山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
字書を習、文字讀書の事、是閑暇の間可付心の用也。程明道作字甚敬、嘗謂人曰、非欲字好、即此是學といへり。手足の用皆威儀の所具にして、是をゆるかせに仕るときは、放心の本也。かりそめの手すさみといへども、傾曲して不正には、其內の所養可知。故に字書を習はすにも、放心を以て戒とす。張思叔が座右の銘に、字畫必楷正と云へり。况や讀書の法漫なるべからず。其讀所の威儀放埓にして、或は枕を高して書をひらき、或は寢臥してこれを讀ときは、心こゝに不正を以て、內に記識する所あらず。ことに古今の聖賢天子高貴の人の行跡名氏その內にのれり。聊これをゆるかせにせんことは、大丈夫の意ならんや。顏氏家訓に、人の書籍を借ては、愛護をつゝしむ。是を士大夫百行の一也といへり。有狼藉几案、分散部帙、多爲童幼婢妾所點汚、風雨蟲鼠所毀傷、實爲累德と論ず。是可愼のゆへ也。分數は度量の用也。天地人物此數を不出。つゝしみて詳に考、今日の營を正しからしむべし。分數不明ば、過不及あつて皆たがふべし。
新字:字書を習、文字読書の事、是閑暇の間可付心の用也。程明道作字甚敬、嘗謂人曰、非欲字好、即此是学といへり。手足の用皆威儀の所具にして、是をゆるかせに仕るときは、放心の本也。かりそめの手すさみといへども、傾曲して不正には、其内の所養可知。故に字書を習はすにも、放心を以て戒とす。張思叔が座右の銘に、字画必楷正と云へり。況や読書の法漫なるべからず。其読所の威儀放埓にして、或は枕を高して書をひらき、或は寝臥してこれを読ときは、心こゝに不正を以て、内に記識する所あらず。ことに古今の聖賢天子高貴の人の行跡名氏その内にのれり。聊これをゆるかせにせんことは、大丈夫の意ならんや。顔氏家訓に、人の書籍を借ては、愛護をつゝしむ。是を士大夫百行の一也といへり。有狼藉几案、分散部帙、多為童幼婢妾所点汚、風雨虫鼠所毀傷、実為累徳と論ず。是可慎のゆへ也。分数は度量の用也。天地人物此数を不出。つゝしみて詳に考、今日の営を正しからしむべし。分数不明ば、過不及あつて皆たがふべし。
書き下し
字書を習、文字読書の事、是閑暇の間可付心の用也。程明道作字甚敬、嘗謂人曰、非欲字好、即此是学といへり。手足の用皆威儀の所具にして、是をゆるかせに仕るときは、放心の本也。かりそめの手すさみといへども、傾曲して不正には、其内の所養可知。故に字書を習はすにも、放心を以て戒とす。張思叔が座右の銘に、字画必楷正と云へり。況や読書の法漫なるべからず。其読所の威儀放埓にして、或は枕を高して書をひらき、或は寝臥してこれを読ときは、心こゝに不正を以て、内に記識する所あらず。ことに古今の聖賢天子高貴の人の行跡名氏その内にのれり。聊これをゆるかせにせんことは、大丈夫の意ならんや。顔氏家訓に、人の書籍を借ては、愛護をつゝしむ。是を士大夫百行の一也といへり。有狼藉几案、分散部帙、多為童幼婢妾所点汚、風雨虫鼠所毀傷、実為累徳と論ず。是可慎のゆへ也。分数は度量の用也。天地人物此数を不出。つゝしみて詳に考、今日の営を正しからしむべし。分数不明ば、過不及あつて皆たがふべし。
現代語訳
字を習い、文字を学び書物を読むことは、暇な間に心がけるべき用である。程明道は字を書くのにはなはだ敬み、かつて人に「字を上手にしたいのではない。これこそが学問なのだ」と言った。手足の働きはみな威儀の備わるところで、これをおろそかにすると放心(心が散る)のもととなる。ちょっとした手すさびであっても、字が傾き曲がって正しくなければ、その内に養っているものが知れる。だから字を習わせるにも、放心を戒めとする。張思叔の座右の銘に「字画は必ず楷正に」とある。まして読書の仕方はみだりであってはならない。読むときの姿が乱れて、あるいは枕を高くして書を開き、あるいは寝ころんで読むと、心が正しくないので、内に記憶することがない。とりわけ書物には古今の聖賢・天子・高貴の人の行跡や名が載っている。少しでもこれをおろそかにすることが、どうして大丈夫の心であろうか。『顔氏家訓』に「人の書籍を借りたら、大切に扱うことを慎む。これは士大夫の百の行いの一つである」とあり、「机の上に散らかし、巻帙をばらばらにして、多くは子どもや召使いに汚され、風雨や虫や鼠に損なわれる。まことに徳を損なうことである」と論じている。これが慎むべき理由である。分数(数)は度量の用である。天地人物はこの数を出ない。慎んで詳しく考え、今日の営みを正しくすべきである。分数が明らかでなければ、過不及があってすべてが食い違うであろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
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