山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
又玉藻に玉色ありと云へるは、すべて人の顏色和順なることを論じたる也。君召使擯、色勃如、過位色勃如、出降一等、逞顏色、怡々如也と云は、孔子の君命を敬するの色也。色斯擧矣、翔而後集と云は、君子の見幾而作つことをいへり。色厲而內荏、譬諸小人、其猶穿窬之盜と孔子の宣は、內外の相違するを云也。曾子曰、正顏色斯近信とあり。各顏色をつゝしむゆゑん也。但內その志を不改して、好言令色するの小人あり。色荏の姦人あつて、色を以て君子の形をなすあり。是甚侫姦邪欲のものゝ致す處にして、しばらく人を僞るにたれりといへども、ついには其あやまり發見すべし。况や君子の小人をみることは、肺肝を如見なれば、かくさんとするに無由、不善を揜ふにかくるゝ處あるべからず。
新字:又玉藻に玉色ありと云へるは、すべて人の顔色和順なることを論じたる也。君召使擯、色勃如、過位色勃如、出降一等、逞顔色、怡々如也と云は、孔子の君命を敬するの色也。色斯挙矣、翔而後集と云は、君子の見幾而作つことをいへり。色厲而内荏、譬諸小人、其猶穿窬之盗と孔子の宣は、内外の相違するを云也。曽子曰、正顔色斯近信とあり。各顔色をつゝしむゆゑん也。但内その志を不改して、好言令色するの小人あり。色荏の姦人あつて、色を以て君子の形をなすあり。是甚侫姦邪欲のものゝ致す処にして、しばらく人を偽るにたれりといへども、ついには其あやまり発見すべし。況や君子の小人をみることは、肺肝を如見なれば、かくさんとするに無由、不善を揜ふにかくるゝ処あるべからず。
書き下し
又玉藻に玉色ありと云へるは、すべて人の顔色和順なることを論じたる也。君召使擯、色勃如、過位色勃如、出降一等、逞顔色、怡々如也と云は、孔子の君命を敬するの色也。色斯挙矣、翔而後集と云は、君子の見幾而作つことをいへり。色厲而内荏、譬諸小人、其猶穿窬之盗と孔子の宣は、内外の相違するを云也。曽子曰、正顔色斯近信とあり。各顔色をつゝしむゆゑん也。但内その志を不改して、好言令色するの小人あり。色荏の姦人あつて、色を以て君子の形をなすあり。是甚侫姦邪欲のものゝ致す処にして、しばらく人を偽るにたれりといへども、ついには其あやまり発見すべし。況や君子の小人をみることは、肺肝を如見なれば、かくさんとするに無由、不善を揜ふにかくるゝ処あるべからず。
現代語訳
また玉藻篇に「玉の色」とあるのは、およそ人の顔色が和やかで素直であることを論じたものである。『論語』に「君が召して擯(接待役)を命じると、顔色をにわかに改め、君の席の前を過ぎるときも顔色を改めた。退出して階段を一段下りると、顔色をゆるめて、にこやかであった」とあるのは、孔子が君命を敬う顔色である。「(鳥は人の)顔色を見て飛び立ち、空を巡ってから止まる」とあるのは、君子が兆しを見て動くことを言ったものである。孔子が「顔つきは厳しいのに内心は弱い者は、小人にたとえれば、壁に穴をあけて忍び込む盗人のようなものだ」と言われたのは、内と外が食い違うことを言う。曾子は「顔色を正せば信に近づく」と言った。これらはみな顔色を慎む理由である。ただし、内の志を改めないまま、言葉を巧みにし顔色をよく繕う小人がいる。内心は弱いのに顔色によって君子の姿を装う悪人もいる。これはひどくへつらい、よこしまな欲を持つ者のすることで、しばらくは人を欺けても、ついにはその誤りが露見する。まして君子が小人を見るときは、肺や肝まで見通すようであるから、隠そうとしても隠しようがなく、不善を覆っても隠れるところはない。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻一答て云く、外相を飾らずとて、即ち放逸ならば亦是れ道理に差ふ、実徳を蔵すと云ふて、在家等の前にて悪行を現せば亦た是れ破戒の甚だしきなり、只希有の道心者、道者の由を人に知られんと思ひ、身にある失を人に知られじと思へども、諸天善神及び三宝の冥に知見する処なり、夫をば愧ずして、世人に貴とびられんと思ふ意ろを誠むるなり、只時にのぞみ事に触て、興法の為め利生の為に、諸事を斟酌すべきなり、擬して後に云ひ、思て後に行して、卒暴なること莫れとなり、
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『呻吟語』内篇・談道・只だ內と本と有るのみ內外本末交ごも相培養す、此の語は余の未だ喻らざる所なり。只だ內と本と有るのみ。那の外と末とは張主し得ること甚ぞ。
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