山鹿語類 / 士道・惣論禮用之威儀
大丈夫として禮容を不知、唯剛强を專とせんは、甚鄙劣にしてまことに北方の勇士と可云也。大丈夫は勇武剛操を本とすといへども、禮容を放埓にいたし情欲に從はゞ、文武の器識あるべからず。文武の器識あらずんば、唯伎倆を本とするがゆゑに、彼の眞勇如何してか可得や。すべて禮は人の本にして、人倫の交際器物の制皆禮を不出。禮こゝに違ふときは、節こゝに失す。節あらざれば動靜云爲皆過不及に陷り、天理の宜に不可合。古の聖人禮を重んじて品々の制法をたて、人の惡に陷らざるを戒とす。故に大丈夫の事物における、毋不敬を以て心にあてゝ、一生の品節を禮用に合せ、其究理を具さにせば、初めて威儀の則りにあたるべき也。
新字:大丈夫として礼容を不知、唯剛強を専とせんは、甚鄙劣にしてまことに北方の勇士と可云也。大丈夫は勇武剛操を本とすといへども、礼容を放埓にいたし情欲に従はゞ、文武の器識あるべからず。文武の器識あらずんば、唯伎倆を本とするがゆゑに、彼の真勇如何してか可得や。すべて礼は人の本にして、人倫の交際器物の制皆礼を不出。礼こゝに違ふときは、節こゝに失す。節あらざれば動静云為皆過不及に陥り、天理の宜に不可合。古の聖人礼を重んじて品々の制法をたて、人の悪に陥らざるを戒とす。故に大丈夫の事物における、毋不敬を以て心にあてゝ、一生の品節を礼用に合せ、其究理を具さにせば、初めて威儀の則りにあたるべき也。
書き下し
大丈夫として礼容を不知、唯剛強を専とせんは、甚鄙劣にしてまことに北方の勇士と可云也。大丈夫は勇武剛操を本とすといへども、礼容を放埓にいたし情欲に従はゞ、文武の器識あるべからず。文武の器識あらずんば、唯伎倆を本とするがゆゑに、彼の真勇如何してか可得や。すべて礼は人の本にして、人倫の交際器物の制皆礼を不出。礼こゝに違ふときは、節こゝに失す。節あらざれば動静云為皆過不及に陥り、天理の宜に不可合。古の聖人礼を重んじて品々の制法をたて、人の悪に陥らざるを戒とす。故に大丈夫の事物における、毋不敬を以て心にあてゝ、一生の品節を礼用に合せ、其究理を具さにせば、初めて威儀の則りにあたるべき也。
現代語訳
大丈夫として礼の作法を知らず、ただ剛強ばかりをもっぱらにするのは、ひどく卑しく劣ったことで、まことに「北方の勇士」というべきである。大丈夫は勇武と剛い操を根本とするとはいえ、礼の作法を放埒にし、情欲に従うなら、文武の器量と見識はありえない。文武の器量と見識がなければ、ただ技量を根本とするのだから、かの真の勇をどうして得られようか。すべて礼は人の根本であって、人倫の交わりも器物の制もみな礼の外に出ない。礼がここで違えば、節がここで失われる。節がなければ、動静も言行もみな過不及に陥り、天理の宜しさに合うことができない。古の聖人は礼を重んじて、品々の制法を立て、人が悪に陥らないよう戒めとした。だから大丈夫が事物に対するには、「敬せざることなかれ」を心に当てて、一生の品節を礼の用に合わせ、その理を詳しく究めれば、初めて威儀の手本にかなうのである。
解説
この章句が説くこと
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