呻吟語 / 内篇・談道・吾が心を内と為せば、則ち吾が身も亦た外物なり
以吾身為內,則吾身之外皆外物也。故富貴利達,可生可榮,苟非道焉,而君子不居。以吾心為內,則吾身亦外物也。故貧賤憂慼,可辱可殺,苟道焉,而君子不辭。
新字:以吾身為内,則吾身之外皆外物也。故富貴利達,可生可栄,苟非道焉,而君子不居。以吾心為内,則吾身亦外物也。故貧賤憂慼,可辱可殺,苟道焉,而君子不辞。
書き下し
吾が身を以て内と為せば、則ち吾が身の外は皆外物なり。故に富貴利達は、生く可く榮ゆ可きも、苟くも道に非ざれば、君子居らず。吾が心を以て内と為せば、則ち吾が身も亦た外物なり。故に貧賤憂慼は、辱む可く殺す可きも、苟くも道ならば、君子辭せず。
現代語訳
自分の体を内とすれば、体の外はすべて外の物です。ですから富や地位や出世は、生きるためにも栄えるためにもなりますが、道でなければ君子はそこに身を置きません。自分の心を内とすれば、体もまた外の物です。ですから貧しさや卑しさや憂いや悲しみは、辱められ殺されることにもなりますが、道であれば君子は辞退しません。
解説
内と外の境目をどこに引くかで、行動が変わることが示されます。体を内とすれば富貴は外の物になり、道でなければ受け取らない。心を内とすれば体まで外の物になり、道であれば辱めも死も辞さない。境目を一段内側に動かすだけで、覚悟の範囲が広がるという構造です。抽象的な献身が、線の引き方の問題として説明されています。
この章句が説くこと
内外境目富貴貧賤覚悟
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・只だ內と本と有るのみ內外本末交ごも相培養す、此の語は余の未だ喻らざる所なり。只だ內と本と有るのみ。那の外と末とは張主し得ること甚ぞ。
-
『正法眼蔵随聞記』巻二然あれば古人の云く、内ち空しふして外したがふと、云心は、内心は我心なふして、外相は他に随がひもてゆくなり、我が身我が心と云ふ事を一向に忘れて、仏法に入て仏法のおきてに任かせて、行じもてゆけば、内外ともによく今も後もよきなり、仏法の中もそぞろに身をすて、世をすつればとて、棄つべからざる事をすつるは非なり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻一夜話に云く、今ま世出世間の人、多分は善事をなしては、かまへて人に知られんと思ひ、悪事を作して人に知られじと思ふ、是に依て内外不相応のこと出で来たる、あひかまへて内外相応じ、錯まりを悔ゐ、実徳をかくして、外相をかざらず好事をば他人にゆづり、悪事をば己れにむかふる志気あるべきなり、問て云く実徳を蔵し外相を飾らざらんこと、寔とに然るべし、但し仏菩薩は大悲利生を以て本とす、無智の道俗等外相の不善を見て是を謗り難せば、謗僧の罪を感ぜん、実徳を知らずとも、外相を見て貴とび供養せば、一分の福分たるべし、是らの斟酌いかなるべきぞ、
-
『正法眼蔵随聞記』巻二亦云く、世俗の礼にも人の見ざる処、あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも、放逸に隠処なんどをも蔵くさす無礼なるをば、天に慚ぢず鬼に慚ぢずとてそしるなり、只た人の見る時と同じく、かくすべき処をもかくし、はづべきことをもはづるなり、仏法の中も亦戒律かくのごとし、然あれば道者は内外を論ぜす、明暗を択はず、仏制を心に存して、人の見ず知らざればとて、悪事を行すべからざるなり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻一答て云く、外相を飾らずとて、即ち放逸ならば亦是れ道理に差ふ、実徳を蔵すと云ふて、在家等の前にて悪行を現せば亦た是れ破戒の甚だしきなり、只希有の道心者、道者の由を人に知られんと思ひ、身にある失を人に知られじと思へども、諸天善神及び三宝の冥に知見する処なり、夫をば愧ずして、世人に貴とびられんと思ふ意ろを誠むるなり、只時にのぞみ事に触て、興法の為め利生の為に、諸事を斟酌すべきなり、擬して後に云ひ、思て後に行して、卒暴なること莫れとなり、
-
『呻吟語』内篇・修身・內外の分に明らかなり凡そ我に在る者は都て是れ分內底なり、天に在り人に在る者は都て是れ分外底なり。學者は內外の分に明らかなるを要す。則ち內に在りて一分を缺けば便ち是れ人と成らざる處、外に在りて一分を得れば便ち是れ該に足るを知るべき處なり。