武士道 / 第六章 禮儀・炎天下に傘を傾ける人
禮、縱ひ容止をして文雅ならしむるに過ぎずとすとも、尙ほ大に益する所あり。然るに其用は獨り此れに止まらず。禮は慈悲辭讓の心より發し、人の感覺を察するの溫情を以て動き、即ち不忍の心の優美なる表示なり。禮は悲む者と共に悲み、喜ぶ者と共に喜ぶを要す。而して此種の教訓的節文の日常鎖細の事故に應じて現るゝ時、行爲の些小なるが爲に、多くは看過して、之を認むること難く、又た若し之を認むることあらんには、二十餘年間我國に滯在せる一外國婦人宣教師の、曾て予に語りたるが如くに、『醋だ笑ふべき』ものたり。人あり、炎々たる日中、傘を携へずして戶外を步み、偶ま面識あるものに逢ひ、會釋すとせよ。其人即ち帽を脫す、-好矣、これ大いに可し。
新字:礼、縦ひ容止をして文雅ならしむるに過ぎずとすとも、尚ほ大に益する所あり。然るに其用は独り此れに止まらず。礼は慈悲辞譲の心より発し、人の感覚を察するの温情を以て動き、即ち不忍の心の優美なる表示なり。礼は悲む者と共に悲み、喜ぶ者と共に喜ぶを要す。而して此種の教訓的節文の日常鎖細の事故に応じて現るゝ時、行為の些小なるが為に、多くは看過して、之を認むること難く、又た若し之を認むることあらんには、二十余年間我国に滞在せる一外国婦人宣教師の、曽て予に語りたるが如くに、『醋だ笑ふべき』ものたり。人あり、炎々たる日中、傘を携へずして戸外を歩み、偶ま面識あるものに逢ひ、会釈すとせよ。其人即ち帽を脫す、-好矣、これ大いに可し。
書き下し
礼、たとひ容止をして文雅ならしむるに過ぎずとすとも、なお大に益する所あり。然るに其用はひとり此れに止まらず。礼は慈悲辞譲の心より発し、人の感覚を察するの温情を以て動き、即ち不忍の心の優美なる表示なり。礼は悲む者と共に悲み、喜ぶ者と共に喜ぶを要す。而して此種の教訓的節文の、日常瑣細の事故に応じて現るる時、行為の些小なるが為に、多くは看過して之を認むること難く、又たもし之を認むることあらんには、二十余年間我国に滞在せる一外国婦人宣教師の、かつて予に語りたるが如くに、『はなはだ笑ふべき』ものたり。人あり、炎々たる日中、傘を携へずして戸外を歩み、たまたま面識あるものに逢ひ、会釈すとせよ。其人、即ち帽を脱す。好し、これ大いに可し。
現代語訳
礼が、たとえ立ち居振る舞いを優雅にするだけにすぎないとしても、なお大いに益するところがあります。しかしその働きはそれだけにとどまりません。礼は慈悲と譲る心から発し、人の感覚を察する温情によって動く、すなわち見るに忍びない心の優美な表れです。礼は悲しむ者とともに悲しみ、喜ぶ者とともに喜ぶことを要します。そしてこの種の教えを含んだ作法が、日常の些細な出来事に応じて現れるとき、行いが小さいために多くは見過ごされて気づかれにくく、また気づいたとしても、二十年余りわが国に滞在した一人の外国人女性宣教師がかつて私に語ったように、ひどくおかしなものに見えます。ある人が、炎天の日中に傘を持たずに外を歩いていて、たまたま知り合いに会って会釈するとしましょう。その人は帽子を脱ぐ。よろしい、これは大いに結構です。
解説
この章句が説くこと
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