山鹿語類 / 士道・明衣服之制
しかれども世ことに時ことなるを以て、衣服に不限、皆今を用ること、專利己の輩は、古の制は甚迂闊也、不足用、今の制是相應也と思ふこと多し。故に古人衣服の制においても、自身非禮を改ためしめ、亂臣賊子の心をひるがへしめんがため、仁心を能く躰認して、而して今の制の宜に可從也。古の制宜しと云へども、風俗皆如此なるに、今に居て古の形をなさんことは、是又聖人の變に處するゆゑんにあらず。禮樂の制は天子の所出也。下としてこれを改たむ不可也。人に不從、我は我にてたゝんと云は、是又身を利する也。况や武士の衣服は又其制かはれり。本朝の今武を以て天下の政令全ければ、下皆其禮を學んで、本に聖人の心あつて、形に時の宜を守て、君父へ忠孝の形をあらはし、朋友へ禮儀の交をなさんこと、眞の大丈夫と可云也。
新字:しかれども世ことに時ことなるを以て、衣服に不限、皆今を用ること、専利己の輩は、古の制は甚迂闊也、不足用、今の制是相応也と思ふこと多し。故に古人衣服の制においても、自身非礼を改ためしめ、乱臣賊子の心をひるがへしめんがため、仁心を能く体認して、而して今の制の宜に可従也。古の制宜しと云へども、風俗皆如此なるに、今に居て古の形をなさんことは、是又聖人の変に処するゆゑんにあらず。礼楽の制は天子の所出也。下としてこれを改たむ不可也。人に不従、我は我にてたゝんと云は、是又身を利する也。況や武士の衣服は又其制かはれり。本朝の今武を以て天下の政令全ければ、下皆其礼を学んで、本に聖人の心あつて、形に時の宜を守て、君父へ忠孝の形をあらはし、朋友へ礼儀の交をなさんこと、真の大丈夫と可云也。
書き下し
しかれども世ことに時ことなるを以て、衣服に不限、皆今を用ること、専利己の輩は、古の制は甚迂闊也、不足用、今の制是相応也と思ふこと多し。故に古人衣服の制においても、自身非礼を改ためしめ、乱臣賊子の心をひるがへしめんがため、仁心を能く体認して、而して今の制の宜に可従也。古の制宜しと云へども、風俗皆如此なるに、今に居て古の形をなさんことは、是又聖人の変に処するゆゑんにあらず。礼楽の制は天子の所出也。下としてこれを改たむ不可也。人に不従、我は我にてたゝんと云は、是又身を利する也。況や武士の衣服は又其制かはれり。本朝の今武を以て天下の政令全ければ、下皆其礼を学んで、本に聖人の心あつて、形に時の宜を守て、君父へ忠孝の形をあらはし、朋友へ礼儀の交をなさんこと、真の大丈夫と可云也。
現代語訳
けれども世が異なり時が異なるので、衣服に限らず、みな今のものを用いることについて、もっぱら自分の利をはかる者たちは、古の制度はひどく迂遠で用いるに足りない、今の制度こそふさわしいと思うことが多い。ゆえに古人の衣服の制度においても、自分の非礼を改めさせ、乱臣賊子の心をひるがえさせるためのものであった仁の心をよく体得して、そのうえで今の制度のふさわしいところに従うべきである。古の制度がよいといっても、風俗がみなこのようであるのに、今の世にいて古の形をしようとするのは、これまた聖人が変化に対処するやり方ではない。礼楽の制度は天子が出すものである。下の者としてこれを改めてはならない。人に従わず、自分は自分で立とうと言うのは、これもまた自分の身を利することである。まして武士の衣服はまたその制度が異なる。わが国は今、武によって天下の政令が全うされているのだから、下の者はみなその礼を学んで、根本には聖人の心をもち、形には時のふさわしさを守って、君父へは忠孝の形をあらわし、朋友へは礼儀の交わりをすることこそ、真の大丈夫と言うべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五天下の事、上世の法は簡略にして、後世に至りて益詳密なり。学術制度の如き皆然り。此れ古今の気運の漸く開くるなり。自然の時勢、当に此くの如くなるべし。六経の説く所の者の如きは、其の大略なり。後儒世に出づるに至りて、其の説を為すや、漸く潤色を加へて詳細なり。漢魏以下の諸子及び宋の諸大儒の説く所の如き是れなり。然り而して後儒の説は精詳を加ふと雖も、皆是れ六経語孟の中に有る所の道理を、転た論述して漸く細密なる者なり。六経語孟の範囲の外に出づること能はず。然れども上世の聖人の説く所、其の簡略なる者は、差誤有るべからず。後世の諸儒の論ずる所、其の繁詳なる者は、或いは時として疎漏過誤有り。蓋し其の略なる者は、道理簡要にして、該閲する所周偏なり。其の詳なる者は、論説繁衍して、分析する所或いは過誤有るなり。暦学の如き、其の法後世に至りて益精しく、頗る古人の言ひ到らざる処有り。然れども虞書の中の数語暦象を説く者は、其の根源にして、後世の暦を説く者は、此の規模の外に出づること能はず。其の余の法術も亦皆此くの如し。
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『学則』對西肥水秀才問然るに世の自ら好しとする者は、多く謂ふ、古は自ら古、今は自ら今、何ぞ必ずしも古を学ばんと。自ら以て達すと為す。殊に知らず、古には聖人有りて、今は聖人無きことを。則ち其の人の為す所の今なるは、誠に誣ひず。而して其の能く聖人の道に悖らざる者は、吾未だ之を信ぜず。其の人自ら己の心を以て之を断じ、是れ古の聖人に悖らずと謂はば、則ち其の人自ら以て聖と為すなり。豈に妄ならずや。乃ち其の習ふ所に溺れ、往往乎として之に語るも通ずる能はず。故に不佞未だ嘗て人の為に之を言はず。争ひを悪めばなり。今足下の見る所、不佞と符す。故に詳らかに之を言ふのみ。
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徒然草・第22段何事も古き世のみぞ慕はしき。今様は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひしを、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮の「人数だて。」といふべきを、「立明し白くせよ。」といひ、最勝講の御聴聞所なるをば、「御講の廬。」とこそいふべきを、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。
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『学則』学則四古に聖人有り、今聖人無し。故に学は必ず古なり。然れども古無ければ今無く、今無ければ古無し。今詎ぞ廃すべけんや。世世相望む、孰れか古に匪ずして孰れか今に匪ざらん。故に古に通じて以て極を立て、今を知りて以て之を体す。世世を差して以て其の来るを観れば、其の民俗人情に於けるや、猶ほ諸を掌に眎るがごときか。夫れ古今殊なり。何を以てか其の殊なるを見ん。唯だ其の物なり。物は世を以て殊に、世は物を以て殊なり。蓋し秦漢よりして後、聖人有る莫し。然れども亦た各〻建つる所有り。祇だ其の知、物に周からず、聖人無き所以なり。然りと雖も、業已に物有り。必ず諸を志に徴して其の殊なるを見、殊を以て相映じて、而る後に以て其の世を論ずるに足る。爾らずして一定の権衡を懸けて、以て百世を歴詆するは、亦た易易たるのみ。是れ直だ己のみにして其の世を問はず、乃ち何を以てか史を為さん。故に今を知らんと欲する者は必ず古に通じ、古に通ぜんと欲する者は必ず史、史は必ず志にして、而る後に六経益〻明らかなり。六経明らかにして聖人の道に古今無し。夫れ然る後に天下得て治むべし。故に君子は必ず世を論ず。亦た唯だ物なり。
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論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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