武治提要 / 省察・第2段
所謂後の今をみること、猶今の古をみるがごとしとは、墨客の感懷にして、其實を取用ゆるときは、治平の警戒なり。星霜代謝し、榮枯地を代るといへども、人情の好惡更に古今なし。只過るものは、其跡著明なるが故に、其可否見へ易く、來る者は未だ跡なきがゆゑに、其得失きわめがたし。省察の力行尤も此間にあり。
新字:所謂後の今をみること、猶今の古をみるがごとしとは、墨客の感懐にして、其実を取用ゆるときは、治平の警戒なり。星霜代謝し、栄枯地を代るといへども、人情の好悪更に古今なし。只過るものは、其跡著明なるが故に、其可否見へ易く、来る者は未だ跡なきがゆゑに、其得失きわめがたし。省察の力行尤も此間にあり。
書き下し
所謂後の今をみること、猶今の古をみるがごとしとは、墨客の感懷にして、其實を取用ゆるときは、治平の警戒なり。星霜代謝し、榮枯地を代るといへども、人情の好惡更に古今なし。只過るものは、其跡著明なるが故に、其可否見へ易く、來る者は未だ跡なきがゆゑに、其得失きわめがたし。省察の力行尤も此間にあり。
現代語訳
「後の人が今を見るのは、今の人が昔を見るようなものだ」とは、詩人の感慨ですが、その実を取って用いれば、太平の世への戒めとなります。時は移り代わり、栄えと衰えが場所を替えても、人の好き嫌いの情は、昔も今も変わりません。ただ、過ぎたことは跡がはっきりしているので、その是非が見えやすく、来るものはまだ跡がないので、その得失が見極めにくいのです。省察の力を尽くすべきは、まさにこの間にあります。
解説
この段は、「後の今を見るは今の古を見るがごとし」という文人の言葉を、治世への警戒に読み替えています。時代が変わっても人の情は変わらないので、過去の失敗に学ぶ価値がある、という筋です。過去は跡があるので判断しやすく、未来は跡がないので判断しにくい、という対比も分かりやすい指摘です。仕事でも、すでに起きた事例から人の反応の型を学び、まだ起きていないことの判断に生かすのが、経験を積むということです。経験を型として蓄える意識が、判断の精度を上げます。
この章句が説くこと
省察古今人情得失治平武治提要
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