山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
九拜之中四種、是正拜。一曰𥡴首、二曰頓首、三曰空首、四曰肅擈。空首者先以兩手拱至地、乃頭至手也。頓首者、是空首之時、引頭至地、少時即擧也。疏曰、頓首、拜頭叩地也。至地即擧、故以叩地爲別。謂若以首叩物也。𥡴首者、𥡴是𥡴留之義、頭至地多時方擧也。𥡴首拜中最重。臣拜君之拜、若頓首、則平敵自相拜之拜也。若空首者、君答臣下之拜也。其有敬事、則亦𥡴首也。肅於拜中最輕。唯軍中有之。婦人亦以肅拜爲正。肅拜者、但俯下手也。餘五拜、附此四種、云々。是皆禮の品々にして、其頭頸の高下に因て禮の上下を定むるのゆへ也。故に面の貌をつゝしむ也。玉藻曰、頭容直と云へるは是也。
新字:九拝之中四種、是正拝。一曰𥡴首、二曰頓首、三曰空首、四曰粛擈。空首者先以両手拱至地、乃頭至手也。頓首者、是空首之時、引頭至地、少時即挙也。疏曰、頓首、拝頭叩地也。至地即挙、故以叩地為別。謂若以首叩物也。𥡴首者、𥡴是𥡴留之義、頭至地多時方挙也。𥡴首拝中最重。臣拝君之拝、若頓首、則平敵自相拝之拝也。若空首者、君答臣下之拝也。其有敬事、則亦𥡴首也。粛於拝中最軽。唯軍中有之。婦人亦以粛拝為正。粛拝者、但俯下手也。余五拝、附此四種、云々。是皆礼の品々にして、其頭頸の高下に因て礼の上下を定むるのゆへ也。故に面の貌をつゝしむ也。玉藻曰、頭容直と云へるは是也。
書き下し
九拝之中四種、是正拝。一曰𥡴首、二曰頓首、三曰空首、四曰粛擈。空首者先以両手拱至地、乃頭至手也。頓首者、是空首之時、引頭至地、少時即挙也。疏曰、頓首、拝頭叩地也。至地即挙、故以叩地為別。謂若以首叩物也。𥡴首者、𥡴是𥡴留之義、頭至地多時方挙也。𥡴首拝中最重。臣拝君之拝、若頓首、則平敵自相拝之拝也。若空首者、君答臣下之拝也。其有敬事、則亦𥡴首也。粛於拝中最軽。唯軍中有之。婦人亦以粛拝為正。粛拝者、但俯下手也。余五拝、附此四種、云々。是皆礼の品々にして、其頭頸の高下に因て礼の上下を定むるのゆへ也。故に面の貌をつゝしむ也。玉藻曰、頭容直と云へるは是也。
現代語訳
九拝のうち四種が正式の拝である。一に稽首、二に頓首、三に空首、四に粛拝。空首とは、まず両手を組んで地に着け、そこへ頭を手まで下げるものである。頓首とは、空首のときに頭を引いて地に着け、少しの間ですぐ挙げるものである。疏に「頓首は、拝して頭で地を叩くことである。地に着けてすぐ挙げるので、地を叩くことで区別する。頭で物を叩くようなことをいう」とある。稽首とは、稽は留める意味で、頭を地に着けて長くしてからようやく挙げるものである。稽首は拝の中で最も重く、臣が君を拝する拝である。頓首は対等の者どうしが互いに拝する拝である。空首は、君が臣下に答える拝である。敬うべき事があれば、やはり稽首をする。粛拝は拝の中で最も軽く、ただ軍中にだけある。婦人もまた粛拝を正式とする。粛拝とは、ただ身をかがめて手を下げるだけである。残りの五拝はこの四種に付随する、云々。これらはみな礼の種類であって、頭頸の高低によって礼の上下を定めるからである。だから顔の姿を慎むのである。玉藻篇に「頭の容はまっすぐに」とあるのはこのことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之四・礼一曲礼曰く、敬せざること毋かれ。凡人事の視聴言動より出づる処、万事敬しまざる事なかるべし。敬とは、心に道に違はん事をおそれて、恣ならざるを云ふ。是心をたもち、身ををさめ、事を行ふ則なり。是礼の本なり。古より、聖人賢人の心法は、敬を以て要とし給ふ。凡身の行儀作法なく、道を失ひ、禍おこるも、皆敬まざるによれり。古語にも敬めば、禍にかつといへり。つつしめば禍なし。白楽天が言に、福と禍とは慎むと慎まざるとに在りといへり。
-
『五常訓』巻之四・礼一君子は天地をおそれうやまふ。故に大風、大雨、迅雷などの時は、容をあらためて、夜はおきて衣服を著て坐す。是天のいかりを敬ふ礼なり。是亦天につかうまつるの道の一端なり。一少儀曰、虚を執れども盈をとるが如く、虚に入れども人あるが如くにす。いふ意は、内に物なき器をとるにも、盈ちてこぼれやすき器をとるが如く、おそれつつしむべし。人の居らざる家に入るにも、人あるが如くつつしむべし。是は敬の心常にあるを云ふ。礼の本なり。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼は心につつしみありて、人をうやまふを本とし、万事を行ふに、則にしたがひて、正しく理あるを文とす。則とは作法なり。孝経に、礼は敬のみ。云ふ意は、礼は敬を専らとす。而已とは、此外には無しと云ふ詞なり。朱子曰く、礼の本は人を敬ふに在り。人をうやまふは、心のつつしみより起る。人を敬ふも、其人をあはれむ心より出づる故朱子も、礼は仁のあらはれたる也といへり。礼記曰、礼は理也。周子曰く、理を礼と曰ふ、理はすぢめなり。すぢめとは、万事を行ふに、各正しき則ありて、其則にちがはざるは、即理なり。理にしたがへば、万事正しくしてをさまる。理にしたがはざれば、万事邪にして、みだれて行はれず。朱子曰、礼は天理の節文、人事の儀則なり。
-
『春秋左氏伝』成公十三年 礼は身の幹十三年春、晉侯郤錡をして來りて師を乞はしむ。事を將ふに敬せず。孟獻子曰く、「郤氏其れ亡びんか。禮は身の幹なり。敬は身の基なり。郤子基無し。且つ先君の嗣卿なり。命を受けて以って師を求む、將に社稷を是れ衛らんとするなり。而るに惰りて君命を棄つ。亡びずして何をか為さん」と。
-
『春秋左氏伝』僖公十一年 礼は国の幹十一年春、晉侯使ひして丕鄭の亂を以て來り告げしむ。天王召の武公・內史過をして晉侯に命を賜はしむ。玉を受くること惰る。過歸りて王に告げて曰く、「晉侯其れ後無からんか。王之に命を賜ひて、瑞を受くるに惰る、先づ自ら棄つるのみ、其れ何の繼ぐこと之れ有らん。禮は、國の幹なり。敬は、禮の輿なり。敬せずんば則ち禮行はれず、禮行はれずんば則ち上下昏し、何を以てか世に長からん」と。夏、揚・拒・泉・皋・伊雒の戎同じく京師を伐ち、王城に入り、東門を焚く、王子帶之を召けばなり。秦・晉戎を伐ちて以て周を救ふ。秋、晉侯戎を王に平らぐ。黃人楚に貢を歸さず。冬、楚人黃を伐つ。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る