一分もつかふることなし。如此して其天長地久を得、如此して壽命の永昌をなす。德知の流行如此して聖人たり。大禹の寸陰を惜、孔子の水觀をなし玉ひ、德之流行、速於置郵而傳命とは此心なるべし。

新字:師嘗曰。人寿百歳に至るを以て上寿とす。大丈夫唯以今日一日用可為極也。一日を積て一月に至り、一月を積て一年に至り、一年を積て十年とす。十年相累て百年たり。一日猶遠し、一時にあり。一時猶長し、一刻にあり。一刻猶あまれり、一分にあり。爰を以て云時は、千万歳のつもりも十一分より出て、一日に究まれり。一分の間をゆるがせにすれば、ついに一日に到。終りには一生の懈怠ともなれり。天地の生々一分の間も止まらず。人間の血気一分もつかふることなし。如此して其天長地久を得、如此して寿命の永昌をなす。徳知の流行如此して聖人たり。大禹の寸陰を惜、孔子の水観をなし玉ひ、徳之流行、速於置郵而伝命とは此心なるべし。

書き下し

師嘗曰。人寿百歳に至るを以て上寿とす。大丈夫唯以今日一日用可為極也。一日を積て一月に至り、一月を積て一年に至り、一年を積て十年とす。十年相累て百年たり。一日猶遠し、一時にあり。一時猶長し、一刻にあり。一刻猶あまれり、一分にあり。爰を以て云時は、千万歳のつもりも十一分より出て、一日に究まれり。一分の間をゆるがせにすれば、ついに一日に到。終りには一生の懈怠ともなれり。天地の生々一分の間も止まらず。人間の血気一分もつかふることなし。如此して其天長地久を得、如此して寿命の永昌をなす。徳知の流行如此して聖人たり。大禹の寸陰を惜、孔子の水観をなし玉ひ、徳之流行、速於置郵而伝命とは此心なるべし。

現代語訳

師はかつて言われた。人の寿命は百歳に至るのを上寿とする。大丈夫はただ今日一日の用をもって極みとすべきである。一日を積んで一か月となり、一か月を積んで一年となり、一年を積んで十年となる。十年が重なって百年となる。一日でもまだ遠い、一時(いっとき)にある。一時でもまだ長い、一刻にある。一刻でもまだ余る、一分にある。この点から言えば、千万年の積み重ねも一分から出て、一日に極まる。一分の間をおろそかにすれば、ついには一日に及び、終わりには一生の怠りともなる。天地の生々は一分の間も止まらない。人の血気も一分も滞ることがない。こうして天は長く地は久しく、こうして寿命の長さを得る。徳と知の流れもこのようであって聖人となる。大禹が寸陰を惜しみ、孔子が川の流れを見て感じ入り、「徳の流行は置郵(宿駅の早馬)で命を伝えるよりも速い」というのは、この意味であろう。

解説

本章は「正一日之用」の前半で、百年の寿命も一日の積み重ね、一日も一分の積み重ねだとして、今日一日を極みとせよと説く。天地の生々も人の血気も一瞬も止まらないのだから、一分の怠りが一生の怠りになるという。『晋書』陶侃伝に見える「大禹は寸陰を惜しむ」、『論語』子罕篇の川上の嘆、『孟子』公孫丑上篇の「徳の流行は置郵して命を伝うるより速し」を重ねている。長い目標を立てるより今日の一日を正しく使うことが、結局は大きな成果に至る近道である。

この章句が説くこと

時間一日勤勉志士道寸陰

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