慎思録 / 巻之一
志於道者。須誠敬以守其志。不然則流蕩放荒而忘道。終亦必亡而巳矣。今之學者。大率責人之不善之意思常多。而責己之不善之意思常少。此謂以聖賢律人。以衆人待己。是以爲學者。所以終無益于己也。
新字:志於道者。須誠敬以守其志。不然則流蕩放荒而忘道。終亦必亡而巳矣。今之学者。大率責人之不善之意思常多。而責己之不善之意思常少。此謂以聖賢律人。以衆人待己。是以為学者。所以終無益于己也。
書き下し
道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
現代語訳
道に志す者は、誠と敬によってその志を守らなければなりません。そうでなければ、流されさまよい荒れて道を忘れ、ついには必ず失ってしまいます。今の学ぶ者は、たいてい人の不善を責める気持ちがいつも多く、自分の不善を責める気持ちがいつも少ないのです。これを、聖賢の基準で人を裁き、普通の人の基準で自分を扱う、と言います。これが、学問をする者が結局自分に益がない理由です。
解説
志を守る心構えと、他人に厳しく自分に甘い態度への戒めを述べた条です。「聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待す」は、唐の韓愈が「原毀」で、今の君子は人には聖人を望み、自分は普通の人並みに扱うと批判したことをふまえた言い方です。学問をすると善悪の物差しが鋭くなりますが、それを他人にばかり向けると、自分の成長は止まってしまいます。人の欠点が気になったときこそ、その物差しを自分に当ててみる習慣を持ちたいものです。
この章句が説くこと
志誠敬自省責己韓愈
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