春秋左氏伝 / 襄公十三年 共王の諡
楚子疾。告大夫曰。不穀不德。少主社稷。生十年而喪先君。未及習師保之教訓。而應受多福。是以不德。而亡師于鄢。以辱社稷。為大夫憂。其弘多矣。若以大夫之靈。獲保首領。以歿於地。唯是春秋窀穸之事。所以從先君於禰廟者。請為靈若厲。大夫擇焉。莫對。及五命。乃許。秋。楚共王卒。子囊謀諡。大夫曰。君有命矣。子囊曰。君命以共。若之何毀之。赫赫楚國。而君臨之。撫有蠻夷。奄征南海。以屬諸夏。而知其過。可不謂共乎。請謚之共。大夫從之。吳侵楚。養由基奔命。子庚以師繼之。養叔曰。吳乘我喪。謂我不能師也。必易我而不戒。子為三覆以待我。我請誘之。子庚從之。戰于庸浦。大敗吳師。獲公子黨。君子以吳為不弔。詩曰。不弔昊天。亂靡有定。冬。城防。書事時也。於是將早城。臧武仲請俟畢農事。禮也。
新字:楚子疾。告大夫曰。不穀不徳。少主社稷。生十年而喪先君。未及習師保之教訓。而応受多福。是以不徳。而亡師于鄢。以辱社稷。為大夫憂。其弘多矣。若以大夫之霊。獲保首領。以歿於地。唯是春秋窀穸之事。所以従先君於祢廟者。請為霊若厲。大夫択焉。莫対。及五命。乃許。秋。楚共王卒。子嚢謀諡。大夫曰。君有命矣。子嚢曰。君命以共。若之何毀之。赫赫楚国。而君臨之。撫有蠻夷。奄征南海。以属諸夏。而知其過。可不謂共乎。請謚之共。大夫従之。呉侵楚。養由基奔命。子庚以師継之。養叔曰。呉乗我喪。謂我不能師也。必易我而不戒。子為三覆以待我。我請誘之。子庚従之。戦于庸浦。大敗呉師。獲公子党。君子以呉為不弔。詩曰。不弔昊天。乱靡有定。冬。城防。書事時也。於是将早城。臧武仲請俟畢農事。礼也。
書き下し
楚子疾む。大夫に告げて曰く、「不穀不德にして、少(わか)くして社稷を主る。生れて十年にして先君を喪ひ、未だ師保の教訓を習ふに及ばずして、多福を應受す。是を以て不德にして、師を鄢に亡ひ、以て社稷を辱め、大夫の憂ひと為ること、其れ弘多なり。若し大夫の靈を以て、首領を保ち、以て地に歿するを獲ば、唯だ是の春秋窀穸(ちゆんせき)の事、先君に禰廟に從ふ所以の者は、請ふ靈若しくは厲と為せ。大夫擇べ」と。對ふる莫し。五たび命ずるに及びて、乃ち許す。秋、楚の共王卒す。子囊、諡を謀る。大夫曰く、「君命有り」と。子囊曰く、「君命ずるに共を以てす。之を若何ぞ毀たん。赫赫たる楚國にして、君之に臨み、蠻夷を撫有し、奄(おほ)ひて南海を征し、以て諸夏に屬す。而して其の過ちを知る。共と謂はざるべけんや。請ふ之に諡して共とせん」と。大夫之に從ふ。吳、楚を侵す。養由基、命に奔る。子庚、師を以て之に繼ぐ。養叔曰く、「吳、我が喪に乘じ、我を師する能はずと謂ふ。必ず我を易(あなど)りて戒めざらん。子、三覆を為りて以て我を待て。我請ふ之を誘はん」と。子庚之に從ふ。庸浦に戰ひ、大いに吳の師を敗り、公子黨を獲たり。君子、吳を以て不弔と為す。詩に曰く、「弔(よ)からざる昊天、亂定まる有る靡し」と。冬、防に城く。事を書するは時なればなり。是に於て將に早く城かんとす。臧武仲、農事の畢るを俟たんことを請ふ。禮なり。
現代語訳
楚の共王が病気になった。共王は大夫たちに告げて言った。「私は徳がなく、若くして国家を主宰することになった。生まれて十年で先君(荘王)を失い、守り役の教えを学び終えないうちに、多くの福を受ける身となった。そのため徳が足りず、鄢陵の戦いで軍を失い、国家を辱め、大夫たちに大きな心配をかけてきた。もし大夫たちの霊威のおかげで、首と体がつながったまま天寿を全うして土に帰ることができたなら、春秋の祭祀や墓所のこと、先君に従って父の廟に祀られることについては、どうか私の諡を『霊』か『厲』(いずれも悪い諡)にしてほしい。大夫たちで選んでくれ」。誰も答えなかった。五度命じられて、ようやく承諾した。秋、楚の共王が亡くなった。子囊は諡について相談した。大夫たちは言った。「君のご命令があります」。子囊は言った。「君は『共』(恭しい)という名にふさわしくご命令なさったのだ。どうしてそれを損なえようか。輝かしい楚の国に君は君臨され、蛮夷を慰撫して領有し、南海までをあまねく征し、そのうえで中原の諸国に連なった。しかもご自身の過ちを知っておられた。『共』と言わないでいられようか。どうか『共』と諡させてほしい」。大夫たちはこれに従った。呉が楚に侵攻した。養由基は命を受けて急行し、子庚は軍を率いてその後に続いた。養叔(養由基)は言った。「呉は我が国の喪に乗じて、我々は軍を出せまいと思っている。必ず我々を侮って警戒していないだろう。あなたは三か所に伏兵を置いて私を待っていてほしい。私が呉軍を誘い出そう」。子庚はこれに従った。庸浦で戦い、呉軍を大いに破って、公子党を捕らえた。君子は呉のやり方を不善とみなした。『詩経』に「善からぬ天よ、乱の定まることなし」とある。冬、魯は防に城を築いた。『春秋』がこれを記しているのは、時節にかなっていたからである。このとき早めに築城しようとしたが、臧武仲が農事の終わるのを待つよう願った。礼にかなっている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・康誥今惟れ民静かならず、未だ厥の心を戾(さだ)めず、迪くこと屢々なれども未だ同じからず。爽(あき)らかに惟れ天其れ我を罰殛するも、我其れ怨みず。惟れ厥の罪大に在る無く、亦多きに在る無し、矧んや曰く其れ尚ほ顕らかに天に聞こゆるをや。」王曰く、「嗚呼(ああ)、封よ、敬めや。怨みを作すこと無く、非謀非彝を用ひて時の忱を蔽ふこと勿かれ。丕いに則ち徳に敏(つと)め、用て乃の心を康んじ、乃の徳を顧み、乃の猷を遠くし、裕かにして乃ち以て民寧からば、汝を瑕殄(かてん)せず。」王曰く、「嗚呼(ああ)、肆(つと)めよ汝小子封。
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『春秋左氏伝』文公元年 秦伯、孟明を責めず殽の役、晉人既に秦の師を歸す。秦の大夫及び左右皆秦伯に言ひて曰く、「是の敗や、孟明の罪なり。必ず之を殺せ」と。秦伯曰く、「是れ孤の罪なり。周の芮良夫の詩に曰く、『大風隧(みち)有り、貪人類を敗る。聽言には則ち對へ、誦言には醉へるが如し。其の良を用ゐず、覆つて我をして悖らしむ』と。是れ貪の故なり、孤の謂なり。孤實に貪りて以って夫子に禍す。夫子何の罪かあらん」と。復た政を為さしむ。
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論語・公冶長篇子曰く、已んぬるかな。吾未だ能く其の過を見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり。
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『囲炉夜話』第九十三則・此に於て己に求むるの理を悟るべし食を進むるに箸を需ふ、而して箸も亦た只だ其の操縱の使ふ所に隨ふ、此に於て人を用ふるの方を悟るべし。 書を作るに筆を需ふ、而して筆は其の字畫の工を必すること能はず、此に於て己に求むるの理を悟るべし。
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孟子・公孫丑章句下孟子平陸に之き、其の大夫に謂ひて曰く、「子の持戟の士、一日にして三たび伍を失はば、則ち之を去らんや否や。」曰く、「三を待たず。」「然らば則ち子の伍を失ふや亦た多し。凶年饑歳には、子の民、老羸は溝壑に転じ、壮者は散じて之き
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『春秋左氏伝』僖公十五年 亀は象、筮は数初め、晉の獻公伯姬を秦に嫁せんことを筮し、歸妹の睽に遇ふ。史蘇之を占ひて曰く、「不吉なり。其の繇に曰く、『士羊を刲くも、亦た衁無きなり。女筐を承くるも、亦た貺無きなり。西鄰言を責む、償ふべからざるなり。歸妹の睽、猶ほ相無きがごときなり』と。震の離、亦た離の震なり。『雷と為り火と為り、嬴と為りて姬を敗る。車其の輹を說き、火其の旗を焚く、師を行るに利あらず、宗丘に敗る。歸妹睽孤、寇之が弧を張る。姪其れ姑に從ひ、六年にして其れ逋れ、逃れて其の國に歸り、而して其の家を棄つ。明年、其れ高梁の虛に死せん』と」。惠公秦に在るに及び、曰く、「先君若し史蘇の占に從はば、吾此に及ばざりしならん」と。韓簡侍して曰く、「龜は、象なり。筮は、數なり。物生じて而る後に象有り、象ありて而る後に滋有り、滋ありて而る後に數有り。先君の敗德、數ふるに及ぶべけんや。史蘇是れ占ふとも、從はざるも何の益かあらん。《詩》に曰く、『下民の孽は、天より降るに匪ず。僔沓背憎、職ら競ふは人に由る』と」。夷伯の廟に震す、之を罪するなり、是に於いて展氏に隱慝有り。冬、宋人曹を伐つ、舊怨を討つなり。楚徐を婁林に敗る、徐救ひを恃めばなり。
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