大和俗訓 / 巻之三・心術上
一敬はつゝしむと訓ず。つゝしむとは、心に戒めおそるゝを云ふ。和語の意はつゝむなり。しはやすめ字なり。内につゝんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。こゝを以て、敬は一心のまもり、萬善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば亂る。萬のこと、敬まざることなかれ。萬善皆つゝしみによつて行はれ、萬惡皆不敬よりおこる。故に五常の德是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。こゝを以て、聖學は敬を以て要とす。故に聖學の始終、皆敬を以て宗とす。古來聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。學者の尤つとむべき所なり。又よくつゝしめば福あり。つゝしまざれば禍あり。白樂天も、禍與福在愼與不愼といへり。身のわざはひは、皆つゝしまざるによれり。故につゝしみは禍にかつといへり。
新字:一敬はつゝしむと訓ず。つゝしむとは、心に戒めおそるゝを云ふ。和語の意はつゝむなり。しはやすめ字なり。内につゝんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。こゝを以て、敬は一心のまもり、万善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば乱る。万のこと、敬まざることなかれ。万善皆つゝしみによつて行はれ、万悪皆不敬よりおこる。故に五常の徳是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。こゝを以て、聖学は敬を以て要とす。故に聖学の始終、皆敬を以て宗とす。古来聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。学者の尤つとむべき所なり。又よくつゝしめば福あり。つゝしまざれば禍あり。白楽天も、禍与福在慎与不慎といへり。身のわざはひは、皆つゝしまざるによれり。故につゝしみは禍にかつといへり。
書き下し
一敬はつつしむと訓ず。つつしむとは、心に戒めおそるるを云ふ。和語の意はつつむなり。しはやすめ字なり。内につつんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。ここを以て、敬は一心のまもり、万善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば乱る。万のこと、敬まざることなかれ。万善皆つつしみによつて行はれ、万悪皆不敬よりおこる。故に五常の徳是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。ここを以て、聖学は敬を以て要とす。故に聖学の始終、皆敬を以て宗とす。古来聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。学者の尤つとむべき所なり。又よくつつしめば福あり。つつしまざれば禍あり。白楽天も、禍と福とは慎むと慎まざるとに在りといへり。身のわざはひは、皆つつしまざるによれり。故につつしみは禍にかつといへり。
現代語訳
敬は「つつしむ」と読みます。つつしむとは、心に戒め恐れることをいいます。和語の意味は「つつむ」です。「し」は添え字です。内に包んで、みだりに外に出さないことです。つつしめば本心を保って失わず、行うことが道理にかなって誤りがありません。ですから、敬は一つの心の守りであり、あらゆる善の根本です。だから、つつしめば身が修まり、つつしまなければ乱れます。何事もつつしまないことがあってはいけません。あらゆる善はみなつつしみによって行われ、あらゆる悪はみな不敬から起こります。だから五常の徳はこれによって立ち、五倫の道はこれによって行われます。そこで聖人の学は敬を要とします。だから聖学の始めから終わりまで、みな敬を根本とします。昔からの聖賢の心の法は、みな敬の一字を要としています。学ぶ者が最も努めるべきところです。またよくつつしめば福があり、つつしまなければ禍があります。白楽天も「禍と福とは、つつしむとつつしまないとにある」と言いました。身の災いは、みなつつしまないことによります。だから、つつしみは禍に勝つと言われるのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二朱子曰く、事無き時は、敬は裏面に在り。事有る時は、敬は事上に在り、と。篤信窃かに謂ふ、居敬の工夫は、須らく内外を貫き動静を兼ぬることを要すべし。蓋し方に事無き時は、此の心固より当に内に存すべし。事有る時も、亦た当に心存して事苟もせざるべし。事有ると事無きと、内に存する者は異ならず。朱子の敬は事上に在りと謂ふ者は、心体内に存して、妙用外に応ずるなり。全く事上に在るに非ず。
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『慎思録』巻之五書は心画なり。心の出でて見はるる所なり。敬まざるべけんや。明道字を作る時甚だ敬む。曰く、字の好からんことを欲するに非ず。即ち此れ是れ学なり、と。司馬温公は平生未だ嘗て草書せず。造次顛沛の間と雖も、一点一画、必ず法度の如し。其の書を観る者、即ち公の為人を知る。是れ皆法と為すべし。予の先考は書を善くす。平生筆札に於て極めて謹厳なり。倉卒の際に当たると雖も、隻字も草略せず。始終一の如し。其の苟もせざること此くの如し。吾人の及ぶこと能はざる所なり。
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論語・為政篇子游孝を問う。子曰く、「今の孝者は、是れ能く養うと謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」
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『慎思録』巻之四静坐の説は、二程子より始まる。孔孟は未だ嘗て説かず。蓋し初学の人は、思慮煩擾し、心志定まり難し。故に姑く此を以て此の心を収拾す。是れ病に応ずるの薬なり。蓋し静は是れ動の本、動は是れ静の発なり。故に静を先にして動を後にすれば、則ち心に定主有り。其の事に応ずるや、力有りて乱れず。伊川易伝に曰く、翕聚せざれば、則ち発散すること能はず、と。亦た此の意なり。此れ静に偏るに非ずして、坐禅入定の法に似たり。若し静坐を将て別に一件の工夫と為さば、則ち坐禅と何ぞ異ならん。居敬の弊無きに如かざるなり。
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『酔古堂剣掃』集醒・常に惺惺たりと謂ふべし世人は白晝に寐語す、苟も能く寐中に白晝の語を作さば、常に惺惺たりと謂ふべし。
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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