山鹿語類 / 士道・詳器物之用
古は天子諸侯大夫士庶人に至るまで、各玉を身に不離。天子は佩玉とするに至れり。書輯五瑞。既月乃日覲四岳群牧。班瑞于群后と出たり。是は天子より群々の諸侯にそれ〳〵の玉をわかち玉はりて、人々此玉の質の如く德の温潤をまなび、玉の光の如く知の正直を可究のことを示し玉へり。諸侯來朝せんには。拜領の玉をさゝげ、常に不忘不忽、此德行知覺をつくすことを示し奉ること也。然れども世澆季に及に從て、是を列侯に對し玉ふの證玉として彼德知を糾明するのゆゑんを失すること、是寳と云ものを不知ゆゑなり。周禮に以玉作六瑞。以等邦國。王執鎭圭。公執桓圭。侯執信圭。伯執躬圭。子執穀壁。男執蒲壁。以玉作六器。以禮天地四方。云々。又天府掌祖廟之守藏。與其禁令。凡國之玉鎭大寳器藏焉と出たり。中庸に陳其宗器と云、顧命に其宗器を云へる、皆國の玉鎭大寶器にして、先代所傳の玉どもをつゝしみおさめて傳世之寳とし、國家を安鎭するの德を比せり。
新字:古は天子諸侯大夫士庶人に至るまで、各玉を身に不離。天子は佩玉とするに至れり。書輯五瑞。既月乃日覲四岳群牧。班瑞于群后と出たり。是は天子より群々の諸侯にそれ〳〵の玉をわかち玉はりて、人々此玉の質の如く徳の温潤をまなび、玉の光の如く知の正直を可究のことを示し玉へり。諸侯来朝せんには。拝領の玉をさゝげ、常に不忘不忽、此徳行知覚をつくすことを示し奉ること也。然れども世澆季に及に従て、是を列侯に対し玉ふの証玉として彼徳知を糾明するのゆゑんを失すること、是宝と云ものを不知ゆゑなり。周礼に以玉作六瑞。以等邦国。王執鎮圭。公執桓圭。侯執信圭。伯執躬圭。子執穀壁。男執蒲壁。以玉作六器。以礼天地四方。云々。又天府掌祖廟之守蔵。与其禁令。凡国之玉鎮大宝器蔵焉と出たり。中庸に陳其宗器と云、顧命に其宗器を云へる、皆国の玉鎮大宝器にして、先代所伝の玉どもをつゝしみおさめて伝世之宝とし、国家を安鎮するの徳を比せり。
書き下し
古は天子諸侯大夫士庶人に至るまで、各玉を身に不離。天子は佩玉とするに至れり。書輯五瑞。既月乃日覲四岳群牧。班瑞于群后と出たり。是は天子より群々の諸侯にそれ〳〵の玉をわかち玉はりて、人々此玉の質の如く徳の温潤をまなび、玉の光の如く知の正直を可究のことを示し玉へり。諸侯来朝せんには。拝領の玉をさゝげ、常に不忘不忽、此徳行知覚をつくすことを示し奉ること也。然れども世澆季に及に従て、是を列侯に対し玉ふの証玉として彼徳知を糾明するのゆゑんを失すること、是宝と云ものを不知ゆゑなり。周礼に以玉作六瑞。以等邦国。王執鎮圭。公執桓圭。侯執信圭。伯執躬圭。子執穀壁。男執蒲壁。以玉作六器。以礼天地四方。云々。又天府掌祖廟之守蔵。与其禁令。凡国之玉鎮大宝器蔵焉と出たり。中庸に陳其宗器と云、顧命に其宗器を云へる、皆国の玉鎮大宝器にして、先代所伝の玉どもをつゝしみおさめて伝世之宝とし、国家を安鎮するの徳を比せり。
現代語訳
古は天子・諸侯・大夫・士・庶人に至るまで、それぞれ玉を身から離さなかった。天子は玉を帯びるに至った。『書経』に「五つの瑞玉を集め、月が替わると日を選んで四岳と群牧(諸侯の長)に会い、瑞玉を諸侯に分け与えた」とある。これは天子から諸侯それぞれに玉を分け与え、人々がこの玉の質のように徳の温潤を学び、玉の光のように知の正しさを究めるべきことを示されたのである。諸侯が来朝するときには、拝領した玉を捧げ、常に忘れず怠らずこの徳行と知覚を尽くしていることを示し奉ったのである。しかし世が末になるにつれ、これを列侯に対する証の玉として、かの徳と知を問いただすという意味を失ったのは、宝というものを知らないからである。『周礼』に「玉で六瑞を作り、国々の等級を分ける。王は鎮圭を執り、公は桓圭を執り、侯は信圭を執り、伯は躬圭を執り、子は穀璧を執り、男は蒲璧を執る。玉で六器を作り、天地四方を礼する」云々とある。また「天府は祖廟の守りの蔵とその禁令をつかさどる。およそ国の玉鎮・大宝器はここに蔵める」とある。『中庸』に「その宗器を陳ぶ」と言い、『書経』顧命篇にその宗器を言うのは、みな国の玉鎮・大宝器であって、先代から伝わる玉どもを慎んで納め、代々伝える宝とし、国家を安んじ鎮める徳になぞらえたのである。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之三司馬公曰く、正直中和、之を徳と謂ふ。聡察疆毅、之を才と謂ふ、と。先儒此の説を以て当たると為さず。何ぞや。蓋し聡察は是れ知の事なり。疆毅は是れ勇の事なり。是れ亦以て徳と為すべく、才と為すべからず。唯能く聡察を為し、能く彊毅を為す者は、才なり。才は是れ能く其の徳を行ふ者にして、乃ち心の力なり。
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『楽訓』巻之上・総論一旅行して他郷にあそび、名勝の地、山水のうるはしき佳境にのぞめば、良心を感じおこし、鄙吝をあらひすすぐ助となれり。是も亦我が徳をすすめ、知を広むるよすがなるべし。又いひしらぬ異境に行きて、見なれぬ山川のありさまを見て、目をあそばしめ、其里人にあひて、其所の風土をとひ、あるは奥まりたる山ふところに、岩根ふみて尋ねいり、もとより山水の癖ありて、青山夢に入ることしきりなる人は、心をとめて、帰る事をわすれぬ。あるは海べた、山遠き、眼界ひろきながめは、万戸侯の富にもまされり。又其里におひ出でたる名産の異なる品を見て、其味をこころむるも、いと珍しく、心なぐさむわざなり。すべて勝地にあそびて見ききせし事、唯一時の耳目を悦ばしむるのみならず、いく年経ぬれど、其時見聞せしありさま、老の後までをりをりおもひ出でられて、あたかも其時見聞せし思ひをなして、楽むべし。是を以て、世にめでたき事を思出と云ふも、むべなるかな。
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『弁名』義古は未だ義を以て徳の名と為す者有らず。唯だ周礼の六徳に之有り。蓋し大司馬の材を以て之を言ふなり。大司馬は賞罰・黜陟・軍旅・田猟の事を掌る。而して賞罰黜陟は、義に当たるを以て貴しと為す。軍旅田猟は、皆当を急遽の際に取る。故に先王の義に熟し、変に応じて謬らざる者に非ずんば能はざるのみ。然れども是れ士君子の本業にして、凡そ仕ふる者皆然り。故に它書以て徳と為す者有ること莫きなり。義士と曰ひ、義人と曰ふが如きは、皆其の為す所の義に合ふを以て、遂に其の人を賛して言ふなり。皆一事を以て之を言ふ。其の実は以て徳の名と為すに非ざるなり。
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『弁名』聖周礼の六徳に、智と曰ひ、聖と曰ふ。是れ聖人の徳を岐ちて之を二つにし、以て君子の徳と為すなり。蓋し人の性は同じからず。故に其の智、能く政治の道に通ずる者有り、之に命じて智と曰ふ。能く礼楽鬼神の道に通ずる者有り、之に命じて聖と曰ふ。故に其の所謂聖も、亦た聖人の徳の若きに非ず。曰く、唐虞は九官にして乃ち九徳有り、周は六官にして乃ち六徳有り。徳は性を以て殊なり、徳成りて之を官にす。故に虞・周の官制の異なるは、其の徳を立つる所以の同じからざればなり。
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『山鹿語類』士道・明衣服之制次に男女の服制のことあり。女の服王后より士庶人の妻に至るまで尤其制あり。周礼に追師の官あつて、王公の首服を司どり、内司服あつて王后の六服を司。其制詳に周礼に出で、歴代の制法皆文献通考に出せり。其形三才図会にのす。是を以可考。本朝の制衣服令に出で、唐の制に准す。是又徳を表し威儀をしめして、色容の飾とすべからず。二儀実禄曰。爰自黄帝為冠冕。而婦人之首飾無文。至周亦不過副笄而已。漢宮掖承恩者。始賜碧或緋美容冠子。則其物自漢始也。又曰。燧人氏婦人始束髪為髻。至周王后首飾為副編。鄭云。三輔謂之仮髪。又曰。燧人始為髻。女以荆杖及竹為笄。以貫髪。至堯以銅為之。且横貫之。舜雑以象牙玳瑁。郭憲洞冥記曰。漢武帝元鼎元年。有神女。留玉釵与帝。故宮人作玉釵と也。女の髪の飾さま〴〵多く、容色に白粉紅臙をぬること、皆古来三代の制にあらず。燕脂起自紂。以紅藍花汁凝作之。調脂飾女面。産於燕地。故曰燕脂といへり。白土粉水銀粉を用て面に抹すること、猶古の制にあらず。唯色に耽るがゆゑに其かざりを専とするになれり。尤可嘆息也。
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『呻吟語』内篇・問學・知る可からざるを知れば則ち鑿つ君子は其の知る可きを知り、其の知る可からざるを知らず。其の知る可きを知らざれば則ち愚なり、其の知る可からざるを知れば則ち鑿つなり。
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