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山鹿語類 / 士道・明衣服之制

裁縫の用不正ときは、着用して身に不宜もの也。身に不宜時は、威儀自傾側すべし。故に衣服のたちめを正しくし、其ぬひめをろくに致すべき也。君子大丈夫の身に着する衣服なれば、其形は疎草にしてたとへ破れたらんに近くとも、其制法は聖賢の法服を用ば、着して心自快く、威儀こゝに調りぬべし。况や武士の服其用又常にひとしからずといへども、本を王道に推して末を今日の宜に可從也。聊私の便用を事とすべからず。致堂胡氏曰。君子之復古。非泥於古也。以生人之具。古之聖人因時制宜。各有法象意義。不可以私智更改之也。用步卒而車戰法亡。開阡陌而井地法亡。建郡縣而封建法亡。以月易日而通喪之禮廢。從事鞍馬而轡軾之義絕。參以胡服而冕黻不復用。尙以盃按。而簟席不復施。大低視便利爲安。日趨於苟簡。而聖人所作法象意義。不復可見。有天下者以智力得之。凡所施設。是今而非古。如宣帝所謂漢家自有制度者。豈不可歎之甚哉。以周家紗幞一事論之。此後世巾幘朝冠之所自始也。古者賓祭喪燕戎事冠各有宜。紗幞既行。諸冠由此漸廢。紗而用漆爲兩帶。上結而後垂。唐以來然矣。稽之法象。果何所則。求之意義。果何所據。然而行之數百年。而莫有以爲非也。治天下者。莫大於禮。々莫明於服。々莫重於冠。必欲盡善。其必考古而立制。夫亦何獨冠爲然哉。

新字:裁縫の用不正ときは、着用して身に不宜もの也。身に不宜時は、威儀自傾側すべし。故に衣服のたちめを正しくし、其ぬひめをろくに致すべき也。君子大丈夫の身に着する衣服なれば、其形は疎草にしてたとへ破れたらんに近くとも、其制法は聖賢の法服を用ば、着して心自快く、威儀こゝに調りぬべし。況や武士の服其用又常にひとしからずといへども、本を王道に推して末を今日の宜に可従也。聊私の便用を事とすべからず。致堂胡氏曰。君子之復古。非泥於古也。以生人之具。古之聖人因時制宜。各有法象意義。不可以私智更改之也。用歩卒而車戦法亡。開阡陌而井地法亡。建郡県而封建法亡。以月易日而通喪之礼廃。従事鞍馬而轡軾之義絶。参以胡服而冕黻不復用。尚以盃按。而簟席不復施。大低視便利為安。日趨於苟簡。而聖人所作法象意義。不復可見。有天下者以智力得之。凡所施設。是今而非古。如宣帝所謂漢家自有制度者。豈不可嘆之甚哉。以周家紗幞一事論之。此後世巾幘朝冠之所自始也。古者賓祭喪燕戎事冠各有宜。紗幞既行。諸冠由此漸廃。紗而用漆為両帯。上結而後垂。唐以来然矣。稽之法象。果何所則。求之意義。果何所拠。然而行之数百年。而莫有以為非也。治天下者。莫大於礼。々莫明於服。々莫重於冠。必欲尽善。其必考古而立制。夫亦何独冠為然哉。

書き下し

裁縫の用不正ときは、着用して身に不宜もの也。身に不宜時は、威儀自傾側すべし。故に衣服のたちめを正しくし、其ぬひめをろくに致すべき也。君子大丈夫の身に着する衣服なれば、其形は疎草にしてたとへ破れたらんに近くとも、其制法は聖賢の法服を用ば、着して心自快く、威儀こゝに調りぬべし。況や武士の服其用又常にひとしからずといへども、本を王道に推して末を今日の宜に可従也。聊私の便用を事とすべからず。致堂胡氏曰。君子之復古。非泥於古也。以生人之具。古之聖人因時制宜。各有法象意義。不可以私智更改之也。用歩卒而車戦法亡。開阡陌而井地法亡。建郡県而封建法亡。以月易日而通喪之礼廃。従事鞍馬而轡軾之義絶。参以胡服而冕黻不復用。尚以盃按。而簟席不復施。大低視便利為安。日趨於苟簡。而聖人所作法象意義。不復可見。有天下者以智力得之。凡所施設。是今而非古。如宣帝所謂漢家自有制度者。豈不可嘆之甚哉。以周家紗幞一事論之。此後世巾幘朝冠之所自始也。古者賓祭喪燕戎事冠各有宜。紗幞既行。諸冠由此漸廃。紗而用漆為両帯。上結而後垂。唐以来然矣。稽之法象。果何所則。求之意義。果何所拠。然而行之数百年。而莫有以為非也。治天下者。莫大於礼。々莫明於服。々莫重於冠。必欲尽善。其必考古而立制。夫亦何独冠為然哉。

現代語訳

裁縫の仕方が正しくないときは、着ても身に合わない。身に合わないときは、威儀がおのずから傾くであろう。ゆえに衣服の裁ち目を正しくし、その縫い目をまっすぐにすべきである。君子・大丈夫の身に着ける衣服であるから、その形は粗末で、たとえ破れているのに近くても、その制法に聖賢の法服を用いれば、着て心もおのずから快く、威儀もここに整うであろう。まして武士の服は、その用がまた常のものと同じではないといっても、根本を王道に推し求めて、末を今日のふさわしさに従わせるべきである。少しも私的な便利を事としてはならない。致堂胡氏(胡寅)は言う。「君子が古に返るのは、古に拘泥するのではない。人を生かす道具だからである。古の聖人は時に応じてふさわしさを定め、それぞれに法象と意義がある。私的な知恵で改めてはならない。歩兵を用いて車戦の法が亡び、阡陌(あぜ道)を開いて井田の法が亡び、郡県を建てて封建の法が亡び、月を日に換えて(喪の期間を縮めて)三年の喪の礼が廃れ、鞍馬に従事して車の轡や軾の礼の意義が絶え、胡服を交えて冕や黻がもう用いられず、杯や卓を尊んで竹の敷物がもう敷かれなくなった。おおむね便利を見て安らかとし、日に日に手軽さに走って、聖人が作った法象と意義はもう見ることができない。天下を持つ者は知恵と力でこれを得たので、およそ設けるものは今をよしとして古を否とする。宣帝のいわゆる『漢家にはおのずから制度がある』というようなものは、はなはだ嘆かわしいではないか。周(後周)の家の紗の幞頭(ずきん)の一事で論じよう。これは後世の頭巾や朝冠の始まりである。古は賓客・祭祀・喪・宴・戦の事に、冠はそれぞれふさわしいものがあった。紗の幞頭が行われてからは、もろもろの冠はこれによってしだいに廃れた。紗に漆を用いて二本の帯とし、上で結んで後ろに垂らす。唐以来そうである。これを法象に照らせば、いったい何にのっとっているのか。意義に求めれば、いったい何に拠っているのか。それなのにこれを行うこと数百年、非とする者がいない。天下を治めることは礼より大きなものはなく、礼は服より明らかなものはなく、服は冠より重いものはない。必ず善を尽くそうとするなら、必ず古を考えて制度を立てるべきである。それはまたどうして冠だけがそうであろうか」。

解説

裁縫が正しくなければ身に合わず威儀が傾くとし、粗末でも聖賢の法に従った服なら心も快く威儀が整うと説く。武士の服は用途が特殊でも、本は王道に、末は今日のふさわしさに従えという原則が示される。胡寅の文は、古に返るのは拘泥ではなく、聖人の制度に意義があるからだと述べ、便利を求めて意義を失った例を次々に挙げる。根本の考えは変えずに、運用は時代に合わせるというこの原則は、理念と実務の関係に悩む経営や組織運営にそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

王道時宜礼威儀本末胡寅

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