春秋左氏伝 / 昭公二年 忠信は礼の器
夏,四月,韓須如齊逆女,齊陳無宇送女,致少姜。少姜有寵於晉侯,晉侯謂之少齊,謂陳無宇非卿,執諸中都。少姜為之請曰:「送從逆班,畏大國也,猶有所易,是以亂作。叔弓聘于晉,報宣子也。」晉侯使郊勞,辭曰:「寡君使弓來繼舊好。」固曰:「女無敢為賓,徹命於執事,敝邑弘矣;敢辱郊使,請辭。」致館,辭曰:「寡君命下臣來繼舊好,好合使成,臣之祿也,敢辱大館。」叔向曰:「子叔子知禮哉!吾聞之曰:『忠信,禮之器也;卑讓,禮之宗也;辭不忘國,忠信也;先國後己,卑讓也。』《詩》曰:『敬慎威儀,以近有德。』夫子近德矣。」
新字:夏,四月,韓須如斉逆女,斉陳無宇送女,致少姜。少姜有寵於晋侯,晋侯謂之少斉,謂陳無宇非卿,執諸中都。少姜為之請曰:「送従逆班,畏大国也,猶有所易,是以乱作。叔弓聘于晋,報宣子也。」晋侯使郊労,辞曰:「寡君使弓来継旧好。」固曰:「女無敢為賓,徹命於執事,敝邑弘矣;敢辱郊使,請辞。」致館,辞曰:「寡君命下臣来継旧好,好合使成,臣之禄也,敢辱大館。」叔向曰:「子叔子知礼哉!吾聞之曰:『忠信,礼之器也;卑譲,礼之宗也;辞不忘国,忠信也;先国後己,卑譲也。』《詩》曰:『敬慎威儀,以近有徳。』夫子近徳矣。」
書き下し
夏、四月、韓須齊に如きて女を逆ふ。齊の陳無宇女を送り、少姜を致す。少姜晉侯に寵有り、晉侯之を少齊と謂ふ。陳無宇を卿に非ずと謂ひて、諸を中都に執ふ。少姜之が為に請ひて曰く、「送るは逆ふるの班に從ふ。大國を畏るるなり。猶ほ易ふる所有り、是を以って亂作る」と。叔弓晉に聘す、宣子に報ゆるなり。晉侯郊勞せしむ。辭して曰く、「寡君弓をして來りて舊好を繼がしむ」と。固(かた)く曰く、「『女(なんぢ)敢へて賓と為る無かれ』と。命を執事に徹すれば、敝邑弘(おほ)いなり。敢へて郊使を辱めんや。請ふ辭せん」と。館を致す。辭して曰く、「寡君下臣に命じて來りて舊好を繼がしむ。好合し使成るは、臣の祿なり。敢へて大館を辱めんや」と。叔向曰く、「子叔子は禮を知れるかな。吾之を聞けり、曰く、『忠信は禮の器なり。卑讓は禮の宗なり。辭して國を忘れざるは、忠信なり。國を先にして己を後にするは、卑讓なり』と。《詩》に曰く、『威儀を敬慎し、以って有德に近づく』と。夫子は德に近し」と。
現代語訳
夏四月、晋の韓須が斉に行って花嫁を迎えた。斉の陳無宇が花嫁を送ってきて、少姜を晋に届けた。少姜は晋侯(平公)に寵愛され、晋侯は彼女を少斉と呼んだ。晋は、陳無宇が卿でない(身分が低い者を送ってきた)として、彼を中都で捕らえた。少姜は彼のために願い出て言った。「送る者は迎える者の位に合わせるものです。(晋から来たのが卿ではなかったのに、斉は)大国を畏れて、それでもなお格を改めて(上大夫を送り)ました。それでこのような混乱が起きたのです」。魯の叔弓(子叔子)が晋に聘問した。韓宣子の来聘に答礼するためである。晋侯は郊外に使者を出してねぎらわせた。叔弓は辞退して言った。「わが君は私を遣わして、古くからの友好を継がせようとしたのです」。さらに固辞して言った。「(わが君は)『おまえは決して賓客としてふるまってはならない』と申しました。わが君の言葉を執事の方にお伝えできれば、それでわが国には十分な光栄です。郊外にまでお使いをいただくのは畏れ多いことです。どうか辞退させてください」。宿舎を用意されると、辞退して言った。「わが君が私に命じて古くからの友好を継がせたのです。友好が結ばれ、使命が果たされれば、それが私にとっての恩恵です。立派な宿舎をいただくわけにはまいりません」。叔向は言った。「子叔子は礼を知っている。私はこう聞いている。『忠信は礼の器であり、へりくだって譲ることは礼の根本である。辞退しながら国を忘れないのは忠信である。国を先にして自分を後にするのは卑譲である』。『詩』に『威儀を慎んで、徳ある人に近づく』とある。あの方は徳に近い」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公八年 彤弓を賦す晉の范宣子來聘し、且つ公の辱を拜し、將に師を鄭に用ゐんとするを告ぐ。公之を享す。宣子、摽有梅を賦す。季武子曰く、「誰か敢へてせんや。今、草木に譬ふれば、寡君の君に在るは、君の臭味なり。歡んで以て命を承けん、何の時か之れ有らん」と。武子、角弓を賦す。賓將に出でんとす。武子、彤弓を賦す。宣子曰く、「城濮の役に、我が先君文公、功を衡雍に獻じ、彤弓を襄王に受けて、以て子孫の藏と為す。匄や、先君の守官の嗣なり。敢へて命を承けざらんや」と。君子以て禮を知ると為す。
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『春秋左氏伝』文公三年 菁菁たる莪を賦す晉人其の公に無禮なりしを懼れ、盟を改めんことを請ふ。公晉に如き、晉侯に及びて盟ふ。晉侯公を饗し、《菁菁者莪》を賦す。莊叔公を以って降りて拜し、曰く、「小國命を大國に受く。敢へて儀を慎まざらんや。君之に貺(たま)ふに大禮を以ってす。何の樂しみか之に如かん。抑も小國の樂しみは、大國の惠なり」と。晉侯降りて辭す。登りて拜を成す。公《嘉樂》を賦す。
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『春秋左氏伝』昭公二年 周礼尽く魯に在り二年春、晉侯韓宣子をして來聘せしむ。且つ政を為すを告げて來り見ゆ、禮なり。書を大史氏に觀、易象と魯の春秋とを見て曰く、「周禮盡く魯に在り。吾乃ち今周公の德と、周の王たる所以とを知れり」と。公之を享す。季武子《綿》の卒章を賦し、韓子《角弓》を賦す。季武子拜して曰く、「敢へて子の敝邑を彌縫するを拜す。寡君望み有り」と。武子《節》の卒章を賦す。既に享し、季氏に宴す。嘉樹有り。宣子之を譽む。武子曰く、「宿敢へて此の樹を封殖して、以って《角弓》を忘るること無からざらんや」と。遂に《甘棠》を賦す。宣子曰く、「起は堪へざるなり、以って召公に及ぶ無し」と。宣子遂に齊に如きて幣を納る。子雅に見ゆ。子雅子旗を召し、宣子に見えしむ。宣子曰く、「家を保つの主に非ざるなり、臣ならず」と。子尾に見ゆ。子尾彊を見えしむ。宣子之を謂ふこと子旗の如し。大夫多く之を笑ふ。唯だ晏子之を信じて曰く、「夫子は君子なり。君子は信有り、其れ以って之を知る有らん」と。齊より衛に聘す。衛侯之を享す。北宮文子《淇澳》を賦し、宣子《木瓜》を賦す。
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『春秋左氏伝』文公四年 甯武子、湛露に答えず衛の甯武子來聘す。公之と宴し、為に《湛露》及び《彤弓》を賦す。辭せず、又荅賦せず。行人をして私(ひそ)かにせしむ。對へて曰く、臣以為へらく肄業して之に及べるなり。昔諸侯正を王に朝し、王宴して之を樂しましむ。是に於いてか《湛露》を賦す。則ち天子陽に當たり、諸侯命を用ゐるなり。諸侯王の愾(いきどほ)る所に敵して、其の功を獻ず。王是に於いてか之に賜ふ、彤弓一、彤矢百、玈弓矢千、以って報宴を覺(あらは)す。今陪臣來りて舊好を繼ぐ。君辱くも之を貺ふ。其れ敢へて大禮を干(をか)して以って自ら戾(つみ)を取らんや、と。冬、成風薨ず。
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『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、邑を辞す鄭伯陳に入るの功を賞す。三月、甲寅、朔、子展を享し、之に先路と三命の服を賜ひ、先づ八邑。子產に次路と再命の服を賜ひ、先づ六邑。子產邑を辭して曰く、「上より以下、隆殺するに兩を以てするは、禮なり。臣の位は四に在り。且つ子展の功なり。臣敢へて賞禮に及ばず。請ふ邑を辭せん」と。公固く之を予ふ。乃ち三邑を受く。公孫揮曰く、「子產其れ將に政を知らんとす。讓りて禮を失はず」と。晉人孫氏の故の為に諸侯を召し、將に以て衛を討たんとす。夏、中行穆子來聘す。公を召すなり。
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