武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・拙者ただ一人の過ち
多紀善三郞は左に介錯を從へ、徐に日本の檢使の方に進みて、兩人共に一揖し、更に外國役人に近いて、同じく拜禮す、其狀更に丁重なるものゝ如し。當方よりも亦た一一恭しく答禮す。終りて善三郎は靜々と威儀あたりを拂ひつゝ、高座に上りて、佛前に平伏すること兩次、了つて佛壇を背後にし、毛氈に端坐し、介錯は其左方に踞る。三人の附添役人の中、一人は軈て、九寸五分の短刀を白紙に包みて、其尖端をのみ露はしたるを三寳に載せて運び出で、一禮ありて善三郞に渡せば、恭しく之を受け雙手にて押し戴きたる後我が前に置く。再び愼重なる叩首の後、多紀善三郞、其音聲は、苦痛の自白をなす人に常なる無量の感情と踟〓との念を洩したれども、顏色態度は、毫も變ずること無くして語り出づるやう、拙者唯だ一人、無分別にも、過つて神戶なる外國人に對して發砲の命令を下し、其の逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。
新字:多紀善三郎は左に介錯を従へ、徐に日本の検使の方に進みて、両人共に一揖し、更に外国役人に近いて、同じく拝礼す、其状更に丁重なるものゝ如し。当方よりも亦た一一恭しく答礼す。終りて善三郎は静々と威儀あたりを払ひつゝ、高座に上りて、仏前に平伏すること両次、了つて仏壇を背後にし、毛氈に端坐し、介錯は其左方に踞る。三人の附添役人の中、一人は軈て、九寸五分の短刀を白紙に包みて、其尖端をのみ露はしたるを三宝に載せて運び出で、一礼ありて善三郎に渡せば、恭しく之を受け双手にて押し戴きたる後我が前に置く。再び慎重なる叩首の後、多紀善三郎、其音声は、苦痛の自白をなす人に常なる無量の感情と踟〓との念を洩したれども、顔色態度は、毫も変ずること無くして語り出づるやう、拙者唯だ一人、無分別にも、過つて神戸なる外国人に対して発砲の命令を下し、其の逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。
書き下し
多紀善三郎は左に介錯を従へ、徐に日本の検使の方に進みて、両人共に一揖し、更に外国役人に近づいて、同じく拝礼す。其状更に丁重なるものの如し。当方よりも亦た一々恭しく答礼す。終りて善三郎は静々と威儀あたりを払ひつつ高座に上りて、仏前に平伏すること両次、了つて仏壇を背後にし、毛氈に端坐し、介錯は其左方に踞る。三人の附添役人の中、一人は軈て九寸五分の短刀を白紙に包みて、其尖端をのみ露はしたるを三宝に載せて運び出で、一礼ありて善三郎に渡せば、恭しく之を受け、双手にて押し戴きたる後、我が前に置く。再び慎重なる叩首の後、多紀善三郎、其音声は、苦痛の自白をなす人に常なる無量の感情と踟(蹰)との念を洩したれども、顔色態度は毫も変ずること無くして語り出づるやう、『拙者唯だ一人、無分別にも過つて神戸なる外国人に対して発砲の命令を下し、其の逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。
現代語訳
多紀善三郎(滝善三郎)は左に介錯人を従え、ゆっくりと日本の検使のほうへ進み出て、二人そろって会釈し、さらに外国の役人に近づいて同じように礼をした。その様子はいっそう丁重なものに見えた。こちらからもまた一人一人うやうやしく礼を返した。それが終わると善三郎は静かに、あたりを払うような威儀を保ちながら高座に上り、仏前に二度ひれ伏し、終わると仏壇を背にして毛氈の上に正座し、介錯人はその左側にうずくまった。三人の付き添いの役人のうち一人が、やがて九寸五分の短刀を白紙に包み、その切っ先だけを出したものを三方に載せて運び出し、一礼して善三郎に渡した。善三郎はうやうやしくこれを受け取り、両手で頭上に押しいただいたのち、自分の前に置いた。もう一度つつしんで頭を下げたのち、多紀善三郎は語り出した。その声には、苦しい告白をする人につきものの、はかり知れない感情とためらいがにじんでいたが、顔色や態度は少しも変わらなかった。「私ただ一人が、分別もなく誤って、神戸にいる外国人に向けて発砲の命令を下し、彼らが逃げようとするのを見て、再び撃ちかけさせたのである。
解説
この章句が説くこと
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