山鹿語類 / 士道・愼言語
次に言語の用あり。孔子曰、言思忠。又曰、言必忠信ありと也。禮曰、與衆言、言忠信慈祥、與幼者言、言孝弟于父兄、與居官者言、言忠信と出せり。すべて人と語るには、人のために可成のわざを以てすべし。人を益するの道也。己れが利方になる如く言んことは、君子の道に非ず。己を利して人のためを不謀は、皆小人のわざ也。曾子曰、爲人謀而不忠乎と云は、この心なり。終日談論して言をついやすとも、己れが利口を立て頻りに口をてらふは、君子の甚にくむ處にして、無用の辯と可謂也。小人は云ほどの言皆取まはして、己れが身を利するになれり。言語の非禮これより甚しきは非ず。尤可愼也。張思叔が座右の銘に、凡そ語は必忠信といへり。まことに常に戒しめ守るべきこと也。而して忠信は、忠は爲人に謀てまことを盡すの心也。信は僞りを不致、正しく詳なるのいひ也。是言語の所因なれば、人々可愼戒也。
新字:次に言語の用あり。孔子曰、言思忠。又曰、言必忠信ありと也。礼曰、与衆言、言忠信慈祥、与幼者言、言孝弟于父兄、与居官者言、言忠信と出せり。すべて人と語るには、人のために可成のわざを以てすべし。人を益するの道也。己れが利方になる如く言んことは、君子の道に非ず。己を利して人のためを不謀は、皆小人のわざ也。曽子曰、為人謀而不忠乎と云は、この心なり。終日談論して言をついやすとも、己れが利口を立て頻りに口をてらふは、君子の甚にくむ処にして、無用の弁と可謂也。小人は云ほどの言皆取まはして、己れが身を利するになれり。言語の非礼これより甚しきは非ず。尤可慎也。張思叔が座右の銘に、凡そ語は必忠信といへり。まことに常に戒しめ守るべきこと也。而して忠信は、忠は為人に謀てまことを尽すの心也。信は偽りを不致、正しく詳なるのいひ也。是言語の所因なれば、人々可慎戒也。
書き下し
次に言語の用あり。孔子曰、言思忠。又曰、言必忠信ありと也。礼曰、与衆言、言忠信慈祥、与幼者言、言孝弟于父兄、与居官者言、言忠信と出せり。すべて人と語るには、人のために可成のわざを以てすべし。人を益するの道也。己れが利方になる如く言んことは、君子の道に非ず。己を利して人のためを不謀は、皆小人のわざ也。曽子曰、為人謀而不忠乎と云は、この心なり。終日談論して言をついやすとも、己れが利口を立て頻りに口をてらふは、君子の甚にくむ処にして、無用の弁と可謂也。小人は云ほどの言皆取まはして、己れが身を利するになれり。言語の非礼これより甚しきは非ず。尤可慎也。張思叔が座右の銘に、凡そ語は必忠信といへり。まことに常に戒しめ守るべきこと也。而して忠信は、忠は為人に謀てまことを尽すの心也。信は偽りを不致、正しく詳なるのいひ也。是言語の所因なれば、人々可慎戒也。
現代語訳
次に言語の用がある。孔子は「言は忠を思う」と言われた。また「言葉は必ず忠信である」ともある。礼記に「大勢と話すときは忠信と慈しみ和やかさを言い、幼い者と話すときは父兄への孝悌を言い、官にある者と話すときは忠信を言う」と出ている。すべて人と語るには、人のためになることをもってすべきである。それが人を益する道である。自分の利益になるように言うことは、君子の道ではない。自分を利して人のためを謀らないのは、みな小人の仕業である。曾子が「人のために謀って忠でなかったか」と言ったのは、この心である。一日中談論して言葉を費やしても、自分の口達者を立て、しきりに口先を誇るのは、君子のたいへん憎むところで、無用の弁というべきである。小人は言う言葉がみな取り回して、自分の身を利するものになっている。言語の非礼でこれより甚だしいものはない。もっとも慎むべきである。張思叔の座右の銘に「およそ語ることは必ず忠信」とある。まことに常に戒め守るべきことである。そして忠信とは、忠は人のために謀ってまことを尽くす心である。信は偽りをせず、正しく詳しいことをいう。これが言語のよって立つところであるから、人々は慎み戒めるべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之三・心術上忠信は即人の誠なり。誠といはずして、忠信とのたまへるは、心にいつはりなくするは忠なり。言と事とにいつはりなくするは信なり。誠は天理の自然を云ふ。忠信は人のつとめ行へる誠を云ふ。理は一にして、おのづからなると、つとむるとの別あり。程子も、人道は唯忠信にあり、誠ならざれば物なしといへり。君父につかふるにも、誠なければ忠孝にあらず、万の事、誠なければ、さばかりの善事をなすといへど、偽となれば実事にあらず。つとめ行ふもあだごとなり。是無物なり。善事をつとめ行はば、名利のためにせずして、誠を以て行ふべし。是誠の善なり。
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『弁名』忠信仁斎先生曰く、「凡そ人と説くに、有れば便ち有と曰ひ、無ければ便ち無と曰ひ、多きは以て多と為し、寡きは以て寡と為し、一分も増減せず、方に是れ信なり」と。即ち宋儒の説なり。亦た古は止だ人に施す者を以て之を言ふを知らず。故に「信は義に近し」「信賞必罰」の類に至りては、則ち別に約信の解を為す。蔓なりと謂ふべきのみ。仁斎先生又曰く、「忠信は皆人に接する上に就きて言ふ」と。是れ措辞の未だ善からざるなり。忠は君に事ふる及び人の為に謀るに在り、豈に特に交際のみならんや。又曰く、「忠信には朴実にして文飾を事とせざるの意有り」と。是れも亦た彼の「忠信の人、以て礼を学ぶべし」を見て妄りに解する者なり。従ふべからず。先儒の忠信を以て形影の如しとする者に至りては、則ち仁斎先生の之を駁するは是なり。
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『和俗童子訓』巻之一・総論上一幼き時より。心ことばに、忠信を主として、偽なからしむべし。もし人をあざむき、偽をいはば、厳しくいましむべし。こなたよりも、幼子を欺きて、偽を教ふべからず。こなたより偽れば、小児是に習ふものなり。かりそめにも偽をいふは、人にあらずと思ふべし。心に偽と知りながら、心を欺くは、其罪いよいよ深し。又人と約したる事あらば、必其約を違へざるべし。約を違へては偽となり、信を失へば人にあらず。もし後に信を守り難き事は、初より約すべからず。又小児には、利欲を教へ知らしむべからず。よろづにさとくとも、偽りて且慾深く、人の物をむさぼるは、小人のわざなれば、幼き時より、早く是を戒むべし。ゆるすべからず。
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『慎思録』巻之一朱子曰く、君臣は是れ義合なり。世の人便ち苟且を得易し。故に此に於て忠を説く。是れ足らざる処に就きて説くと。胡敬斎曰く、朱子曰く、忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふと。此れ記者の誤りなり。蓋し忠は是れ臣職の当に為すべきものなりと。篤信曰く、父子兄弟は是れ天合なり。故に庸人と雖も、欺偽有ること鮮し。君臣朋友は是れ人合なり。故に苟且自欺に至り易し。故に此に於て忠を説き信を説く。蓋し足らざる所に就きて之を言ふ。且つ夫婦の如きは、固より和順を欲す。然れども其の親密なる、褻狎に至り易し。故に此に於て別を説く。又足らざる所に就きて之を言ふ。況んや君臣は勢位懸隔す。故に其の情意疎遠なり。疎遠なる者は欺罔に至り易し。是れ臣の常に足らざる処にして、便ち是れ臣の当に尽くすべき所なり。苟も足らざる所に就きて説かずして、徒らに忠は是れ臣職の当に為すべきものと謂はば、則ち忠は是れ実心にして、凡そ五品の道、皆闕くべからず。何ぞ之を以て独り君に事ふるに施すべけんや。朱子の所謂忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふの説は、未だ以て非と為すべからず。胡氏の説、反りて是ならざるを覚ゆ。
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『弁名』忠信程子曰く、「己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ」と。此れ彼の「忠信を主とす」等の言を見て、徒らに人の為に謀り人と言ふ者を以て之を言ふは狭きに嫌ありと謂ふ。故に是の解を作す。亦た先王の道は民を安んずる為に之を設くるを知らずして、動もすれば諸を己に求むる故のみ。且つ己を尽くすは未だ以て忠の字の義を尽くすに足らず。今人の宋儒の学を為す者は、人の為に謀りて聴かれざれば、則ち多く皆舎て去りて、復た之を顧みず。我既に我が心を尽くせりと曰ふ。是れ忠の字に懇到周悉の意有るを知らざる故なり。実を以てするも亦た信の字の義に非ず。程子は動もすれば諸を心に求む、故に是の解を作すのみ。古は止だ言語の上に就きて之を言ふ。豈に必ずしも諸を心に求めんや。
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『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
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