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山鹿語類 / 士道・惣論日用之事

師嘗曰。易云、百姓日用而不知。中庸曰、道也者須臾不可離也。可離非道と云へり。人の世に在る、一動一靜皆是を不出。我これを名けて道とす。知らずと云へども、天地我に形ちを與て是に理をそなへ其用をたらしめ、聖人上代に在て其彝倫の制を定め、不得止の則りを立てぬ。聖人爰に不出といへども、世々是により人々自是を守る。ゆゑに日々の用る處、悉く道の存する處也。世遠道次弟におとろへて、人物事變あることは、是道の離るゝゆゑ也。しかれども事變道によらざれば不成。こゝを以て云時は、治亂盛衰の大より一事一物の變動に至るまで、天地の法則をはなるゝことさらになし。君子大丈夫能此心を躰認して、初めて道をかたるべし。

新字:師嘗曰。易云、百姓日用而不知。中庸曰、道也者須臾不可離也。可離非道と云へり。人の世に在る、一動一静皆是を不出。我これを名けて道とす。知らずと云へども、天地我に形ちを与て是に理をそなへ其用をたらしめ、聖人上代に在て其彝倫の制を定め、不得止の則りを立てぬ。聖人爰に不出といへども、世々是により人々自是を守る。ゆゑに日々の用る処、悉く道の存する処也。世遠道次弟におとろへて、人物事変あることは、是道の離るゝゆゑ也。しかれども事変道によらざれば不成。こゝを以て云時は、治乱盛衰の大より一事一物の変動に至るまで、天地の法則をはなるゝことさらになし。君子大丈夫能此心を体認して、初めて道をかたるべし。

書き下し

師嘗曰。易云、百姓日用而不知。中庸曰、道也者須臾不可離也。可離非道と云へり。人の世に在る、一動一静皆是を不出。我これを名けて道とす。知らずと云へども、天地我に形ちを与て是に理をそなへ其用をたらしめ、聖人上代に在て其彝倫の制を定め、不得止の則りを立てぬ。聖人爰に不出といへども、世々是により人々自是を守る。ゆゑに日々の用る処、悉く道の存する処也。世遠道次弟におとろへて、人物事変あることは、是道の離るゝゆゑ也。しかれども事変道によらざれば不成。こゝを以て云時は、治乱盛衰の大より一事一物の変動に至るまで、天地の法則をはなるゝことさらになし。君子大丈夫能此心を体認して、初めて道をかたるべし。

現代語訳

師はかつて言われた。『易経』に「百姓は日々に用いていながら知らない」と言い、『中庸』に「道というものは、しばしの間も離れることができない。離れることができるなら道ではない」と言う。人が世にある限り、一つの動き一つの静けさもみなこれを出ない。私はこれを名づけて道とする。知らないといっても、天地が私に形を与え、それに理を備えてその用を満たさせ、聖人が上代にあってその彝倫(人の常の道)の制を定め、やむをえない則りを立てた。聖人がここに出なくても、世々これにより、人々は自らこれを守る。だから日々に用いるところは、ことごとく道の存するところである。世が遠ざかり道がしだいに衰えて、人や物に事変があるのは、道から離れるからである。しかし事変も道によらなければ成らない。この点から言えば、治乱盛衰の大きなことから一事一物の変動に至るまで、天地の法則を離れることはまったくない。君子・大丈夫はよくこの心を体得して、初めて道を語ることができる。

解説

本章は「惣論日用之事」の前半で、『易経』繋辞伝の「百姓日に用いて知らず」と『中庸』の「道は須臾も離るべからず」を引き、道は日々の一動一静のうちにあると説く。素行は道を高遠な理念ではなく、天地が人に与えた形と理、聖人が定めた人倫の制として捉え、治乱盛衰から一事一物の変動まで天地の法則を離れないとする。日用の中に道を見るこの立場は、素行の古学と士道論の土台である。現代の仕事でも、理念は会議室ではなく日々の小さな動作に現れる。

この章句が説くこと

道日用中庸天地彝倫士道

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