山鹿語類 / 士道・明衣服之制
次に衣服色采制法のことあり。古來は皆布を用て其制とす。其後綿帛のあたゝかなるあつてこゝにたれり。而して貴賤皆或は表文をゑがき、或はぬいものして、是を以て品をわかちて差別せしむ。其後色を染分け、そめものゝことを詳にす。唐に至て初めて士人皆織ものゝ巧なるを以て上服とす。是貴女功之始也といへり。然れば衣服皆布帛を以て本とし、衣之背或はゑがき或はぬいものして、其家々をわかち其貴賤を定めて事たれり。凡そ表文を出すには、前後の付所付樣各以て可詳。不然時は是を着して威儀不正、自身の傾側をたゞすこと不叶もの也。故に前に付ては自見て威儀をたゞし、後に付ては人にみせて其威儀を改ためしめ、向ときは君父にその姓名をしらしめ、後よりはあとに來る人に其姓名をしらしめんためなれば、自の威儀を正し、人の非禮をうけず、相互に表文して合符とす。是更にかざりに非る也。天子諸侯より士庶人まで、各如此ときは、其衣服を見て其官位を知、表文を見て其德行姓氏をしり、其出しやうを見て嫡庶を辨じ、非僻之行をはかる。聖人の制尤ゆゑありと可知也。
新字:次に衣服色采制法のことあり。古来は皆布を用て其制とす。其後綿帛のあたゝかなるあつてこゝにたれり。而して貴賤皆或は表文をゑがき、或はぬいものして、是を以て品をわかちて差別せしむ。其後色を染分け、そめものゝことを詳にす。唐に至て初めて士人皆織ものゝ巧なるを以て上服とす。是貴女功之始也といへり。然れば衣服皆布帛を以て本とし、衣之背或はゑがき或はぬいものして、其家々をわかち其貴賤を定めて事たれり。凡そ表文を出すには、前後の付所付様各以て可詳。不然時は是を着して威儀不正、自身の傾側をたゞすこと不叶もの也。故に前に付ては自見て威儀をたゞし、後に付ては人にみせて其威儀を改ためしめ、向ときは君父にその姓名をしらしめ、後よりはあとに来る人に其姓名をしらしめんためなれば、自の威儀を正し、人の非礼をうけず、相互に表文して合符とす。是更にかざりに非る也。天子諸侯より士庶人まで、各如此ときは、其衣服を見て其官位を知、表文を見て其徳行姓氏をしり、其出しやうを見て嫡庶を弁じ、非僻之行をはかる。聖人の制尤ゆゑありと可知也。
書き下し
次に衣服色采制法のことあり。古来は皆布を用て其制とす。其後綿帛のあたゝかなるあつてこゝにたれり。而して貴賤皆或は表文をゑがき、或はぬいものして、是を以て品をわかちて差別せしむ。其後色を染分け、そめものゝことを詳にす。唐に至て初めて士人皆織ものゝ巧なるを以て上服とす。是貴女功之始也といへり。然れば衣服皆布帛を以て本とし、衣之背或はゑがき或はぬいものして、其家々をわかち其貴賤を定めて事たれり。凡そ表文を出すには、前後の付所付様各以て可詳。不然時は是を着して威儀不正、自身の傾側をたゞすこと不叶もの也。故に前に付ては自見て威儀をたゞし、後に付ては人にみせて其威儀を改ためしめ、向ときは君父にその姓名をしらしめ、後よりはあとに来る人に其姓名をしらしめんためなれば、自の威儀を正し、人の非礼をうけず、相互に表文して合符とす。是更にかざりに非る也。天子諸侯より士庶人まで、各如此ときは、其衣服を見て其官位を知、表文を見て其徳行姓氏をしり、其出しやうを見て嫡庶を弁じ、非僻之行をはかる。聖人の制尤ゆゑありと可知也。
現代語訳
次に衣服の色や文様の制法のことがある。古来はみな布を用いて衣服を作った。その後、綿や絹の暖かいものができて、それで足りるようになった。そして貴賤ともに、あるいは表に文様を描き、あるいは刺繍をして、これによって等級を分けて区別させた。その後、色を染め分け、染め物のことを詳しくした。唐に至って初めて士人がみな織物の巧みなものを上等の服とした。「これが女の手仕事を貴ぶことの始まりである」という。そうであれば、衣服はみな布帛を本とし、衣の背に描いたり刺繍したりして、それぞれの家を分け、その貴賤を定めれば事足りたのである。およそ表に紋を出すには、前後の付け所と付け方をそれぞれ詳しくすべきである。そうでないと、これを着ても威儀が正しくならず、自分の身の傾きを正すことができない。ゆえに前につけるのは自分で見て威儀を正すためであり、後ろにつけるのは人に見せてその威儀を改めさせるためであり、向き合うときは君父に自分の姓名を知らせ、後ろからは後に来る人に姓名を知らせるためであるから、自らの威儀を正し、人から非礼を受けず、互いに紋を示して割符とするのである。これは決して飾りではない。天子・諸侯から士・庶人まで、それぞれこのようであれば、その衣服を見てその官位を知り、紋を見てその徳行や姓氏を知り、その出し方を見て嫡子か庶子かを見分け、よこしまな行いをはかることができる。聖人の制度にはまことに理由があると知るべきである。
解説
この章句が説くこと
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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