弁名 / 禮
周禮以禮敎中。是或釋者之言。誤入經文者已。然亦古之言也。葢先王立禮。以爲民極。極中也。使賢者俯而就之。不肖者企而及之。故謂之中焉。非使人求無過不及之理以爲禮也。書曰。民心罔中。惟爾之中。是所謂中者。聖人所獨知。而非衆人所及。故立禮以爲民極也。後世義理之學盛。而儒者唯義理是視。不知就禮以求其中。徒取中其臆。而謂是可以合禮焉。如周子以中正易禮智是也。人間北看成南。東家之西。西家爲東。恣以其意言之。而中於是乎移。極於是乎壞。豈不悲乎。且聖人之立禮也。慮世之日趨文也。故其以爲中者。豈必無過不及之謂乎。學者思諸。
新字:周礼以礼教中。是或釈者之言。誤入経文者已。然亦古之言也。葢先王立礼。以為民極。極中也。使賢者俯而就之。不肖者企而及之。故謂之中焉。非使人求無過不及之理以為礼也。書曰。民心罔中。惟爾之中。是所謂中者。聖人所独知。而非衆人所及。故立礼以為民極也。後世義理之学盛。而儒者唯義理是視。不知就礼以求其中。徒取中其臆。而謂是可以合礼焉。如周子以中正易礼智是也。人間北看成南。東家之西。西家為東。恣以其意言之。而中於是乎移。極於是乎壊。豈不悲乎。且聖人之立礼也。慮世之日趨文也。故其以為中者。豈必無過不及之謂乎。学者思諸。
書き下し
周礼の「礼を以て中を教ふ」、是れ或いは釈者の言、誤りて経文に入る者のみ。然れども亦た古の言なり。蓋し先王の礼を立つる、以て民の極と為す。極は中なり。賢者をして俯して之に就き、不肖者をして企てて之に及ばしむ。故に之を中と謂ふ。人をして過不及無きの理を求めて以て礼と為さしむるに非ざるなり。書に曰く、「民の心中罔し、惟れ爾の中」と。是れ所謂中とは、聖人の独り知る所にして、衆人の及ぶ所に非ず。故に礼を立てて以て民の極と為すなり。後世義理の学盛んにして、儒者唯だ義理を是れ視、礼に就きて以て其の中を求むるを知らず、徒らに其の臆に中るを取りて、是れ以て礼に合ふべしと謂ふ。周子の中正を以て礼智に易ふるが如き是れなり。人間北を看て南と成し、東家の西は、西家東と為す。恣に其の意を以て之を言へば、中是に於てか移り、極是に於てか壊る。豈に悲しからずや。且つ聖人の礼を立つるや、世の日に文に趨くを慮る。故に其の以て中と為す者、豈に必ずしも過不及無きの謂ならんや。学者之を思へ。
現代語訳
『周礼』の「礼によって中を教える」は、おそらく注釈者の言葉が誤って経文に入ったものだろう。しかしこれも古い言葉である。思うに、先王が礼を立てたのは、民の「極(基準)」とするためであった。極とは中である。賢い者には身をかがめて歩み寄らせ、及ばない者には背伸びして届かせる。だからこれを中と言うのである。人に「過不足のない理」を探させて、それを礼とさせたのではない。『書経』に「民の心には中がない。ただお前(君主)の中があるのみ」とある。いわゆる中とは聖人だけが知るもので、多くの人が及ぶものではない。だから礼を立てて民の基準としたのである。後世、義理の学が盛んになると、儒者は義理ばかりを見て、礼に即して中を求めることを知らず、ただ自分の思いに当たるものを取り、それで礼にかなうと言う。周敦頤が(仁義礼智の)礼・智を「中正」に置き換えたのがそれである。世の中では北を見ても南と言いくるめられ、東の家の西は西の家にとっては東になる。めいめいが勝手に言えば、中はそこで移ろい、基準はそこで崩れる。悲しいことではないか。しかも聖人が礼を立てたのは、世の中が日ごとに華美に流れることを憂えたからである。だから聖人が中としたものは、必ずしも過不足のないことだけを言うのではない。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
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史記 礼書天地以て合し、日月以て明らかに、四時以て序し、星辰以て行き、江河以て流れ、万物以て昌え、好悪以て節あり、喜怒以て当たる。以て下と為れば則ち順に、以て上と為れば則ち明らかなり。太史公曰く、至れるかな。隆を立てて以て極と為し、而して天下之を能く益損する莫し。本末相順ひ、終始相応じ、至文以て辨ずる有り、至察以て説く有り。天下之に従ふ者は治まり、従はざる者は乱る。之に従ふ者は安く、従はざる者は危ふし。小人は則る能はざるなり。礼の貌は誠に深し、堅白同異の察も、焉に入りて弱し。其の貌は誠に大なり、擅に典制を作る褊陋の説も、焉に入りて望む。其の貌は誠に高し、暴慢恣睢、俗を軽んじて以て高しと為すの属も、焉に入りて隊つ。故に縄誠に陳ぬれば、則ち欺くに曲直を以てすべからず。衡誠に県くれば、則ち欺くに軽重を以てすべからず。規矩誠に錯けば、則ち欺くに方員を以てすべからず。君子礼を審らかにすれば、則ち欺くに詐偽を以てすべからず。故に縄とは直の至りなり。衡とは平の至りなり。規矩とは方員の至りなり。礼とは人道の極なり。然り而して礼に法らざる者は礼に足らず、之を無方の民と謂ふ。礼に法り礼に足る、之を有方の士と謂ふ。礼の中に、能く思索する、之を能く慮ると謂ふ。能く慮りて易はらざる、之を能く固しと謂ふ。能く慮り能く固く、加ふるに之を好む、聖なり。天とは高の極なり。地とは下の極なり。日月とは明の極なり。無窮とは広大の極なり。聖人とは道の極なり。財物を以て用と為し、貴賤を以て文と為し、多少を以て異と為し、隆殺を以て要と為す。文貌繁く、情欲省くは、礼の隆なり。文貌省き、情欲繁きは、礼の殺なり。文貌情欲相内外表裏を為し、并び行はれて雑はるは、礼の中流なり。君子は上は其の隆を致し、下は其の殺を尽くし、而して中は其の中に処る。
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『弁道』第六則後儒多く学者に強ふるに、高妙精微、凡人の為す能はざる所の者を以てし、而して聖人是を以て極を立つと曰ふ。妄なるかな。先王の極を立つとは、礼を謂ふなり。漢儒極を訓じて中と為す。礼は中を教ふる所以なり。又た中庸の書を解して、子思礼の意を説くと謂ふ。其の説未だ当たらずと雖も、之を要するに古を去ること未だ遠からず、師弟の伝授する所、古義猶ほ存する者のみ。蓋し先王の礼を制するや、賢者は俯して之に就き、不肖者は企てて之に及ぶ。是れ所謂極なり。是れ凡人の能く為す所の者なり。爾らずして、務めて凡人の為す能はざる所の者を以て之を強ふるは、是れ天下の人をして善に絶望せしむるなり。豈に先王の天下を安んずるの道ならんや。故に所謂事理当然の極、及び気質を変化し、学びて聖人と為るの類は、皆先王孔子の教への旧に非ず。近世伊氏能く其の是に非ざるを知る。而るに廼ち孝弟仁義を以て規矩準縄と謂為す。果たして是くの若きか、則ち人人自ら其の意を以て孝弟仁義と為すなり。亦た何の準とする所あらんや。寸無きの尺、星無きの称と謂ふべきのみ。
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『春秋左氏伝』哀公七年 呉、百牢を徴す七年春、宋の師鄭を侵す。鄭晉に叛くが故なり。晉の師衛を侵す。衛服せざればなり。夏、公、吳に鄫に會す。吳來りて百牢を徵す。子服景伯對へて曰く、「先王未だ之れ有らざるなり」と。吳人曰く、「宋は我を百牢にせり。魯は以て宋に後るべからず。且つ魯は晉の大夫を牢すること十を過ぐ。吳王百牢、亦た可ならずや」と。景伯曰く、「晉の范鞅、貪りて禮を棄て、大國を以て敝邑を懼れしむ。故に敝邑之を十一牢にせり。君若し禮を以て諸侯に命ぜば、則ち數有らん。若し亦た禮を棄てば、則ち淫なる者有らん。周の王たるや、禮を制し物を上(たふと)ぶこと、十二を過ぎず。以て天の大數と為すなり。今周の禮を棄てて、必ず百牢と曰ふは、亦た唯だ執事のままなり」と。吳人聽かず。景伯曰く、「吳將に亡びんとす。天を棄てて本に背く。與へずんば、必ず疾を我に棄てん」と。乃ち之を與ふ。太宰嚭、季康子を召す。康子、子貢をして辭せしむ。大宰嚭曰く、「國君は道長くして、大夫は門を出でず。此れ何の禮ぞや」と。
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『学則』對西肥水秀才問足下の荘子・経解の言を疑ふも、亦た不佞と符す。周礼は則ち周官なり。然れども礼の体統は甚だ大にして、凡そ先王の天下を経紀する所以は全く此に在り。而して道の大なる、礼之を尽くす。左氏の称する所の「是れ礼なり」の類、以て想ふべし。世儒は五礼六楽の言に泥みて、止だ吉・凶・軍・賓・嘉を以て礼を尽くすと為す。殊に知らず、五礼六楽は乃ち大司徒の教ふる所の目にして、礼を尽くすに非ざることを。此の意、戴記に考ふれば自ら明らかなり。此を以て之を観れば、周官の周礼たるも亦た古言にして疑ひ無し。不佞の古を求むるは、必ず事と辞とを以てす。事は則ち三礼より詳らかなるは莫し。故に不佞以為へらく、士三礼に通ぜずんば、以て古を好むと為すに足らずと。
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『山鹿語類』士道・明衣服之制次に屨の制あり。周礼屨人所掌、有舃有屨。鄭氏謂、複下曰舃、単下曰屨、唯服冕舃、其余皆屨といへり。又屝と云あり。草履也と注す。今のわらぐつの如し。ともに足を入て其形をあらはさしめざるの器也。歩行すること軽忽ならしめざらんために、貴人のくつは皆下にうらをつけ、指の入処の先にかざりを致し、更に足をあらはさず。若し軽くはしらんに利あらしめんとならば、今の草履の如く下を一重にして足をあらはし、鼻緒を用て歩に利あらしむべき也。その内屨は草を以て致し、履は麻履也と注す。後世に至て金銀の飾を用。尤あやまりと云べし。
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『山鹿語類』士道・明衣服之制次に男女の服制のことあり。女の服王后より士庶人の妻に至るまで尤其制あり。周礼に追師の官あつて、王公の首服を司どり、内司服あつて王后の六服を司。其制詳に周礼に出で、歴代の制法皆文献通考に出せり。其形三才図会にのす。是を以可考。本朝の制衣服令に出で、唐の制に准す。是又徳を表し威儀をしめして、色容の飾とすべからず。二儀実禄曰。爰自黄帝為冠冕。而婦人之首飾無文。至周亦不過副笄而已。漢宮掖承恩者。始賜碧或緋美容冠子。則其物自漢始也。又曰。燧人氏婦人始束髪為髻。至周王后首飾為副編。鄭云。三輔謂之仮髪。又曰。燧人始為髻。女以荆杖及竹為笄。以貫髪。至堯以銅為之。且横貫之。舜雑以象牙玳瑁。郭憲洞冥記曰。漢武帝元鼎元年。有神女。留玉釵与帝。故宮人作玉釵と也。女の髪の飾さま〴〵多く、容色に白粉紅臙をぬること、皆古来三代の制にあらず。燕脂起自紂。以紅藍花汁凝作之。調脂飾女面。産於燕地。故曰燕脂といへり。白土粉水銀粉を用て面に抹すること、猶古の制にあらず。唯色に耽るがゆゑに其かざりを専とするになれり。尤可嘆息也。
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