山鹿語類 / 士道・詳器物之用
丘文莊曰。先儒謂。玉者純陽之精氣。而聖人之至寳也。將禮於天地四方。而無以歸其誠。乃以玉作六器。云々。玉之爲物。自古中國所在有之。觀諸山海經可見矣。在堯舜之世。已用爲圭壁。禹貢之時。楊梁雍三州所貢。已有玉石。在戰國時。卞和所献之玉。出於荊山。漢之時。關中之藍田。幽州之玉田。皆有玉焉。此時西域未通於中國也。今中國未聞有出玉之處。而所用之玉。皆自于闐國來。于闐之玉。有白玄綠三種。皆出於河。亦與古人所謂玉蘊石而山輝者異。是則中國之玉出於石。而必用劚。外夷之玉生於水。而必用撈也。豈古今土地生物有不同歟。抑玉乃玉石之精粹者。其生也有限。而取之也有盡耶。况古人以玉比德。無故不去其身。用以爲器用。雜佩之類。不一而足。是以。制字者。如瓊瑤瑄環之類。踰二百。則玉在古多。而爲用顆可知矣。今世閭閻小民。有不識玉者。何古如彼之多。而今如此之少耶といへり。
新字:丘文荘曰。先儒謂。玉者純陽之精気。而聖人之至宝也。将礼於天地四方。而無以帰其誠。乃以玉作六器。云々。玉之為物。自古中国所在有之。観諸山海経可見矣。在堯舜之世。已用為圭壁。禹貢之時。楊梁雍三州所貢。已有玉石。在戦国時。卞和所献之玉。出於荊山。漢之時。関中之藍田。幽州之玉田。皆有玉焉。此時西域未通於中国也。今中国未聞有出玉之処。而所用之玉。皆自于闐国来。于闐之玉。有白玄緑三種。皆出於河。亦与古人所謂玉蘊石而山輝者異。是則中国之玉出於石。而必用劚。外夷之玉生於水。而必用撈也。豈古今土地生物有不同歟。抑玉乃玉石之精粋者。其生也有限。而取之也有尽耶。況古人以玉比徳。無故不去其身。用以為器用。雑佩之類。不一而足。是以。制字者。如瓊瑤瑄環之類。踰二百。則玉在古多。而為用顆可知矣。今世閭閻小民。有不識玉者。何古如彼之多。而今如此之少耶といへり。
書き下し
丘文荘曰。先儒謂。玉者純陽之精気。而聖人之至宝也。将礼於天地四方。而無以帰其誠。乃以玉作六器。云々。玉之為物。自古中国所在有之。観諸山海経可見矣。在堯舜之世。已用為圭壁。禹貢之時。楊梁雍三州所貢。已有玉石。在戦国時。卞和所献之玉。出於荊山。漢之時。関中之藍田。幽州之玉田。皆有玉焉。此時西域未通於中国也。今中国未聞有出玉之処。而所用之玉。皆自于闐国来。于闐之玉。有白玄緑三種。皆出於河。亦与古人所謂玉蘊石而山輝者異。是則中国之玉出於石。而必用劚。外夷之玉生於水。而必用撈也。豈古今土地生物有不同歟。抑玉乃玉石之精粋者。其生也有限。而取之也有尽耶。況古人以玉比徳。無故不去其身。用以為器用。雑佩之類。不一而足。是以。制字者。如瓊瑤瑄環之類。踰二百。則玉在古多。而為用顆可知矣。今世閭閻小民。有不識玉者。何古如彼之多。而今如此之少耶といへり。
現代語訳
丘文荘(明の丘濬)は言った。「先儒は言う、玉は純陽の精気であって、聖人の至宝である。天地四方を礼しようとしても、その誠を帰する手立てがないので、玉で六器を作った、云々と。玉という物は、古くから中国のあちこちにあった。『山海経』を見れば分かる。堯舜の世にはすでに圭璧として用いられた。『禹貢』の時代には、揚・梁・雍の三州の貢ぎ物にすでに玉石がある。戦国時代には、卞和が献じた玉は荊山から出た。漢の時代には関中の藍田、幽州の玉田にはみな玉があった。この時、西域はまだ中国に通じていなかった。今、中国では玉を産する所があると聞かず、用いる玉はみな于闐国から来る。于闐の玉には白・黒・緑の三種があり、みな河から出る。これも古人のいう『玉が石に包まれていると山が輝く』というのとは異なる。つまり中国の玉は石から出て、必ず掘り出さねばならず、外国の玉は水の中に生じて、必ずすくい取らねばならない。古今で土地の産物が同じでないのだろうか。それとも玉は玉石の精粋で、その生ずるのには限りがあり、取ればいずれ尽きるのだろうか。まして古人は玉を徳になぞらえ、理由なく身から離さず、器物に用い、雑佩(さまざまな佩玉)の類は一つや二つではなかった。だから字を作る者も、瓊・瑤・瑄・環の類(玉偏の字)が二百を超える。とすれば、古は玉が多く、用いることも多かったことが分かる。今の世の町の庶民には玉を知らない者もいる。どうして古はあれほど多く、今はこれほど少ないのか」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五天下の事、上世の法は簡略にして、後世に至りて益詳密なり。学術制度の如き皆然り。此れ古今の気運の漸く開くるなり。自然の時勢、当に此くの如くなるべし。六経の説く所の者の如きは、其の大略なり。後儒世に出づるに至りて、其の説を為すや、漸く潤色を加へて詳細なり。漢魏以下の諸子及び宋の諸大儒の説く所の如き是れなり。然り而して後儒の説は精詳を加ふと雖も、皆是れ六経語孟の中に有る所の道理を、転た論述して漸く細密なる者なり。六経語孟の範囲の外に出づること能はず。然れども上世の聖人の説く所、其の簡略なる者は、差誤有るべからず。後世の諸儒の論ずる所、其の繁詳なる者は、或いは時として疎漏過誤有り。蓋し其の略なる者は、道理簡要にして、該閲する所周偏なり。其の詳なる者は、論説繁衍して、分析する所或いは過誤有るなり。暦学の如き、其の法後世に至りて益精しく、頗る古人の言ひ到らざる処有り。然れども虞書の中の数語暦象を説く者は、其の根源にして、後世の暦を説く者は、此の規模の外に出づること能はず。其の余の法術も亦皆此くの如し。
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論語・衛霊公篇子曰く、由、徳を知る者は鮮なし。
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論語・為政篇子曰く、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る。
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論語・憲問篇南宮适、孔子に問いて曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死を得ざりき。禹・稷は躬ら稼して天下を有てり。」夫子答えず。南宮适出づ。子曰く、「君子なるかな若き人。徳を尚ぶかな若き人。」
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論語・為政篇子曰く、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰其の所に居て衆星之に共(むか)うが如し。
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呂氏春秋・精通③德なる者は、萬民の宰なり。月なる者は、群陰の本なり。月望なれば則ち蚌蛤實ち、群陰盈つ。月晦なれば則ち蚌蛤虚しく、群陰虧く。夫れ月、天に形われて、群陰、淵に化す。聖人、德を己に行いて、四方咸仁に飭し。
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