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山鹿語類 / 士道・節飮食之用

士その位なく其祿微にして、又食の味をこのまんことは、是大丈夫の質にあらず。飮食においても猶忍ぶことを不得ば、何を以てか忍ぶことを可得や。孔子の士の志於道して惡衣惡食を耻るをば、ともに議るに不足との玉ふ。顏淵は一簞の食一瓢の飮にして、不改其樂を歎美し玉ふこと、是各其分にやすんずれば也。宋の汪信民嘗言、人常咬得菜根、則百事可做、胡文定公聞之、擊節嘆賞すと云へるは、人皆飮食を好むこと分に過ぎて、志きりに奇味をなす、こゝにおいて口味に耽り、躰常にゆるやかにして、大丈夫の志日を逐てむなし、是飮食に節を失て、位祿豐大なる輩却て疎食し、微官貧乏の輩は好味を翫ぶのあやまりあれば也。孟子曰、飮食之人、則人賤之矣、爲其養小失大也とは、此心なるべし。

新字:士その位なく其禄微にして、又食の味をこのまんことは、是大丈夫の質にあらず。飲食においても猶忍ぶことを不得ば、何を以てか忍ぶことを可得や。孔子の士の志於道して悪衣悪食を耻るをば、ともに議るに不足との玉ふ。顔淵は一箪の食一瓢の飲にして、不改其楽を嘆美し玉ふこと、是各其分にやすんずれば也。宋の汪信民嘗言、人常咬得菜根、則百事可做、胡文定公聞之、撃節嘆賞すと云へるは、人皆飲食を好むこと分に過ぎて、志きりに奇味をなす、こゝにおいて口味に耽り、体常にゆるやかにして、大丈夫の志日を逐てむなし、是飲食に節を失て、位禄豊大なる輩却て疎食し、微官貧乏の輩は好味を翫ぶのあやまりあれば也。孟子曰、飲食之人、則人賤之矣、為其養小失大也とは、此心なるべし。

書き下し

士その位なく其禄微にして、又食の味をこのまんことは、是大丈夫の質にあらず。飲食においても猶忍ぶことを不得ば、何を以てか忍ぶことを可得や。孔子の士の志於道して悪衣悪食を耻るをば、ともに議るに不足との玉ふ。顔淵は一箪の食一瓢の飲にして、不改其楽を嘆美し玉ふこと、是各其分にやすんずれば也。宋の汪信民嘗言、人常咬得菜根、則百事可做、胡文定公聞之、撃節嘆賞すと云へるは、人皆飲食を好むこと分に過ぎて、志きりに奇味をなす、こゝにおいて口味に耽り、体常にゆるやかにして、大丈夫の志日を逐てむなし、是飲食に節を失て、位禄豊大なる輩却て疎食し、微官貧乏の輩は好味を翫ぶのあやまりあれば也。孟子曰、飲食之人、則人賤之矣、為其養小失大也とは、此心なるべし。

現代語訳

士がその位もなく禄も少ないのに、なお食の味を好むのは、大丈夫の資質ではない。飲食においてさえ忍ぶことができないなら、何によって忍ぶことができようか。孔子は、道に志しながら粗末な衣食を恥じる士は、ともに語るに足りないと言われた。顔淵が一簞の食と一瓢の飲みもので暮らしながら、その楽しみを改めないことを褒めたたえられたのは、それぞれその分に安んじていたからである。宋の汪信民がかつて「人が常に菜根をかみしめることができれば、何事も成し遂げられる」と言い、胡文定公(胡安国)がこれを聞いて膝を打って感嘆したという。これは、人がみな飲食を好むことが分を過ぎて、ひたすら珍しい味を求め、そこで口の味に溺れ、身体は常にゆるみ、大丈夫の志が日を追ってむなしくなる、つまり飲食に節度を失って、位禄の豊かな者がかえって粗食をし、低い官や貧しい者がうまい物をもてあそぶという誤りがあるからである。孟子が「飲食ばかりを求める人は、人に卑しまれる。小さなもの(口腹)を養って大きなもの(心志)を失うからである」と言ったのは、この意味であろう。

解説

本条は前条と対になる。位禄の高い者が倹約に偏るのを批判した素行は、逆に位も禄もない士が美食を好むことを、大丈夫の資質でないと断じる。飲食すら忍べぬ者は何も忍べない。孔子の「悪衣悪食を恥じる者とは語るに足らず」、顔回の一簞一瓢、汪信民の「菜根をかみしめれば百事なすべし」を引き、さらに孟子の「小を養いて大を失う」で結ぶ。上は相応に、下は分に安んじる、という分限の倫理が素行の飲食論を貫いている。『菜根譚』の書名もこの汪信民の語に由来するとされる。現代でも、収入に見合わない贅沢な食生活は、志と身体をともにゆるませていく。

この章句が説くこと

飲食分限忍耐志菜根孟子

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