学則 / 對西肥水秀才問
足下之疑莊子經解之言。亦與不佞符。周禮則周官。然禮之體統甚大。而凡先王所以經紀天下全在此。而道之大。禮盡之矣。左氏所稱是禮也之類。可以想焉。世儒泥五禮六樂之言。而止以吉凶軍賓嘉爲盡乎禮。殊不知五禮六樂乃大司徒所敎之目。非盡乎禮也。此意考于戴記自明矣。以此觀之。周官之爲周禮亦古言無疑。不佞之求古。必以事與辭。事則莫詳於三禮。故不佞以爲士不通三禮。不足以爲好古也。
新字:足下之疑荘子経解之言。亦与不佞符。周礼則周官。然礼之体統甚大。而凡先王所以経紀天下全在此。而道之大。礼尽之矣。左氏所称是礼也之類。可以想焉。世儒泥五礼六楽之言。而止以吉凶軍賓嘉為尽乎礼。殊不知五礼六楽乃大司徒所教之目。非尽乎礼也。此意考于戴記自明矣。以此観之。周官之為周礼亦古言無疑。不佞之求古。必以事与辞。事則莫詳於三礼。故不佞以為士不通三礼。不足以為好古也。
書き下し
足下の荘子・経解の言を疑ふも、亦た不佞と符す。周礼は則ち周官なり。然れども礼の体統は甚だ大にして、凡そ先王の天下を経紀する所以は全く此に在り。而して道の大なる、礼之を尽くす。左氏の称する所の「是れ礼なり」の類、以て想ふべし。世儒は五礼六楽の言に泥みて、止だ吉・凶・軍・賓・嘉を以て礼を尽くすと為す。殊に知らず、五礼六楽は乃ち大司徒の教ふる所の目にして、礼を尽くすに非ざることを。此の意、戴記に考ふれば自ら明らかなり。此を以て之を観れば、周官の周礼たるも亦た古言にして疑ひ無し。不佞の古を求むるは、必ず事と辞とを以てす。事は則ち三礼より詳らかなるは莫し。故に不佞以為へらく、士三礼に通ぜずんば、以て古を好むと為すに足らずと。
現代語訳
あなたが『荘子』や『礼記』経解篇の言葉を疑っておられるのも、私の考えと合っている。『周礼』とは『周官』のことである。しかし礼の体系はきわめて大きく、先王が天下を治め整えたしくみはすべてこの中にある。道の大きさは、礼がそれを尽くしている。『左伝』に「これは礼である」と言うたぐいの例から、それを想像できよう。世の儒者は「五礼六楽」という言葉にとらわれて、吉・凶・軍・賓・嘉の五つで礼が尽きると考えている。五礼六楽は大司徒が教える項目であって、礼のすべてではないことをまるで知らないのである。この意味は『礼記』で考えれば自然と明らかになる。これから見れば、『周官』を『周礼』と呼ぶのもまた古い言い方であって疑いない。私が古を求めるときは、必ず事柄と言葉によって求める。事柄については三礼(『周礼』『儀礼』『礼記』)ほど詳しいものはない。だから私は、士人が三礼に通じていなければ、古を好むとは言えないと考えるのである。
解説
この章句が説くこと
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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