春秋左氏伝 / 昭公十六年 孔張、位を失う
二月。晉韓起聘于鄭。鄭伯享之。子產戒曰。苟有位於朝。無有不共恪。孔張後至。立於客間。執政禦之。適客後。又禦之。適縣間。客從而笑之。事畢。富子諫。曰。夫大國之人。不可不慎也。幾為之笑。而不陵我。我皆有禮。夫猶鄙我。國而無禮。何以求榮。孔張失位。吾子之恥也。子產怒曰。發命之不衷。出令之不信。刑之頗類。獄之放紛。會朝之不敬。使命之不聽。取陵於大國。罷民而無功。罪及而弗知。僑之恥也。孔張。君之昆孫。子孔之後也。執政之嗣也。為嗣大夫。承命以使。周於諸侯。國人所尊。諸侯所知。立於朝而祀於家。有祿於國。有賦於軍。喪祭有職。受脤歸賑。其祭在廟。已有著位。在位數世。世守其業。而忘其所。僑焉得恥之。辟邪之人。而皆及執政。是先王無刑罰也。子寧以他規我。
新字:二月。晋韓起聘于鄭。鄭伯享之。子産戒曰。苟有位於朝。無有不共恪。孔張後至。立於客間。執政禦之。適客後。又禦之。適県間。客従而笑之。事畢。富子諫。曰。夫大国之人。不可不慎也。幾為之笑。而不陵我。我皆有礼。夫猶鄙我。国而無礼。何以求栄。孔張失位。吾子之恥也。子産怒曰。発命之不衷。出令之不信。刑之頗類。獄之放紛。会朝之不敬。使命之不聴。取陵於大国。罷民而無功。罪及而弗知。僑之恥也。孔張。君之昆孫。子孔之後也。執政之嗣也。為嗣大夫。承命以使。周於諸侯。国人所尊。諸侯所知。立於朝而祀於家。有禄於国。有賦於軍。喪祭有職。受脤帰賑。其祭在廟。已有著位。在位数世。世守其業。而忘其所。僑焉得恥之。辟邪之人。而皆及執政。是先王無刑罰也。子寧以他規我。
書き下し
二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
現代語訳
二月、晋の韓起(韓宣子)が鄭に聘問した。鄭伯(定公)は彼をもてなす宴を開いた。子産は前もって戒めて言った。「朝廷に位を持つ者は、誰であれ恭しく慎まない者があってはならない」。ところが孔張は遅れてやって来て、客たちの間に立ってしまった。執政の役人がそれを遮ると、客の後ろへ行った。またそれを遮ると、今度は楽器を掛ける台の間へ行った。客たちはそれを見て笑った。宴が終わると、富子が子産を諫めて言った。「そもそも大国の人に対しては、慎まなければなりません。もう少しで笑いものにされて、われわれを侮るところだったではありませんか。われわれがみな礼を尽くしていても、あの人たちはなおわれわれを見下します。まして国に礼がなければ、どうして栄誉を求められましょう。孔張が自分の位置を失ったのは、あなたの恥です」。子産は怒って言った。「命令を発して公正でなく、法令を出して信がなく、刑罰が偏り、裁判が乱れ、会合や朝見に敬意がなく、使者の命が聞き入れられず、大国に侮られ、民を疲れさせて功がなく、罪が身に及んでも気づかない。それこそが僑(子産自身)の恥である。孔張は君の兄の孫であり、子孔の子孫であり、かつての執政の跡継ぎである。世襲の大夫となり、命を受けて使者となり、諸侯の間を巡った。国人が尊び、諸侯が知っている人物である。朝廷に位を持ち、家では祖先を祀り、国から禄を受け、軍には兵賦を出し、喪や祭祀には役目があり、祭りの肉を受けたり贈ったりしている。その祖先の祭りは宗廟で行われ、すでに定まった席次がある。数代にわたって位にあり、代々その職を守ってきた。それなのに自分の立つ場所を忘れたのだ。僑がどうしてそれを恥じなければならないのか。道にはずれた人間のことまでみな執政の責任にされるのなら、それは先王が刑罰を設けなかったと言うに等しい。あなたはむしろ、ほかのことで私を正してくれ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公十五年 子路、纓を結びて死す閏月、良夫、大子と入り、孔氏の外圃に舍る。昏に、二人、衣を蒙りて乘り、寺人羅、御す。孔氏に如く。孔氏の老欒寧、之を問ふ。姻妾と稱して以て告ぐ。遂に入り、伯姬氏に適く。既に食す。孔伯姬、戈を杖きて先んじ、大子と五人と介し、豭を輿きて之に從ふ。孔悝を廁に迫りて強ひて之と盟ひ、遂に劫かして以て臺に登る。欒寧、將に酒を飲まんとす。炙未だ熟せず。亂を聞き、季子に告げしむ。獲を召して乘車に駕せしめ、爵を行ひ炙を食ひ、衛侯輒を奉じて來奔す。季子、將に入らんとし、子羔の將に出でんとするに遇ふ。曰く、「門已に閉ぢたり」と。季子曰く、「吾姑く焉に至らん」と。子羔曰く、「及ばず。其の難を踐むこと勿かれ」と。季子曰く、「焉に食めり。其の難を辟けず」と。子羔遂に出づ。子路入る。門に及ぶ。公孫敢、焉に門して曰く、「入りて為す無きなり」と。季子曰く、「是れ公孫なり。利を焉に求めて其の難を逃る。由は然らず。其の祿を利とせば、必ず其の患を救はん」と。使者の出づる有り。乃ち入りて曰く、「大子焉んぞ孔悝を用ゐん。之を殺すと雖も、必ず或いは之を繼がん」と。且つ曰く、「大子は勇無し。若し臺を燔くこと半ばならば、必ず孔叔を舍かん」と。大子之を聞きて懼れ、石乞・盂黶を下して子路に敵せしむ。戈を以て之を擊ち、纓を斷つ。子路曰く、「君子は死すとも、冠は免がず」と。纓を結びて死す。孔子、衛の亂を聞きて曰く、「柴や其れ來らん。由や死せん」と。孔悝、莊公を立つ。莊公、故政を害とし、盡く之を去らんと欲す。先づ司徒瞞成に謂ひて曰く、「寡人、病に外に離ること久し。子請ふ亦た之を嘗めよ」と。歸りて褚師比に告げ、之と公を伐たんと欲す。果さず。
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論語・郷党篇朋友死して、帰する所無し。曰く、「我に於いて殯せん。」朋友の饋りは、車馬と雖も、祭肉に非ざれば、拝せず。
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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