山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
大丈夫居處常に變を不忘して、而して恭敬の心を存すべし。燕居閑暇にして無事なりと云とも、聊忽にし怠て、禮を不可亂也。しかれば坐しては立ことを思、閑にしては動くの利を思ふ。是君子のつとめなり。曲禮に並坐不橫肱と云へり。是人と並て坐するの法也。與人同處、不可自擇便利と云は、夏はすゞしからん處を擇、冬は暖かならん處を擇、すべて我に利するの坐を不可好の制也。漢の管寧一の木榻に坐して、五十餘年ついに未箕股、其榻上當膝處皆穿たりと云へり。宋の程明道終日端坐如泥塑人と云。各獨坐して其形を不亂。其平處を養のいひ也。無事にしては靜坐して其氣象を養立て、敖惰の形を不見、人と接しては、坐爰に恭敬して、和氣を以てす。是大丈夫の坐法也。坐して箕のひろがるが如く、手足の容を不收、怠慢のすがたあらはれ、坐するかとすれば則立、々ときは又坐して躁妄ならんには、心こゝに一定不爲也。豈大丈夫の道ならんや。玉藻曰、燕居告温々といへり。燕居は、是居處のしづかなる也。又曰、君子之居、恒當戶と云は、明に向ふのこと也。
新字:大丈夫居処常に変を不忘して、而して恭敬の心を存すべし。燕居閑暇にして無事なりと云とも、聊忽にし怠て、礼を不可乱也。しかれば坐しては立ことを思、閑にしては動くの利を思ふ。是君子のつとめなり。曲礼に並坐不横肱と云へり。是人と並て坐するの法也。与人同処、不可自択便利と云は、夏はすゞしからん処を択、冬は暖かならん処を択、すべて我に利するの坐を不可好の制也。漢の管寧一の木榻に坐して、五十余年ついに未箕股、其榻上当膝処皆穿たりと云へり。宋の程明道終日端坐如泥塑人と云。各独坐して其形を不乱。其平処を養のいひ也。無事にしては静坐して其気象を養立て、敖惰の形を不見、人と接しては、坐爰に恭敬して、和気を以てす。是大丈夫の坐法也。坐して箕のひろがるが如く、手足の容を不収、怠慢のすがたあらはれ、坐するかとすれば則立、々ときは又坐して躁妄ならんには、心こゝに一定不為也。豈大丈夫の道ならんや。玉藻曰、燕居告温々といへり。燕居は、是居処のしづかなる也。又曰、君子之居、恒当戸と云は、明に向ふのこと也。
書き下し
大丈夫居処常に変を不忘して、而して恭敬の心を存すべし。燕居閑暇にして無事なりと云とも、聊忽にし怠て、礼を不可乱也。しかれば坐しては立ことを思、閑にしては動くの利を思ふ。是君子のつとめなり。曲礼に並坐不横肱と云へり。是人と並て坐するの法也。与人同処、不可自択便利と云は、夏はすゞしからん処を択、冬は暖かならん処を択、すべて我に利するの坐を不可好の制也。漢の管寧一の木榻に坐して、五十余年ついに未箕股、其榻上当膝処皆穿たりと云へり。宋の程明道終日端坐如泥塑人と云。各独坐して其形を不乱。其平処を養のいひ也。無事にしては静坐して其気象を養立て、敖惰の形を不見、人と接しては、坐爰に恭敬して、和気を以てす。是大丈夫の坐法也。坐して箕のひろがるが如く、手足の容を不収、怠慢のすがたあらはれ、坐するかとすれば則立、々ときは又坐して躁妄ならんには、心こゝに一定不為也。豈大丈夫の道ならんや。玉藻曰、燕居告温々といへり。燕居は、是居処のしづかなる也。又曰、君子之居、恒当戸と云は、明に向ふのこと也。
現代語訳
大丈夫(一人前の武士)は、居るときも常に変事を忘れず、そのうえで恭しく敬う心を保つべきである。くつろいで暇で何事もないときでも、少しもおろそかにし怠けて礼を乱してはならない。だから坐っていては立つことを思い、静かにしていては動くときの備えを思う。これが君子の務めである。曲礼篇に「並んで坐るときは肱を横に張らない」とある。これは人と並んで坐る法である。「人と同じ所にいるときは、自分に便利な所を選ばない」とあるのは、夏は涼しい所を選び、冬は暖かい所を選ぶといった、すべて自分に都合のよい席を好んではならないという定めである。漢の管寧は一つの木の腰掛けに坐って五十年余り、ついに一度も足を投げ出さず、その腰掛けの膝の当たる所はすっかり穴があいたという。宋の程明道は一日中端坐して土人形のようであったという。それぞれ一人で坐っていても姿を乱さなかった。ふだんの心を養うことを言ったものである。事のないときは静坐して気象を養い、おごり怠ける姿を見せず、人と接するときは坐ったまま恭しく敬い、和やかな気で接する。これが大丈夫の坐法である。坐って箕を広げたように手足をしまわず、怠けた姿が表れ、坐ったかと思えば立ち、立ったかと思えばまた坐って落ち着きがないようでは、心がそこに定まらない。どうして大丈夫の道であろうか。玉藻篇に「燕居では温々(穏やか)」とある。燕居とは、住まいの静かなことである。また「君子が居るときは、常に戸口に向かう」とあるのは、明るい方に向かうことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
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