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山鹿語類 / 士道・愼言語

凡そ如此の詞、其品一樣にあらず。唯詳に究明するにありぬべし。君父臣子の言こゝに正しき時は、兄弟夫婦朋友の言皆順なるべし。自我父兄云ときは、君に比して是を尊敬し、人に對して云ときは謙て是愚父愚兄と云。父兄の子弟を稱するも皆同じ。唯毋不敬と云の心を本として、其地を考、其時をはかり、相對するの人物事宜を以て輕重せしむべし。况や男女の詞、其禮を以てせざれば、男にして女の詞をまなび、女にして男の詞をなす。各不得其處也。故に男は不言內、女は不言外の戒を守るべし。言と云へども、思より出でざることなし。尤可愼也。

新字:凡そ如此の詞、其品一様にあらず。唯詳に究明するにありぬべし。君父臣子の言こゝに正しき時は、兄弟夫婦朋友の言皆順なるべし。自我父兄云ときは、君に比して是を尊敬し、人に対して云ときは謙て是愚父愚兄と云。父兄の子弟を称するも皆同じ。唯毋不敬と云の心を本として、其地を考、其時をはかり、相対するの人物事宜を以て軽重せしむべし。況や男女の詞、其礼を以てせざれば、男にして女の詞をまなび、女にして男の詞をなす。各不得其処也。故に男は不言内、女は不言外の戒を守るべし。言と云へども、思より出でざることなし。尤可慎也。

書き下し

凡そ如此の詞、其品一様にあらず。唯詳に究明するにありぬべし。君父臣子の言こゝに正しき時は、兄弟夫婦朋友の言皆順なるべし。自我父兄云ときは、君に比して是を尊敬し、人に対して云ときは謙て是愚父愚兄と云。父兄の子弟を称するも皆同じ。唯毋不敬と云の心を本として、其地を考、其時をはかり、相対するの人物事宜を以て軽重せしむべし。況や男女の詞、其礼を以てせざれば、男にして女の詞をまなび、女にして男の詞をなす。各不得其処也。故に男は不言内、女は不言外の戒を守るべし。言と云へども、思より出でざることなし。尤可慎也。

現代語訳

およそこのような言葉は、その種類が一様ではない。ただ詳しく究め明らかにすることにある。主君・父と臣・子の言葉がここで正しいときは、兄弟・夫婦・朋友の言葉もみな順当になるはずである。自分の父や兄のことを言うときは、主君になぞらえてこれを尊敬し、人に対して言うときはへりくだって愚父・愚兄という。父兄が子弟を呼ぶのもみな同じである。ただ「毋不敬」という心を根本として、その場所を考え、その時を計り、向き合う人物と事柄の宜しさによって軽重をつけるべきである。まして男女の言葉は、その礼によらなければ、男でありながら女の言葉をまね、女でありながら男の言葉を使う。どちらもその所を得ない。だから「男は内のことを言わず、女は外のことを言わない」という戒めを守るべきである。言葉といっても、思いから出ないものはない。もっとも慎むべきである。

解説

言葉の品々を結んで、すべての根本に毋不敬を置く章句である。君父臣子の言葉が正しければ兄弟・夫婦・朋友の言葉も順になるとし、自分の父兄を内では尊び外にはへりくだって愚父愚兄と呼ぶ謙称の作法を示す。礼記内則の「男は内を言わず、女は外を言わず」を引く男女の言葉の区別は、当時の身分と性別の秩序を前提とするもので、今日そのまま通用するものではない。しかし言葉は思いから出るという結びは普遍的であり、言葉遣いを整えることは心の敬を整えることだという教えは今も生きている。

この章句が説くこと

言語毋不敬謙称五倫敬慎言

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