山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
次に行步の容あり。座席堂上の行步あり。朝廷燕居その節あり。道路の行歩其容あり。玉藻曰。步中武象、佩玉象聲緩、則武象趨中韶濩、速則中之凡行容惕々、直疾貌廟中齊々、嚴正朝廷濟々翔々、有威儀也堂上接武、每移足、半躡之、中人之迹尺二寸、堂下布武、不躡足也室中不翔。張拱曰翔容經曰。行以微磬之容、臂不搖掉、肩不上下、身似不則、從然而徃、行容といへり。然れば立て座席を步むには、必ず前を具に見て、人物を不可蹈潰。故に足を重くして席を不可離。人の不在處にゆくとも、聲をいだして、內に人あらばこれをしらしむべし。密に行くべからず。禮曰。將上堂、聲必揚、戶外有二履、言聞則入、言不聞則不入、將入戶、視必下、入戶奉扃、關木也、兩手當心、如奉扃也、云々、視瞻毋回、戶開亦開、戶闔亦闔、有後入者、闔而勿遂、毋踐履、毋踖席、摳衣趨隅、必愼唯諾とあり。
新字:次に行歩の容あり。座席堂上の行歩あり。朝廷燕居その節あり。道路の行歩其容あり。玉藻曰。歩中武象、佩玉象声緩、則武象趨中韶濩、速則中之凡行容惕々、直疾貌廟中斉々、厳正朝廷済々翔々、有威儀也堂上接武、毎移足、半躡之、中人之迹尺二寸、堂下布武、不躡足也室中不翔。張拱曰翔容経曰。行以微磬之容、臂不揺掉、肩不上下、身似不則、従然而往、行容といへり。然れば立て座席を歩むには、必ず前を具に見て、人物を不可蹈潰。故に足を重くして席を不可離。人の不在処にゆくとも、声をいだして、内に人あらばこれをしらしむべし。密に行くべからず。礼曰。将上堂、声必揚、戸外有二履、言聞則入、言不聞則不入、将入戸、視必下、入戸奉扃、関木也、両手当心、如奉扃也、云々、視瞻毋回、戸開亦開、戸闔亦闔、有後入者、闔而勿遂、毋践履、毋踖席、摳衣趨隅、必慎唯諾とあり。
書き下し
次に行歩の容あり。座席堂上の行歩あり。朝廷燕居その節あり。道路の行歩其容あり。玉藻曰。歩中武象、佩玉象声緩、則武象趨中韶濩、速則中之凡行容惕々、直疾貌廟中斉々、厳正朝廷済々翔々、有威儀也堂上接武、毎移足、半躡之、中人之迹尺二寸、堂下布武、不躡足也室中不翔。張拱曰翔容経曰。行以微磬之容、臂不揺掉、肩不上下、身似不則、従然而往、行容といへり。然れば立て座席を歩むには、必ず前を具に見て、人物を不可蹈潰。故に足を重くして席を不可離。人の不在処にゆくとも、声をいだして、内に人あらばこれをしらしむべし。密に行くべからず。礼曰。将上堂、声必揚、戸外有二履、言聞則入、言不聞則不入、将入戸、視必下、入戸奉扃、関木也、両手当心、如奉扃也、云々、視瞻毋回、戸開亦開、戸闔亦闔、有後入者、闔而勿遂、毋践履、毋踖席、摳衣趨隅、必慎唯諾とあり。
現代語訳
次に歩く容がある。座敷や堂上での歩き方があり、朝廷と燕居ではそれぞれの節度があり、道路での歩き方にもその容がある。玉藻篇に「歩みは武象(周の楽の名)の拍子にかない(佩玉の音が象の拍子に合う。声が緩やかなら武象)、小走りは韶濩(舜・湯の楽)の拍子にかなう(速ければそれにかなう)。およそ歩く容は惕々(まっすぐで速いさま)、廟の中では斉々(厳かで正しい)、朝廷では済々翔々(威儀あるさま)。堂上では接武(足を移すたびに半歩ずつ踏む。人の足跡は一尺二寸)、堂下では布武(足を踏み重ねない)、室の中では翔ばない(両手を張って組むのを翔という)」とある。『容経』に「歩くには少し身をかがめた容で、臂を振り回さず、肩を上下させず、身は動かぬかのようにして、すらすらと進む(行の容)」とある。それゆえ立って座敷を歩くときは、必ず前をよく見て、人や物を踏みつぶしてはならない。だから足を重くして畳から離さないのである。人のいない所に行くときでも、声を出して、中に人がいればそれを知らせるべきである。こっそり行ってはならない。『礼記』に「堂に上ろうとするときは、必ず声を上げる。戸外に履が二足あるとき、話し声が聞こえれば入り、聞こえなければ入らない。戸に入ろうとするときは、視線を必ず下げる。戸に入るときは扃(かんぬきの木)を捧げ持つように両手を胸に当てる、云々。見回してはならない。戸が開いていれば開けたままにし、閉まっていれば閉めておく。後から入る者があれば、閉めても閉め切らない。人の履を踏まず、席を踏み越えず、裾をからげて隅へ小走りに行き、返事は必ず慎む」とある。
解説
この章句が説くこと
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