山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
而趨走の容あり。是行を速にしてはしりはしるの禮也。玉藻曰、疾趨則欲發、而手足勿移、不邪低搖動也、端行、疾趨也頤霤如矢。頭直而臨前、頤如屋霤之垂也、曲禮曰。帷薄之外不趨、帷幔薄簾不見尊者、行自由不容堂上不趨、城上不趨、迫狹也執玉不趨、志重玉也といへり。容經曰。趨以微磬之容、飄然翼然、肩狀若流、足如射箭、趨容旋以微磬之容、其始動也、穆如驚倏、其固復也、旄如濯絲、蹕旋之容也といへり。是各趨走の禮なり。異朝には尊貴の前には速に通りて不止を禮とす。故に趨の禮容あり。すべて急用あらんには、趨り走るを以て禮とす。然れども或は人を驚かしめ、或は物に失あらんには、必ず趨るを不用。曲禮曰、入國不馳と云へるの心なり。
新字:而趨走の容あり。是行を速にしてはしりはしるの礼也。玉藻曰、疾趨則欲発、而手足勿移、不邪低揺動也、端行、疾趨也頤霤如矢。頭直而臨前、頤如屋霤之垂也、曲礼曰。帷薄之外不趨、帷幔薄簾不見尊者、行自由不容堂上不趨、城上不趨、迫狭也執玉不趨、志重玉也といへり。容経曰。趨以微磬之容、飄然翼然、肩状若流、足如射箭、趨容旋以微磬之容、其始動也、穆如驚倏、其固復也、旄如濯糸、蹕旋之容也といへり。是各趨走の礼なり。異朝には尊貴の前には速に通りて不止を礼とす。故に趨の礼容あり。すべて急用あらんには、趨り走るを以て礼とす。然れども或は人を驚かしめ、或は物に失あらんには、必ず趨るを不用。曲礼曰、入国不馳と云へるの心なり。
書き下し
而趨走の容あり。是行を速にしてはしりはしるの礼也。玉藻曰、疾趨則欲発、而手足勿移、不邪低揺動也、端行、疾趨也頤霤如矢。頭直而臨前、頤如屋霤之垂也、曲礼曰。帷薄之外不趨、帷幔薄簾不見尊者、行自由不容堂上不趨、城上不趨、迫狭也執玉不趨、志重玉也といへり。容経曰。趨以微磬之容、飄然翼然、肩状若流、足如射箭、趨容旋以微磬之容、其始動也、穆如驚倏、其固復也、旄如濯糸、蹕旋之容也といへり。是各趨走の礼なり。異朝には尊貴の前には速に通りて不止を礼とす。故に趨の礼容あり。すべて急用あらんには、趨り走るを以て礼とす。然れども或は人を驚かしめ、或は物に失あらんには、必ず趨るを不用。曲礼曰、入国不馳と云へるの心なり。
現代語訳
そして趨走(小走り)の容がある。これは歩みを速めて走る礼である。玉藻篇に「速く小走りするときは、足を勢いよく出そうとしても、手足は乱さない(斜めにしたり上下に揺らしたりしない)。まっすぐ行くときは(速く小走りすること)、頤が雨だれのように矢のごとくまっすぐ(頭をまっすぐにして前に向かい、頤が屋根の雨だれのように垂れる)」とある。曲礼篇に「帷や簾の外では小走りしない(帷幔や簾の外では尊者に見られないので、自由に行けばよく、容を作らない)。堂の上では小走りしない。城の上では小走りしない(狭いからである)。玉を執るときは小走りしない(玉を重んじるからである)」とある。『容経』に「小走りするには少し身をかがめた容で、ひらりと翼を広げたように、肩は流れるように、足は放たれた矢のように(趨の容)。身を巡らすには少し身をかがめた容で、動き始めはにわかに驚いたようにすばやく、元に戻るときは洗った糸のようにしなやかに(旋の容)」とある。これらがそれぞれ趨走の礼である。中国では尊貴の人の前は速やかに通り過ぎて止まらないのを礼とする。だから趨る礼の容がある。すべて急用があるときは、走って行くのを礼とする。けれども人を驚かせたり、物を損なったりするような場合には、決して走らない。曲礼篇に「国に入っては車馬を走らせない」とあるのはこの心である。
解説
この章句が説くこと
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