山鹿語類 / 士道・明衣服之制
次に屨の制あり。周禮屨人所掌、有舃有屨。鄭氏謂、複下曰舃、單下曰屨、唯服冕舃、其餘皆屨といへり。又屝と云あり。草履也と注す。今のわらぐつの如し。ともに足を入て其形をあらはさしめざるの器也。步行すること輕忽ならしめざらんために、貴人のくつは皆下にうらをつけ、指の入處の先にかざりを致し、更に足をあらはさず。若し輕くはしらんに利あらしめんとならば、今の草履の如く下を一重にして足をあらはし、鼻緒を用て步に利あらしむべき也。その內屨は草を以て致し、履は麻履也と注す。後世に至て金銀の飾を用。尤あやまりと云べし。
新字:次に屨の制あり。周礼屨人所掌、有舃有屨。鄭氏謂、複下曰舃、単下曰屨、唯服冕舃、其余皆屨といへり。又屝と云あり。草履也と注す。今のわらぐつの如し。ともに足を入て其形をあらはさしめざるの器也。歩行すること軽忽ならしめざらんために、貴人のくつは皆下にうらをつけ、指の入処の先にかざりを致し、更に足をあらはさず。若し軽くはしらんに利あらしめんとならば、今の草履の如く下を一重にして足をあらはし、鼻緒を用て歩に利あらしむべき也。その内屨は草を以て致し、履は麻履也と注す。後世に至て金銀の飾を用。尤あやまりと云べし。
書き下し
次に屨の制あり。周礼屨人所掌、有舃有屨。鄭氏謂、複下曰舃、単下曰屨、唯服冕舃、其余皆屨といへり。又屝と云あり。草履也と注す。今のわらぐつの如し。ともに足を入て其形をあらはさしめざるの器也。歩行すること軽忽ならしめざらんために、貴人のくつは皆下にうらをつけ、指の入処の先にかざりを致し、更に足をあらはさず。若し軽くはしらんに利あらしめんとならば、今の草履の如く下を一重にして足をあらはし、鼻緒を用て歩に利あらしむべき也。その内屨は草を以て致し、履は麻履也と注す。後世に至て金銀の飾を用。尤あやまりと云べし。
現代語訳
次に屨(くつ)の制度がある。『周礼』の屨人がつかさどるものに舃と屨がある。鄭氏(鄭玄)は「底が二重のものを舃といい、一重のものを屨という。冕を着けるときだけ舃をはき、それ以外はみな屨である」と言った。また屝というものがある。草履であると注している。今のわらぐつのようなものである。いずれも足を入れてその形をあらわさせない道具である。歩くことを軽はずみにさせないために、貴人の履物はみな下に裏をつけ、指の入るところの先に飾りをつけて、まったく足をあらわさない。もし軽く走るのに便利にしようというなら、今の草履のように下を一重にして足をあらわし、鼻緒を用いて歩くのに便利にすべきである。そのうち屨は草で作り、履は麻の履物であると注している。後世に至って金銀の飾りを用いるようになった。まったくの誤りと言うべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学則』對西肥水秀才問足下の荘子・経解の言を疑ふも、亦た不佞と符す。周礼は則ち周官なり。然れども礼の体統は甚だ大にして、凡そ先王の天下を経紀する所以は全く此に在り。而して道の大なる、礼之を尽くす。左氏の称する所の「是れ礼なり」の類、以て想ふべし。世儒は五礼六楽の言に泥みて、止だ吉・凶・軍・賓・嘉を以て礼を尽くすと為す。殊に知らず、五礼六楽は乃ち大司徒の教ふる所の目にして、礼を尽くすに非ざることを。此の意、戴記に考ふれば自ら明らかなり。此を以て之を観れば、周官の周礼たるも亦た古言にして疑ひ無し。不佞の古を求むるは、必ず事と辞とを以てす。事は則ち三礼より詳らかなるは莫し。故に不佞以為へらく、士三礼に通ぜずんば、以て古を好むと為すに足らずと。
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『弁名』禮周礼の「礼を以て中を教ふ」、是れ或いは釈者の言、誤りて経文に入る者のみ。然れども亦た古の言なり。蓋し先王の礼を立つる、以て民の極と為す。極は中なり。賢者をして俯して之に就き、不肖者をして企てて之に及ばしむ。故に之を中と謂ふ。人をして過不及無きの理を求めて以て礼と為さしむるに非ざるなり。書に曰く、「民の心中罔し、惟れ爾の中」と。是れ所謂中とは、聖人の独り知る所にして、衆人の及ぶ所に非ず。故に礼を立てて以て民の極と為すなり。後世義理の学盛んにして、儒者唯だ義理を是れ視、礼に就きて以て其の中を求むるを知らず、徒らに其の臆に中るを取りて、是れ以て礼に合ふべしと謂ふ。周子の中正を以て礼智に易ふるが如き是れなり。人間北を看て南と成し、東家の西は、西家東と為す。恣に其の意を以て之を言へば、中是に於てか移り、極是に於てか壊る。豈に悲しからずや。且つ聖人の礼を立つるや、世の日に文に趨くを慮る。故に其の以て中と為す者、豈に必ずしも過不及無きの謂ならんや。学者之を思へ。
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『山鹿語類』士道・明衣服之制次に男女の服制のことあり。女の服王后より士庶人の妻に至るまで尤其制あり。周礼に追師の官あつて、王公の首服を司どり、内司服あつて王后の六服を司。其制詳に周礼に出で、歴代の制法皆文献通考に出せり。其形三才図会にのす。是を以可考。本朝の制衣服令に出で、唐の制に准す。是又徳を表し威儀をしめして、色容の飾とすべからず。二儀実禄曰。爰自黄帝為冠冕。而婦人之首飾無文。至周亦不過副笄而已。漢宮掖承恩者。始賜碧或緋美容冠子。則其物自漢始也。又曰。燧人氏婦人始束髪為髻。至周王后首飾為副編。鄭云。三輔謂之仮髪。又曰。燧人始為髻。女以荆杖及竹為笄。以貫髪。至堯以銅為之。且横貫之。舜雑以象牙玳瑁。郭憲洞冥記曰。漢武帝元鼎元年。有神女。留玉釵与帝。故宮人作玉釵と也。女の髪の飾さま〴〵多く、容色に白粉紅臙をぬること、皆古来三代の制にあらず。燕脂起自紂。以紅藍花汁凝作之。調脂飾女面。産於燕地。故曰燕脂といへり。白土粉水銀粉を用て面に抹すること、猶古の制にあらず。唯色に耽るがゆゑに其かざりを専とするになれり。尤可嘆息也。
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論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
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論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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