五常訓 / 巻之四・礼
本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、禮の道たたず。喪の禮は、ことさら眞實ならでは行はれざるものなれば、旣に禮の本を說きて、又其内より、喪の禮の本をかゝげ出して說き給ふ。
新字:本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかゝげ出して説き給ふ。
書き下し
本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
現代語訳
本が立てば、末はここから出てくる理です。末ばかり整えて本がないのは、誠がなくて、礼の道は立ちません。喪の礼は、ことさら真実でなければ行われないものなので、すでに礼の本を説いて、またその中から、喪の礼の本を掲げ出して説かれたのです。
解説
林放の章のまとめとして、本が立てば末は自然に生じるが、末だけ整えても誠がなければ礼は立たないと述べ、孔子が礼全般の本を説いたあと、特に真実さが求められる喪の礼を取り出して説いた意図を説明しています。『論語』学而篇の「君子は本を務む、本立ちて道生ず」にも通じる考え方です。形を整えることに追われがちなときほど、その行事や仕事の本来の目的に立ち返ることが大切だと教えてくれます。
この章句が説くこと
礼本末喪誠論語
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼倹とは其心真実にして、かざり偽無きを云ふ。是礼の本なり。如此倹にして真実にかざり無ければ、本たちて、末おのづから生ず。又礼の内にて、取わき父母兄弟などの死せる時、喪に居るは、尤せつなる時にて、つつしんで心を用ふべき事なり。喪に居るに、其死をいたみ哀むは、喪の礼の本なり。しかるに外の飾さかんにして、作法はそなはれども、心に哀の誠なきは、是本なきなり。かく有らんより、唯いたみ哀あつくして、外の法はおろそかならんこそ優るべけれ。凡礼は、先心の誠実なるを本とすれば、本なくして、末のみ修らんより、しかじ、本立ちて末おろそかなるには。是本末そなはらずして、偏なれども、外のかざりのみ多くして、内心に本とすべき誠なきには、遥かにまされり。
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『五常訓』巻之四・礼一礼器云、先王の礼を立つる、本あり、文あり。忠信は礼の本なり。義理は礼の文なり。本無ければ立たず。文なければ行はれず。いふ心は、礼に本あり。忠信を本とす。忠信はまことなり。礼に文あり。義理を文とす。義理とは、外に行ふ処のあらはれたるしわざの、すぢめよきを云ふ。本なければ礼の道立たず。万の事、皆誠より出づ。誠なければ物なし。されど又外のわざ、理にかなはざれば、文無くして、礼の道行はれず。必本末二ながらそなはりて、礼の道全し。されど先本をつとむるを要とすべし。忠信を本として、礼文行はるるは、たとへば味甘き物は、五味の和をうけ、色白きものは、五色の采をうくるが如し。忠信ある人は礼を学ぶべし。質よき故に、外の礼文そなはりやすし。
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『五常訓』巻之四・礼一礼儀三百、威儀三千とて、およそ人の行ふべき大礼三百条、小礼三千条あり。是は其大槩をあげていへり。必三百三千に限るべからず。皆是つつしみ敬ふ心より出で、天理の程よき所にして、人事のしかるべき作法なり。つつしみ敬ふ心は、礼の本なり。三百三千の品は、礼の文なり。文とは外のあやなり。本なければ礼たたず。文なければ礼行はれず。故に礼は本をおもんず。文も亦そなはらずんばあるべからず。
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『五常訓』巻之四・礼一林放と云ひし人、世上の礼を行ふ者、かざり多く、ことわざしげくして、末をもはら務むるを、礼の本意にあらじと思ひて、礼の本を孔子に問ふ。凡万の事、まづ其本を得れば、其末おのづから出来るものなり。たとへば樹木の根本堅固なれば、千枝万葉皆これより出づるが如し。本をうしなひて、末のみをつとむれば、其実を失ふ。故に其つとむる事しげくして、其なすわざ小なり。しかるに、時の人のまよへるを悟り、礼の本に志あるを大なる問なりとて、先ほめ給ふ。さて答へてのたまふ意は、万の礼は、中を得るを貴ぶ。中は過不及なきなり。是礼の当然にて、至極せる道理なり。されども中に行ふ事ならずば、其本をつとむべし。万の事かざりのみにて、外の儀文華美にしておごらんよりは、唯ねがはくは倹を行ふべし。
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孟子・告子章句下任人屋廬子に問ふ有りて曰く、「礼と食と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」「色と礼と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」曰く、「礼を以て食へば則ち飢ゑて死し、礼を以てせずして食へば則ち食を得んに、必ず礼を以てせんか。親迎すれば則ち妻を得ず、親迎せざれば則ち妻を得んに、必ず親迎せんか。」屋廬子対ふる能はず。明日鄒に之きて以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「是に答ふるに於いて何か有らん。其の本を揣らずして、其の末を斉しくせば、方寸の木も岑楼より高からしむべし。金は羽より重しとは、豈に一鉤の金と一輿の羽との謂ならんや。食の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に食重きのみならん。色の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に色重きのみならん。往きて之に応へて曰へ、『兄の臂を紾りて之が食を奪へば、則ち食を得、紾らざれば、則ち食を得ずんば、則ち将に之を紾らんとするか。東家の墻を逾えて其の処子を摟けば、則ち妻を得、摟かざれば、則ち妻を得ずんば、則ち将に之を摟かんとするか。』と。」
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『春秋左氏伝』昭公五年 是れ儀なり、礼に非ず楚子屈申を以て吳に貳すと為し、乃ち之を殺す。屈生を以て莫敖と為し、令尹子蕩と晉に如きて女を逆へしむ。鄭を過ぐ。鄭伯子蕩を氾に勞ひ、屈生を菟氏に勞ふ。晉侯女を邢丘に送る。子產鄭伯に相として、晉侯に邢丘に會す。公晉に如く。郊勞より贈賄に至るまで、禮を失ふこと無し。晉侯女叔齊に謂ひて曰く、「魯侯亦た禮に善からずや」と。對へて曰く、「魯侯焉んぞ禮を知らん」と。公曰く、「何為れぞ。郊勞より贈賄に至るまで、禮違ふ者無し。何の故に知らずとする」と。對へて曰く、「是れ儀なり、禮と謂ふべからず。禮は其の國を守り、其の政令を行ひ、其の民を失ふこと無き所以の者なり。今政令は家に在りて、取る能はず。子家羈有りて、用ゐる能はず。大國の盟を奸し、小國を陵虐す。人の難を利として、其の私を知らず。公室四分し、民は他に食む。思ひ公に在る莫く、其の終はりを圖らず。國君と為りて、難將に身に及ばんとするに、其の所を恤へず。禮の本末、將に此に於いてか在らんとす。而るに屑屑焉として儀を習ひて以て亟(すみ)やかなり。禮に善しと言ふは、亦た遠からずや」と。君子謂ふ、叔侯是に於いてか禮を知れりと。
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