茶の本 / 第六章 花・花は王位についた皇子のように
茶の宗匠が花を満足に生けると、彼はそれを日本間の上座にあたる床の間に置く。その効果を妨げるような物はいっさいその近くにはおかない。たとえば一幅の絵でも、その配合に何か特殊の審美的理由がなければならぬ。花はそこに王位についた皇子のようにすわっている、そして客やお弟子たちは、その室に入るやまずこれに丁寧なおじぎをしてから始めて主人に挨拶をする。生花の傑作を写した絵が素人のために出版せられている。この事に関する文献はかなり大部なものである。花が色あせると宗匠はねんごろにそれを川に流し、または丁寧に地中に埋める。その霊を弔って墓碑を建てる事さえもある。
書き下し
茶の宗匠が花を満足に生けると、彼はそれを日本間の上座にあたる床の間に置く。その効果を妨げるような物はいっさいその近くにはおかない。たとえば一幅の絵でも、その配合に何か特殊の審美的理由がなければならぬ。花はそこに王位についた皇子のようにすわっている。そして客やお弟子たちは、その室に入るやまずこれに丁寧なおじぎをしてから、始めて主人に挨拶をする。生花の傑作を写した絵が素人のために出版せられている。この事に関する文献はかなり大部なものである。花が色あせると宗匠はねんごろにそれを川に流し、または丁寧に地中に埋める。その霊を弔って墓碑を建てる事さえもある。
現代語訳
茶の宗匠が花を満足に生けると、彼はそれを日本間の上座にあたる床の間に置きます。その効果を妨げるようなものはいっさい近くに置きません。たとえば一幅の絵でも、その配合に何か特別な美的理由がなければなりません。花はそこに、王位についた皇子のように座っています。そして客や弟子たちは、その部屋に入るとまずこれに丁寧なお辞儀をしてから、初めて主人に挨拶をします。生け花の傑作を写した絵が素人のために出版されています。このことに関する文献はかなり大部なものです。花が色あせると、宗匠は丁重にそれを川に流し、あるいは丁寧に地中に埋めます。その霊を弔って墓碑を建てることさえあります。
解説

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『春秋左氏伝』昭公十六年 孔張、位を失う二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
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