山鹿語類 / 士道・明衣服之制
次に着服之用あり。すべて衣冠より履に至り、佩玉笏に及ぶまで、常に着用することは不得已を本として、聖人其禮節を定め、服用する時は則威儀を正而非禮之動自止。是著用の制也。この間において君子大丈夫心を付る所あらば、服に因て自省に宜しく、服に因て自ら分を安んじ、服によつて視聽容顏の非僻自やむ。聖人の仁心尤可歎也。されば衣冠を着服せんこと、聊も輕踈すべからず。袖のゆきを正し、表紋を合せ齊をそろへ、帶の緩急を節にして、紳をたれ佩をさげ、橫刀をわきばさみ、首を正しく視容貌を正して、而して坐作動靜を節にあたらしむべし。着用不正しては、衣服の宜と云にあらず。たとへ衣服甚正しと云とも、着用すること禮にあたらざれば、君子の本意に非ず。古の服は着用すること不正は、其服ならざるを以て、非僻之情自やましむ。今は其制あたらざれば、着用の法を以て詳にす。故に輕踈の生質には、衣服のゆきたけを長くして、手足妄動をやめしめ、重勤の質には衣服を薄短にして其動靜を節せしむ。是平生所養の法也といへり。
新字:次に着服之用あり。すべて衣冠より履に至り、佩玉笏に及ぶまで、常に着用することは不得已を本として、聖人其礼節を定め、服用する時は則威儀を正而非礼之動自止。是著用の制也。この間において君子大丈夫心を付る所あらば、服に因て自省に宜しく、服に因て自ら分を安んじ、服によつて視聴容顔の非僻自やむ。聖人の仁心尤可嘆也。されば衣冠を着服せんこと、聊も軽疎すべからず。袖のゆきを正し、表紋を合せ斉をそろへ、帯の緩急を節にして、紳をたれ佩をさげ、横刀をわきばさみ、首を正しく視容貌を正して、而して坐作動静を節にあたらしむべし。着用不正しては、衣服の宜と云にあらず。たとへ衣服甚正しと云とも、着用すること礼にあたらざれば、君子の本意に非ず。古の服は着用すること不正は、其服ならざるを以て、非僻之情自やましむ。今は其制あたらざれば、着用の法を以て詳にす。故に軽疎の生質には、衣服のゆきたけを長くして、手足妄動をやめしめ、重勤の質には衣服を薄短にして其動静を節せしむ。是平生所養の法也といへり。
書き下し
次に着服之用あり。すべて衣冠より履に至り、佩玉笏に及ぶまで、常に着用することは不得已を本として、聖人其礼節を定め、服用する時は則威儀を正而非礼之動自止。是著用の制也。この間において君子大丈夫心を付る所あらば、服に因て自省に宜しく、服に因て自ら分を安んじ、服によつて視聴容顔の非僻自やむ。聖人の仁心尤可嘆也。されば衣冠を着服せんこと、聊も軽疎すべからず。袖のゆきを正し、表紋を合せ斉をそろへ、帯の緩急を節にして、紳をたれ佩をさげ、横刀をわきばさみ、首を正しく視容貌を正して、而して坐作動静を節にあたらしむべし。着用不正しては、衣服の宜と云にあらず。たとへ衣服甚正しと云とも、着用すること礼にあたらざれば、君子の本意に非ず。古の服は着用すること不正は、其服ならざるを以て、非僻之情自やましむ。今は其制あたらざれば、着用の法を以て詳にす。故に軽疎の生質には、衣服のゆきたけを長くして、手足妄動をやめしめ、重勤の質には衣服を薄短にして其動静を節せしむ。是平生所養の法也といへり。
現代語訳
次に衣服を着る用い方がある。すべて衣冠から履物に至り、佩玉や笏に及ぶまで、常に身に着けることはやむをえない必要を本として、聖人がその礼節を定め、着るときは威儀が正しくなって非礼な動きがおのずからやむようにした。これが着用の制度である。この点において君子・大丈夫が心をつけるならば、服によって自省するのによく、服によって自ら分に安んじ、服によって見聞きや顔つきのよこしまさがおのずとやむ。聖人の仁の心はまことに感嘆すべきである。だから衣冠を身に着けることは、少しも軽んじおろそかにしてはならない。袖の裄を正し、紋を合わせ裾をそろえ、帯の締め加減をほどよくして、紳を垂らし佩を下げ、横刀を脇にはさみ、首を正しくし視線と容貌を正して、そうして立ち居振る舞いを節度にかなわせるべきである。着方が正しくなければ、衣服がふさわしいとは言えない。たとえ衣服がたいへん正しくても、着方が礼にかなわなければ、君子の本意ではない。古の服は、着方が正しくなければその服にならないので、よこしまな情がおのずとやむようにした。今はその制度がかなっていないので、着方の法によって詳しくする。ゆえに軽はずみな生まれつきの者には衣服の裄や丈を長くして手足のむやみな動きをやめさせ、重々しく鈍い生まれつきの者には衣服を薄く短くしてその動静に節度をつけさせる。これが平生の修養の法であると言われた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公十三年 共王の諡楚子疾む。大夫に告げて曰く、「不穀不德にして、少(わか)くして社稷を主る。生れて十年にして先君を喪ひ、未だ師保の教訓を習ふに及ばずして、多福を應受す。是を以て不德にして、師を鄢に亡ひ、以て社稷を辱め、大夫の憂ひと為ること、其れ弘多なり。若し大夫の靈を以て、首領を保ち、以て地に歿するを獲ば、唯だ是の春秋窀穸(ちゆんせき)の事、先君に禰廟に從ふ所以の者は、請ふ靈若しくは厲と為せ。大夫擇べ」と。對ふる莫し。五たび命ずるに及びて、乃ち許す。秋、楚の共王卒す。子囊、諡を謀る。大夫曰く、「君命有り」と。子囊曰く、「君命ずるに共を以てす。之を若何ぞ毀たん。赫赫たる楚國にして、君之に臨み、蠻夷を撫有し、奄(おほ)ひて南海を征し、以て諸夏に屬す。而して其の過ちを知る。共と謂はざるべけんや。請ふ之に諡して共とせん」と。大夫之に從ふ。吳、楚を侵す。養由基、命に奔る。子庚、師を以て之に繼ぐ。養叔曰く、「吳、我が喪に乘じ、我を師する能はずと謂ふ。必ず我を易(あなど)りて戒めざらん。子、三覆を為りて以て我を待て。我請ふ之を誘はん」と。子庚之に從ふ。庸浦に戰ひ、大いに吳の師を敗り、公子黨を獲たり。君子、吳を以て不弔と為す。詩に曰く、「弔(よ)からざる昊天、亂定まる有る靡し」と。冬、防に城く。事を書するは時なればなり。是に於て將に早く城かんとす。臧武仲、農事の畢るを俟たんことを請ふ。禮なり。
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