春秋左氏伝 / 哀公十五年 子路、纓を結びて死す
閏月。良夫與大子入。舍於孔氏之外圃。昏。二人蒙衣而乘。寺人羅御。如孔氏。孔氏之老欒寧問之。稱姻妾以告。遂入。適伯姬氏。既食。孔伯姬杖戈而先。大子與五人介。輿豭從之。迫孔悝於廁強盟之。遂劫以登臺。欒寧將飲酒。炙未熟。聞亂。使告季子。召獲駕乘車。行爵食炙。奉衛侯輒來奔。季子將入。遇子羔將出。曰。門已閉矣。季子曰。吾姑至焉。子羔曰。弗及。不踐其難。季子曰。食焉。不辟其難。子羔遂出。子路入。及門。公孫敢門焉。曰。無入為也。季子曰。是公孫也。求利焉而逃其難。由。不然。利其祿。必救其患。有使者出。乃入。曰大子焉用孔悝。雖殺之。必或繼之。且曰。大子無勇。若燔臺半。必舍孔叔。大子聞之懼。下石乞。盂黶敵子路。以戈擊之。斷纓。子路曰。君子死。冠不免。結纓而死。孔子聞衛亂。曰。柴也。其來由也死矣。孔悝立莊公。莊公害故政。欲盡去之。先謂司徒瞞成曰。寡人離病於外久矣。子請亦嘗之。歸告褚師比。欲與之伐公。不果。
新字:閏月。良夫与大子入。舎於孔氏之外圃。昏。二人蒙衣而乗。寺人羅御。如孔氏。孔氏之老欒寧問之。称姻妾以告。遂入。適伯姫氏。既食。孔伯姫杖戈而先。大子与五人介。輿豭従之。迫孔悝於廁強盟之。遂劫以登台。欒寧将飲酒。炙未熟。聞乱。使告季子。召獲駕乗車。行爵食炙。奉衛侯輒来奔。季子将入。遇子羔将出。曰。門已閉矣。季子曰。吾姑至焉。子羔曰。弗及。不践其難。季子曰。食焉。不辟其難。子羔遂出。子路入。及門。公孫敢門焉。曰。無入為也。季子曰。是公孫也。求利焉而逃其難。由。不然。利其禄。必救其患。有使者出。乃入。曰大子焉用孔悝。雖殺之。必或継之。且曰。大子無勇。若燔台半。必舎孔叔。大子聞之懼。下石乞。盂黶敵子路。以戈撃之。断纓。子路曰。君子死。冠不免。結纓而死。孔子聞衛乱。曰。柴也。其来由也死矣。孔悝立荘公。荘公害故政。欲尽去之。先謂司徒瞞成曰。寡人離病於外久矣。子請亦嘗之。帰告褚師比。欲与之伐公。不果。
書き下し
閏月、良夫、大子と入り、孔氏の外圃に舍る。昏に、二人、衣を蒙りて乘り、寺人羅、御す。孔氏に如く。孔氏の老欒寧、之を問ふ。姻妾と稱して以て告ぐ。遂に入り、伯姬氏に適く。既に食す。孔伯姬、戈を杖きて先んじ、大子と五人と介し、豭を輿きて之に從ふ。孔悝を廁に迫りて強ひて之と盟ひ、遂に劫かして以て臺に登る。欒寧、將に酒を飲まんとす。炙未だ熟せず。亂を聞き、季子に告げしむ。獲を召して乘車に駕せしめ、爵を行ひ炙を食ひ、衛侯輒を奉じて來奔す。季子、將に入らんとし、子羔の將に出でんとするに遇ふ。曰く、「門已に閉ぢたり」と。季子曰く、「吾姑く焉に至らん」と。子羔曰く、「及ばず。其の難を踐むこと勿かれ」と。季子曰く、「焉に食めり。其の難を辟けず」と。子羔遂に出づ。子路入る。門に及ぶ。公孫敢、焉に門して曰く、「入りて為す無きなり」と。季子曰く、「是れ公孫なり。利を焉に求めて其の難を逃る。由は然らず。其の祿を利とせば、必ず其の患を救はん」と。使者の出づる有り。乃ち入りて曰く、「大子焉んぞ孔悝を用ゐん。之を殺すと雖も、必ず或いは之を繼がん」と。且つ曰く、「大子は勇無し。若し臺を燔くこと半ばならば、必ず孔叔を舍かん」と。大子之を聞きて懼れ、石乞・盂黶を下して子路に敵せしむ。戈を以て之を擊ち、纓を斷つ。子路曰く、「君子は死すとも、冠は免がず」と。纓を結びて死す。孔子、衛の亂を聞きて曰く、「柴や其れ來らん。由や死せん」と。孔悝、莊公を立つ。莊公、故政を害とし、盡く之を去らんと欲す。先づ司徒瞞成に謂ひて曰く、「寡人、病に外に離ること久し。子請ふ亦た之を嘗めよ」と。歸りて褚師比に告げ、之と公を伐たんと欲す。果さず。
現代語訳
閏月、渾良夫は太子(蒯聵(かいかい)、衛の出公輒の父)とともに衛の都に入り、孔氏の屋敷の外の菜園に泊まった。日暮れに二人は婦人の衣をかぶって車に乗り、宦官の羅が御者となって孔氏の屋敷へ向かった。孔氏の家宰の欒寧が誰何すると、縁戚の家の侍女だと名乗って通り、そのまま入って伯姫(蒯聵の姉で孔悝の母)の部屋に行った。食事を終えると、孔伯姫が戈を手にして先に立ち、太子と五人の者が鎧をつけ、盟約の犠牲にする雄豚を車に載せて後に続いた。彼らは孔悝(こうかい、衛の執政)を厠に追いつめて無理に盟約させ、そのまま脅して高台に登らせた。欒寧はちょうど酒を飲もうとしていたところで、焼き肉がまだ焼けないうちに乱が起こったと聞き、季子(子路、孔子の弟子で孔氏の邑宰)に知らせを送った。そして召獲に兵車の支度をさせ、杯を回し焼き肉を食べ終えてから、衛侯輒(出公)を奉じて魯に亡命してきた。季子が都に入ろうとしたとき、出てこようとする子羔(高柴、同じく孔子の弟子)に出会った。子羔は「城門はもう閉ざされた」と言った。季子は「ともかく行ってみる」と言った。子羔は「もう間に合わない。その災難に身を投じるな」と言った。季子は「その家の禄を食んできたのだ。その災難を避けはしない」と言った。子羔はそのまま出て行った。子路は中に入り、孔氏の門まで来た。公孫敢が門を守っていて「入っても何もできはしない」と言った。季子は「おまえは公孫だな。ここで利を求めておきながら、その災難からは逃げる。この由(子路の名)は違う。その禄を利として受けた以上、必ずその憂いを救うのだ」と言った。ちょうど使者が出てきたので、その隙に入って言った。「太子が孔悝を使って何になるのか。たとえ孔悝を殺しても、必ずその後を継ぐ者がいるぞ」。さらに言った。「太子には勇気がない。もし台を半分まで焼けば、必ず孔叔(孔悝)を放すだろう」。太子はこれを聞いて恐れ、石乞と盂黶(うえん)を台から下ろして子路に立ち向かわせた。二人は戈で子路を打ち、冠の紐を断ち切った。子路は「君子は死んでも冠は脱がないものだ」と言い、紐を結び直して死んだ。孔子は衛の乱を聞いて言った。「柴(子羔)は帰って来るだろう。由は死ぬだろう」。孔悝は荘公(蒯聵)を君に立てた。荘公は旧政権の臣たちを害と見て、すべて除こうとした。まず司徒の瞞成に「私は長く国外で苦しみに遭ってきた。あなたにもそれを味わってもらいたい」と言った。瞞成は帰って褚師比に告げ、ともに公を討とうとしたが、果たさなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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史記 衛康叔世家子路曰く、「焉を食みて其の難を辟けず」と。子羔遂に出づ。子路入り、門に及ぶ。公孫敢門を闔ぢて曰く、「入りて為すこと毋かれ」と。子路曰く、「是れ公孫か。利を求めて其の難を逃る。由は然らず。其の禄を利とせば、必ず其の患を救はん」と。使者の出づる有り、子路乃ち入るを得たり。曰く、「太子焉んぞ孔悝を用ゐん。之を殺すと雖も、必ず或いは之を継がん」と。且つ曰く、「太子勇無し。若し台を燔かば、必ず孔叔を舎(ゆる)さん」と。太子之を聞きて懼れ、石乞・盂黶を下して子路に敵せしむ。戈を以て之を撃ち、纓を割く。子路曰く、「君子は死すとも、冠は免がず」と。纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて曰く、「嗟乎、柴や其れ来たらんか。由や其れ死せん」と。孔悝竟に太子蒯聵を立つ。是を荘公と為す。荘公蒯聵は、出公の父なり。外に居り、大夫の迎へ立つる莫きを怨む。元年即位し、尽く大臣を誅せんと欲して曰く、「寡人外に居ること久し。子も亦た嘗て之を聞けるか」と。群臣乱を作さんと欲す。乃ち止む。二年、魯の孔丘卒す。三年、荘公城に上り、戎州を見る。曰く、「戎虜何為れぞ是ある」と。戎州之を病む。十月、戎州趙簡子に告げ、簡子衛を囲む。十一月、荘公出奔す。衛人公子斑師を立てて衛君と為す。斉衛を伐ち、斑師を虜にし、更に公子起を立てて衛君と為す。衛君起の元年、衛の石曼尃其の君起を逐ひ、起斉に奔る。衛の出公輒斉より復た帰りて立つ。初め、出公立ちて十二年にして亡げ、亡げて外に在ること四年にして復た入る。出公の後の元年、従亡の者を賞す。立ちて二十一年にして卒す。出公の季父黔出公の子を攻めて自立す。是を悼公と為す。悼公五年にして卒し、子の敬公弗立つ。敬公十九年にして卒し、子の昭公糾立つ。是の時三晋彊く、衛は小侯の如く、之に属す。昭公の六年、公子亹之を弑して代はり立つ。是を懐公と為す。懐公の十一年、公子穨懐公を弑して代はり立つ。是を慎公と為す。
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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『春秋左氏伝』成公二年 逢丑父、君と位を易う其の右を射る、車中に斃る。綦毋張車を喪ひ、韓厥に從ひて曰く、「請ふ寓乘せん」と。左右に從ふ、皆之を肘し、後に立たしむ。韓厥俛して其の右を定む。逢丑父公と位を易ふ。將に華泉に及ばんとし、驂木に絓りて止まる。丑父轏中に寢ね、蛇其の下より出づ、肱を以て之を擊ち、傷つきて之を匿す、故に車を推して及ばるること能はず。韓厥縶を執りて馬前にし、再拜稽首し、觴を奉じ璧を加へて以て進めて、曰く、「寡君群臣をして魯・衛の為に請はしめて、曰く、『輿師をして、君の地に陷入せしむること無かれ』と。下臣不幸にして、屬戎行に當り、逃隱する所無し。且つ奔辟して、兩君を忝めんことを懼る。臣戎士を辱む、敢へて不敏を告ぐ。官を攝りて乏を承けん」と。丑父公をして下りて華泉に如き飲を取らしむ。鄭周父佐車に御し、宛茷右と為り、齊侯を載せて以て免る。韓厥丑父を獻ず、郤獻子將に之を戮せんとす。呼びて曰く、「今より其の君に代りて患に任ずる者有ること無からん。此に一有り、將に戮せられんとするか」と。
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『春秋左氏伝』成公二年 丑父を赦す郤子曰く、「人死を以て其の君を免るることを難しとせず。我之を戮するは不祥なり。之を赦して以て君に事ふる者を勸めん」と。乃ち之を免す。齊侯免れ、丑父を求めて、三たび入り三たび出づ。出づる每に齊の師以て帥ゐて退く。狄の卒に入る、狄の卒皆戈楯を抽きて之を冒ひ、以て衛の師に入る、衛の師之を免す。遂に徐關より入る。齊侯保者を見て曰く、「之を勉めよ、齊の師敗れたり」と。女子を辟けしむ。女子曰く、「君免れたるか」と。曰く、「免れたり」と。曰く、「銳司徒免れたるか」と。曰く、「免れたり」と。曰く、「苟くも君と吾が父と免れたらば、若何すべき」と。乃ち奔る。齊侯以て禮有りと為す。既にして之を問へば、辟司徒の妻なり。之に石窌を予ふ。晉の師齊の師に從ひ、丘輿より入り、馬陘を擊つ。齊侯賓媚人をして、賂ふに紀の甗・玉磬と地とを以てせしめ、「不可ならば、則ち客の為す所を聽け」とす。賓媚人賂を致す。晉人可かずして、曰く、「必ず蕭同叔子を以て質と為し、而して齊の封內をして、盡く其の畝を東にせしめよ」と。對へて曰く、
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『春秋左氏伝』成公十六年 再び国君を辱めず郤至三たび楚子の卒に遇ふ。楚子を見れば必ず下り、冑を免ぎて趨ること風のごとし。楚子工尹襄をして之に問ふに弓を以ってせしめて曰く、「事の殷なるに方りて、韎韋の跗注有る者は、君子なり。不穀を識見して趨る、乃ち傷つくこと無からんや」と。郤至客に見え、冑を免ぎて命を承けて曰く、「君の外臣至、寡君の戎事に從ひ、君の靈を以って、間ま甲冑を蒙る。敢へて命を拜せず。敢へて寧からざるを告ぐ、君命の辱きに。事の為の故に、敢へて使者に肅す」と。三たび使者に肅して退く。晉の韓厥鄭伯に從ふ。其の御杜溷羅曰く、「速かに之に從へ。其の御屢しば顧みて、馬に在らず。及ぶ可きなり」と。韓厥曰く、「以って再び國君を辱しむ可からず」と。乃ち止む。郤至鄭伯に從ふ。其の右茀翰胡曰く、「諜して之を輅へん。余之に從ひて乘り、俘にして以って下らん」と。郤至曰く、「國君を傷つくれば刑有り」と。亦た止む。石首曰く、「衞の懿公唯だ其の旗を去らず、是を以って熒に敗る」と。乃ち旌を弢中に內る。唐苟石首に謂ひて曰く、「子は君の側に在り。敗者は壹に大なり。我子に如かず。子は君を以って免れよ。我請ふ止まらん」と。乃ち死す。
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