呻吟語 / 内篇・修身・己が惡を攻むる者
攻己惡者,顧不得攻人之惡。若嘵嘵爾雌黃人,定是自治疏底。
新字:攻己悪者,顧不得攻人之悪。若嘵嘵爾雌黄人,定是自治疏底。
書き下し
己が惡を攻むる者は、人の惡を攻むるに顧るを得ず。若し嘵嘵爾として人を雌黃せば、定めて是れ自ら治むること疏なる底ならん。
現代語訳
自分の悪と戦っている者は、他人の悪を責めている暇がありません。もしやかましく人の是非を言い立てているなら、それは必ず自分の手入れが粗い者です。
解説
他人を批評する時間の出どころを問う一段です。自分と戦っている人には、他人を採点する余裕が無い。だから人を批評してばかりいる人は、自分の手入れをしていないと判定できる、と。批評の中身ではなく、批評している事実そのものを証拠に使うのが鋭いところです。前に出てきた、人を望むこと厚く自ら治むること疏なりという段と、まっすぐつながっています。

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自省批評他責修養時間
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