慎思録 / 巻之三
司馬公曰。正直中和。謂之德。聰察疆毅。謂之才。先儒以此說不爲當。何也。葢聰察是知之事。疆毅是勇之事。是亦可以爲德。不可爲才。唯能爲聰察。能爲彊毅者。才也。才是能行其德者。乃心之力也。
新字:司馬公曰。正直中和。謂之徳。聰察疆毅。謂之才。先儒以此説不為当。何也。葢聰察是知之事。疆毅是勇之事。是亦可以為徳。不可為才。唯能為聰察。能為彊毅者。才也。才是能行其徳者。乃心之力也。
書き下し
司馬公曰く、正直中和、之を徳と謂ふ。聡察疆毅、之を才と謂ふ、と。先儒此の説を以て当たると為さず。何ぞや。蓋し聡察は是れ知の事なり。疆毅は是れ勇の事なり。是れ亦以て徳と為すべく、才と為すべからず。唯能く聡察を為し、能く彊毅を為す者は、才なり。才は是れ能く其の徳を行ふ者にして、乃ち心の力なり。
現代語訳
司馬光は「正直で中和であることを徳といい、聡明で察しがよく、強く毅然としていることを才という」と言いました。先の儒者はこの説を当たっていないとしました。なぜでしょうか。思うに、聡察は知の事であり、彊毅は勇の事です。これらもやはり徳とすべきで、才とすべきではありません。ただ、聡察でありえ、彊毅でありえる力が才なのです。才とは、その徳を実際に行うことのできるもので、つまり心の力です。
解説
司馬光が『資治通鑑』周紀の「臣光曰く」で述べた才徳論を取り上げた一条です。司馬光は、才が徳に勝る者を小人、徳が才に勝る者を君子とし、人材登用の基準としました。益軒は、朱子学の立場から、聡察は知、彊毅は勇という徳目に属すると指摘し、才とはそれらの徳を実際に発揮する心の力だと定義し直します。才を徳から切り離さず、徳を行う力と見るこの考えは、能力と人柄を別物として評価しがちな人事評価に、両者のつながりを考える視点を与えます。
この章句が説くこと
才徳知勇司馬光
関連する章句
-
『慎思録』巻之四用兵の道は、義以て質と為し、術以て之を行ひ、勇以て之を出だし、知以て之を成す。良将なるかな。苟も義以て質と為すに非ざれば、勇智良術有りと雖も、是れ賊兵為るのみ。天地の道は、開闢より以来、万古を歴と雖も、常にして変ぜず。故に古今一般なり。人心には私有り、民俗漸く澆薄なり。時世に随ひて、日日変遷して未だ休まず。故に人道の興廃は古今同じからず。天地の道と相似ざる所以なり。
-
『呻吟語』内篇・問學・知る可からざるを知れば則ち鑿つ君子は其の知る可きを知り、其の知る可からざるを知らず。其の知る可きを知らざれば則ち愚なり、其の知る可からざるを知れば則ち鑿つなり。
-
荀子・賦篇皇天(こうてん)物を隆(くだ)し、以て下民に示し施す、或いは厚く或いは薄く、常に齊均(せいきん)ならず。桀紂(けつちゅう)は以て亂れ、湯武(とうぶ)は以て賢なり。涽涽(こんこん)たり淑淑(しゅくしゅく)たり、皇皇(こうこう)たり穆穆(ぼくぼく)たり。四海に周流(しゅうりゅう)して、曾(すなわ)ち日を崇(お)えず。君子は以て脩め、跖(せき)は以て室を穿(うが)つ。大なること天に參(さん)じ、精微(せいび)にして形無く、義を行いて以て正しく、事業以て成る。以て暴(ぼう)を禁じ窮(きゅう)を足(た)らしむ可く、百姓(ひゃくせい)之を待ちて而(しか)る後に泰寧(たいねい)なり。臣愚にして識らず、願わくは其の名を問わん。曰く、此れ夫(か)の寬平(かんぺい)に安んじて險隘(けんあい)を危(あや)ぶむ者か。脩潔(しゅうけつ)を之れ親しみて、雜汙(ざつお)を之れ狄(しりぞ)くる者か。甚だ深く藏(かく)れて外は敵に勝つ者か。禹舜(うしゅん)に法(のっと)りて能く跡(あと)を弇(おお)う者か。行(こう)の動靜(どうせい)、之を待ちて而(しか)る後に適(かな)う者か。血氣の精(せい)なり、志意の榮(えい)なり、百姓之を待ちて而る後に寧(やす)く、天下之を待ちて而る後に平らかなり、明達純粹(めいたつじゅんすい)にして疵(きず)無し。夫(そ)れ是れを之れ君子の知(ち)と謂う。知なり。
-
論語・八佾篇或るひと禘を問う。子曰く、『知らざるなり。その説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示すが如きか。』と掌を指す。
-
論語・雍也篇樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂う可し。仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲るを後にす、仁と謂う可し。
-
『慎思録』巻之一学を為すの工夫、古人知を以て先と為す者は、蓋し知は以て開導すればなり。先づ之を知るに非ざれば、則ち力行すること能はず。先づ知るとは、当に行ふべきの端緒を知るなり。親に事ふる者の、先づ温凊定省、出づるに必ず告げ反れば必ず面するの法を知るが如き、是れなり。窮め知ること畢はりて而る後に方に之を行ふの謂に非ざるなり。既に其の端緒を知れば、則ち之を行ふこと最も急と為す。此れ乃ち知行並び進むの工夫なり。須らく此くの如くなるべし。蓋し知行の二者は、車の両輪の如く、鳥の両翼の如し。一を闕けば則ち不可なり。故に学は徒らに之を知ることを要せず、必ず力行を要す。二者以て学と為すべくして、行ふを以て重しと為す。若し之を行ふこと能はざれば、則ち徒らに之を知ると雖も、都て用無し。以て学と為すべからず。是を以て学ぶ者は、之を知るを先と為し、之を行ふを重しと為すなり。之を行ふに非ざれば、則ち真に知ること能はず。譬へば道路を行くが如し。其の道路の里程、山川の形勢、記籍有りて詳審なりと雖も、然れども躬親ら経過するに非ざれば、則ち其の真境を諳知すること能はず。故に行ひて後に知る者は、真知なり。