山鹿語類 / 士道・愼容貌之動
案ずるに容貌に朝廷の容あり。朝廷出仕の容は、恒に敬して心に居所を不忘、進退周還ともに心やすからず、唯うや〳〵しく敬で威儀を不失を以てす。孔子の容色をうつして、君在踧踖如也、恭敬不寧之貌與々如也、威儀中適之貌といへるが如き、是朝廷の容也。詳出臣禮篇燕居の容あり。云心は外家に不出して私に居するときは、容貌をゆるやかにして、閑暇無事の時に其氣を可養。然れども怠慢無禮の形をなしなんことは、尤も君子の道に非ず。唯顏色をのびやかに、和順ならしむるにあり。子之燕居するとき申々如也天々如也と云は、此心なるべし。申々は其容舒也。天々は其色愉也と注せり。而して喪祭の容、冠昏の容、賓客の容あり。各其事を詳にして、其品に應ずべし。唯敬以て其容をたゞしくするに在る耳也。玉藻曰、凡祭、容貌顏色、如見所祭者、喪容纍々、痩瘠也色容顚々、憂患貌視容瞿々梅々、驚遽微々貌言容繭々聲色微也。少儀曰、吉事尙尊、喪事尙親、賓客主恭といへり。况や冠禮昏禮各其禮容あつて、儀禮に詳なることを示す。これを考へて、其時宜を委しくして、容貌をならはすべし。
新字:案ずるに容貌に朝廷の容あり。朝廷出仕の容は、恒に敬して心に居所を不忘、進退周還ともに心やすからず、唯うや〳〵しく敬で威儀を不失を以てす。孔子の容色をうつして、君在踧踖如也、恭敬不寧之貌与々如也、威儀中適之貌といへるが如き、是朝廷の容也。詳出臣礼篇燕居の容あり。云心は外家に不出して私に居するときは、容貌をゆるやかにして、閑暇無事の時に其気を可養。然れども怠慢無礼の形をなしなんことは、尤も君子の道に非ず。唯顔色をのびやかに、和順ならしむるにあり。子之燕居するとき申々如也天々如也と云は、此心なるべし。申々は其容舒也。天々は其色愉也と注せり。而して喪祭の容、冠昏の容、賓客の容あり。各其事を詳にして、其品に応ずべし。唯敬以て其容をたゞしくするに在る耳也。玉藻曰、凡祭、容貌顔色、如見所祭者、喪容纍々、痩瘠也色容顛々、憂患貌視容瞿々梅々、驚遽微々貌言容繭々声色微也。少儀曰、吉事尚尊、喪事尚親、賓客主恭といへり。況や冠礼昏礼各其礼容あつて、儀礼に詳なることを示す。これを考へて、其時宜を委しくして、容貌をならはすべし。
書き下し
案ずるに容貌に朝廷の容あり。朝廷出仕の容は、恒に敬して心に居所を不忘、進退周還ともに心やすからず、唯うや〳〵しく敬で威儀を不失を以てす。孔子の容色をうつして、君在踧踖如也、恭敬不寧之貌与々如也、威儀中適之貌といへるが如き、是朝廷の容也。詳出臣礼篇燕居の容あり。云心は外家に不出して私に居するときは、容貌をゆるやかにして、閑暇無事の時に其気を可養。然れども怠慢無礼の形をなしなんことは、尤も君子の道に非ず。唯顔色をのびやかに、和順ならしむるにあり。子之燕居するとき申々如也天々如也と云は、此心なるべし。申々は其容舒也。天々は其色愉也と注せり。而して喪祭の容、冠昏の容、賓客の容あり。各其事を詳にして、其品に応ずべし。唯敬以て其容をたゞしくするに在る耳也。玉藻曰、凡祭、容貌顔色、如見所祭者、喪容纍々、痩瘠也色容顛々、憂患貌視容瞿々梅々、驚遽微々貌言容繭々声色微也。少儀曰、吉事尚尊、喪事尚親、賓客主恭といへり。況や冠礼昏礼各其礼容あつて、儀礼に詳なることを示す。これを考へて、其時宜を委しくして、容貌をならはすべし。
現代語訳
考えるに、容貌にはまず朝廷の容がある。朝廷に出仕するときの容は、常に敬んで自分の居場所を心に忘れず、進むも退くも身を巡らすも気を緩めず、ただ恭しく敬んで威儀を失わないことを旨とする。『論語』が孔子の容色を写して「君がおられると踧踖如(恭しく敬んで落ち着かぬさま)、与々如(威儀がほどよくかなうさま)」と言うのが、朝廷の容である(詳しくは臣礼篇に出す)。次に燕居(くつろいで家にいる時)の容がある。その意味は、外に出ず私的に家にいるときは、容貌をゆるやかにして、暇で事のない時に気を養うがよいということである。けれども怠けて無礼な姿をとることは、決して君子の道ではない。ただ顔色をのびやかにし、和やかにしておくのである。『論語』に「孔子が燕居されるときは申々如・夭々如であった」とあるのはこの意味であろう。注に、申々はその容がのびやか、夭々はその色が楽しげなことだとある。そして喪祭の容、冠婚の容、賓客の容がある。それぞれの事を詳しく知って、その種類に応じるべきである。要はただ敬によってその容を正しくすることにある。『礼記』玉藻篇に「およそ祭には、容貌顔色を、祭る相手が目の前にいるかのようにする。喪の容は纍々(痩せやつれたさま)、色の容は顚々(憂えるさま)、視る容は瞿々梅々(驚き落ち着かぬさま)、言う容は繭々(声がかすかなさま)」とある。少儀篇には「吉事は尊ぶことを、喪事は親しむことを尊び、賓客には恭しさを主とする」とある。まして冠礼・婚礼にもそれぞれ礼の容があって、『儀礼』に詳しいことは言うまでもない。これらを考えて、その時その場にふさわしいことを詳しく知り、容貌を習い身につけるべきである。
解説
この章句が説くこと
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『五常訓』巻之四・礼一曲礼曰く、敬せざること毋かれ。凡人事の視聴言動より出づる処、万事敬しまざる事なかるべし。敬とは、心に道に違はん事をおそれて、恣ならざるを云ふ。是心をたもち、身ををさめ、事を行ふ則なり。是礼の本なり。古より、聖人賢人の心法は、敬を以て要とし給ふ。凡身の行儀作法なく、道を失ひ、禍おこるも、皆敬まざるによれり。古語にも敬めば、禍にかつといへり。つつしめば禍なし。白楽天が言に、福と禍とは慎むと慎まざるとに在りといへり。
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『五常訓』巻之四・礼一君子は天地をおそれうやまふ。故に大風、大雨、迅雷などの時は、容をあらためて、夜はおきて衣服を著て坐す。是天のいかりを敬ふ礼なり。是亦天につかうまつるの道の一端なり。一少儀曰、虚を執れども盈をとるが如く、虚に入れども人あるが如くにす。いふ意は、内に物なき器をとるにも、盈ちてこぼれやすき器をとるが如く、おそれつつしむべし。人の居らざる家に入るにも、人あるが如くつつしむべし。是は敬の心常にあるを云ふ。礼の本なり。
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『春秋左氏伝』僖公十一年 礼は国の幹十一年春、晉侯使ひして丕鄭の亂を以て來り告げしむ。天王召の武公・內史過をして晉侯に命を賜はしむ。玉を受くること惰る。過歸りて王に告げて曰く、「晉侯其れ後無からんか。王之に命を賜ひて、瑞を受くるに惰る、先づ自ら棄つるのみ、其れ何の繼ぐこと之れ有らん。禮は、國の幹なり。敬は、禮の輿なり。敬せずんば則ち禮行はれず、禮行はれずんば則ち上下昏し、何を以てか世に長からん」と。夏、揚・拒・泉・皋・伊雒の戎同じく京師を伐ち、王城に入り、東門を焚く、王子帶之を召けばなり。秦・晉戎を伐ちて以て周を救ふ。秋、晉侯戎を王に平らぐ。黃人楚に貢を歸さず。冬、楚人黃を伐つ。
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『春秋左氏伝』成公十三年 礼は身の幹十三年春、晉侯郤錡をして來りて師を乞はしむ。事を將ふに敬せず。孟獻子曰く、「郤氏其れ亡びんか。禮は身の幹なり。敬は身の基なり。郤子基無し。且つ先君の嗣卿なり。命を受けて以って師を求む、將に社稷を是れ衛らんとするなり。而るに惰りて君命を棄つ。亡びずして何をか為さん」と。
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『五常訓』巻之四・礼一礼は心につつしみありて、人をうやまふを本とし、万事を行ふに、則にしたがひて、正しく理あるを文とす。則とは作法なり。孝経に、礼は敬のみ。云ふ意は、礼は敬を専らとす。而已とは、此外には無しと云ふ詞なり。朱子曰く、礼の本は人を敬ふに在り。人をうやまふは、心のつつしみより起る。人を敬ふも、其人をあはれむ心より出づる故朱子も、礼は仁のあらはれたる也といへり。礼記曰、礼は理也。周子曰く、理を礼と曰ふ、理はすぢめなり。すぢめとは、万事を行ふに、各正しき則ありて、其則にちがはざるは、即理なり。理にしたがへば、万事正しくしてをさまる。理にしたがはざれば、万事邪にして、みだれて行はれず。朱子曰、礼は天理の節文、人事の儀則なり。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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