慎思録 / 巻之五
天下之事。上世之法簡略。而至後世益詳密。如學術制度皆然。此古今氣運之漸開也。自然之時勢。當如此。如六經所說者。其大略也。至後儒世出。其爲說也。漸加潤色詳細。如漢魏以下諸子及宋諸大儒所說是也。然而後儒之說雖加精詳。皆是六經語孟中所有之道理。轉論述而漸細密者也。不能出於六經語孟範圍之外。然上世聖人之所說。其簡畧者。不可有差誤。後世諸儒之所論。其繁詳者。或有時而疎漏過誤。葢其畧者。道理簡要。而所該閱周偏。其詳者。論說繁衍。而所分析或有過誤也。如曆學。其法至後世益精。頗有古人所不言到處。然虞書之中數語說暦象者。其根源。而後世說曆者。不能出此規模之外。其餘法術亦皆如此。
新字:天下之事。上世之法簡略。而至後世益詳密。如学術制度皆然。此古今気運之漸開也。自然之時勢。当如此。如六経所説者。其大略也。至後儒世出。其為説也。漸加潤色詳細。如漢魏以下諸子及宋諸大儒所説是也。然而後儒之説雖加精詳。皆是六経語孟中所有之道理。転論述而漸細密者也。不能出於六経語孟範囲之外。然上世聖人之所説。其簡略者。不可有差誤。後世諸儒之所論。其繁詳者。或有時而疎漏過誤。葢其略者。道理簡要。而所該閲周偏。其詳者。論説繁衍。而所分析或有過誤也。如暦学。其法至後世益精。頗有古人所不言到処。然虞書之中数語説暦象者。其根源。而後世説暦者。不能出此規模之外。其余法術亦皆如此。
書き下し
天下の事、上世の法は簡略にして、後世に至りて益詳密なり。学術制度の如き皆然り。此れ古今の気運の漸く開くるなり。自然の時勢、当に此くの如くなるべし。六経の説く所の者の如きは、其の大略なり。後儒世に出づるに至りて、其の説を為すや、漸く潤色を加へて詳細なり。漢魏以下の諸子及び宋の諸大儒の説く所の如き是れなり。然り而して後儒の説は精詳を加ふと雖も、皆是れ六経語孟の中に有る所の道理を、転た論述して漸く細密なる者なり。六経語孟の範囲の外に出づること能はず。然れども上世の聖人の説く所、其の簡略なる者は、差誤有るべからず。後世の諸儒の論ずる所、其の繁詳なる者は、或いは時として疎漏過誤有り。蓋し其の略なる者は、道理簡要にして、該閲する所周偏なり。其の詳なる者は、論説繁衍して、分析する所或いは過誤有るなり。暦学の如き、其の法後世に至りて益精しく、頗る古人の言ひ到らざる処有り。然れども虞書の中の数語暦象を説く者は、其の根源にして、後世の暦を説く者は、此の規模の外に出づること能はず。其の余の法術も亦皆此くの如し。
現代語訳
天下の事は、上古の法は簡略で、後世になるほど詳しく細かくなります。学問や制度などはみなそうです。これは古今の気運がしだいに開けていくのです。自然の時勢はこうあるべきものです。六経が説いているものは、その大略です。後の儒者が世に出ると、その説はしだいに潤色が加わって詳しくなります。漢・魏以後の諸子や宋の大儒たちが説いたものがそれです。しかし後の儒者の説は精しく詳しくなったとはいえ、みな六経や『論語』『孟子』の中にある道理を、さらに論じ述べてしだいに細かくしたものです。六経・論孟の範囲の外に出ることはできません。しかも上古の聖人が説いた簡略なものには誤りがありません。後世の儒者が論じた繁雑で詳しいものには、時として手落ちや誤りがあります。そもそも簡略なものは道理が簡潔で要を得ていて、覆う範囲が行き渡っています。詳しいものは論説が広がりすぎて、分析に誤りがあることがあるのです。暦学などは、その方法が後世になるほど精しくなり、古人が言い及ばなかったところもかなりあります。しかし『書経』虞書の中で暦象を説いた数語はその根源であり、後世の暦を説く者も、この枠組みの外に出ることはできません。その他の技術もみなこのようです。
解説
この章句が説くこと
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徒然草・第22段何事も古き世のみぞ慕はしき。今様は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひしを、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮の「人数だて。」といふべきを、「立明し白くせよ。」といひ、最勝講の御聴聞所なるをば、「御講の廬。」とこそいふべきを、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。
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論語・述而篇子曰わく、述べて作らず、信じて古を好む。竊かに我を老彭に比す。
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