弁名 / 忠信
程子曰。盡己之謂忠。以實之謂信。此見彼主忠信等之言。而謂徒以爲人謀與人言者言之嫌乎狹。故作是解。亦不知先王之道爲安民設之。而動求諸己故已。且盡己未足以盡忠字之義。今人爲宋儒之學者。爲人謀而不聽。則多皆舍去。不復顧之。曰我既盡我之心矣。是不知忠字有懇到周悉之意故也。以實亦非信字之義矣。程子動求諸心。故作是解已。古止就言語上言之。豈必求諸心乎。
新字:程子曰。尽己之謂忠。以実之謂信。此見彼主忠信等之言。而謂徒以為人謀与人言者言之嫌乎狭。故作是解。亦不知先王之道為安民設之。而動求諸己故已。且尽己未足以尽忠字之義。今人為宋儒之学者。為人謀而不聴。則多皆舎去。不復顧之。曰我既尽我之心矣。是不知忠字有懇到周悉之意故也。以実亦非信字之義矣。程子動求諸心。故作是解已。古止就言語上言之。豈必求諸心乎。
書き下し
程子曰く、「己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ」と。此れ彼の「忠信を主とす」等の言を見て、徒らに人の為に謀り人と言ふ者を以て之を言ふは狭きに嫌ありと謂ふ。故に是の解を作す。亦た先王の道は民を安んずる為に之を設くるを知らずして、動もすれば諸を己に求むる故のみ。且つ己を尽くすは未だ以て忠の字の義を尽くすに足らず。今人の宋儒の学を為す者は、人の為に謀りて聴かれざれば、則ち多く皆舎て去りて、復た之を顧みず。我既に我が心を尽くせりと曰ふ。是れ忠の字に懇到周悉の意有るを知らざる故なり。実を以てするも亦た信の字の義に非ず。程子は動もすれば諸を心に求む、故に是の解を作すのみ。古は止だ言語の上に就きて之を言ふ。豈に必ずしも諸を心に求めんや。
現代語訳
程子(程頤)は「自分を尽くすことを忠といい、真実をもってすることを信という」と言った。これは「忠信を主とする」などの言葉を見て、ただ人のために謀り人と言葉を交わす場面のこととするのでは狭すぎると考えたから、こう解したのである。これも先王の道が民を安んじるために設けられたことを知らず、何かにつけて自分の内に求めたからにすぎない。そもそも「自分を尽くす」だけでは忠の字の意味を尽くせない。いま宋儒の学をする人は、人のために謀って聞き入れられないと、たいていそのまま放り出して二度と顧みず、「自分はもう心を尽くした」と言う。これは忠の字に、心をこめて細部まで行き届かせるという意味があることを知らないからである。「真実をもってする」もまた信の字の意味ではない。程子は何かにつけて心に求めるから、このように解しただけである。古くはただ言葉の上について言ったのであって、どうして心に求める必要があろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一朱子曰く、君臣は是れ義合なり。世の人便ち苟且を得易し。故に此に於て忠を説く。是れ足らざる処に就きて説くと。胡敬斎曰く、朱子曰く、忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふと。此れ記者の誤りなり。蓋し忠は是れ臣職の当に為すべきものなりと。篤信曰く、父子兄弟は是れ天合なり。故に庸人と雖も、欺偽有ること鮮し。君臣朋友は是れ人合なり。故に苟且自欺に至り易し。故に此に於て忠を説き信を説く。蓋し足らざる所に就きて之を言ふ。且つ夫婦の如きは、固より和順を欲す。然れども其の親密なる、褻狎に至り易し。故に此に於て別を説く。又足らざる所に就きて之を言ふ。況んや君臣は勢位懸隔す。故に其の情意疎遠なり。疎遠なる者は欺罔に至り易し。是れ臣の常に足らざる処にして、便ち是れ臣の当に尽くすべき所なり。苟も足らざる所に就きて説かずして、徒らに忠は是れ臣職の当に為すべきものと謂はば、則ち忠は是れ実心にして、凡そ五品の道、皆闕くべからず。何ぞ之を以て独り君に事ふるに施すべけんや。朱子の所謂忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふの説は、未だ以て非と為すべからず。胡氏の説、反りて是ならざるを覚ゆ。
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『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
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論語・学而篇曾子曰く、「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。」
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『五常訓』巻之五・信一信は説文に曰く、誠なり、人に从ひ言に从ふ、会意。徐曰く、文に於て人の言を信と為す、言ひて信ならざれば人為るに非ざるなり。信の字、人偏に言の字を書くは、六書においては、会意に属す。偏旁の意を以て作りし字なり。いふ意は、人の言に誠あらざるは、人にあらず。故に人の言は、必信あるべしと云ふ意なり。五常においては、心にまことあるを云ふ。口に偽をいはざるも、其内にあり。仁義礼智の、いつはりなき真実なるを、信と云ふ。信なければ、仁義礼智にあらず。仁義礼智四徳の外に、又信あるにあらず。親によくつかふるは孝なれど、名聞のためにつとめ、又親の寵愛をねがひて務むるは、孝にあらず。君によく仕ふるは忠なれど、君の寵をねがひ、官禄をむさぼりて、奉公をつとむるは、忠にあらず。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問の道は、極めて広大高妙にして深奥なり。しかれども其近き所は孝弟忠信の日用常行にあり。故にいかなる愚なる者も、此道をまなびやすく、知りやすく、行ひやすし。高遠にして、あやしく異なる道にはあらず。一古の聖人すら、猶師にしたがひて学び給ふ。況や今時の凡人、学ばずしては道を知りがたし。小芸だにも、師なく習なくしてはなしがたし。況や人の道は即天地の道にて、極めて大なるをや。学んでも、まなびやう悪しければ、道を知らず。学ばずして道を得んことは、万々此理なし。
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