山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
道路は歩行は恒に非常を戒しめ、供奉の行列を糾して、身の備を全くし、徃來の路をあけて、路人に暴惡を不施、道を讓りて不廣行、小徑捷徑を不求、前後の供奉のものを戒め、往來の人を不妨、或は推倒し、或は不避路、商賈の物を狼籍せしむべからず。雨雪曉暮尤遠く候て、速に道をさけしむ。道路泥土にして道あしきときは、我是によつて彼をしてよき所をとほし、暫く待て彼を行しめて我可行。若下人無禮にして路人に事あらんには、主人速に來て謹で禮謝を述べし。不知躰にて通り過ぐべからず。
新字:道路は歩行は恒に非常を戒しめ、供奉の行列を糾して、身の備を全くし、往来の路をあけて、路人に暴悪を不施、道を譲りて不広行、小径捷径を不求、前後の供奉のものを戒め、往来の人を不妨、或は推倒し、或は不避路、商賈の物を狼籍せしむべからず。雨雪暁暮尤遠く候て、速に道をさけしむ。道路泥土にして道あしきときは、我是によつて彼をしてよき所をとほし、暫く待て彼を行しめて我可行。若下人無礼にして路人に事あらんには、主人速に来て謹で礼謝を述べし。不知体にて通り過ぐべからず。
書き下し
道路は歩行は恒に非常を戒しめ、供奉の行列を糾して、身の備を全くし、往来の路をあけて、路人に暴悪を不施、道を譲りて不広行、小径捷径を不求、前後の供奉のものを戒め、往来の人を不妨、或は推倒し、或は不避路、商賈の物を狼籍せしむべからず。雨雪暁暮尤遠く候て、速に道をさけしむ。道路泥土にして道あしきときは、我是によつて彼をしてよき所をとほし、暫く待て彼を行しめて我可行。若下人無礼にして路人に事あらんには、主人速に来て謹で礼謝を述べし。不知体にて通り過ぐべからず。
現代語訳
道路の歩行では、常に非常の事態を警戒し、供の行列を整えて、身の備えを万全にする。往来の道をあけて通行人に乱暴をせず、道を譲って道幅いっぱいに広がって行かず、近道や抜け道を求めず、前後の供の者を戒めて、往来の人を妨げたり、押し倒したり、道をよけなかったり、商人の品物を散らかしたりさせてはならない。雨や雪、明け方や夕暮れには、とりわけ遠くから様子をうかがい、早めに供の者に道をよけさせる。道がぬかるんで悪いときは、自分のほうからこれを機に相手によい所を通らせ、しばらく待って相手を行かせてから自分が行くべきである。もし下人が無礼をして通行人と事を起こしたなら、主人はすぐに来て、謹んでおわびを述べるべきである。知らぬふりをして通り過ぎてはならない。
解説
この章句が説くこと
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