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山鹿語類 / 士道・愼視聽

曲禮に毋側聽、毋淫視、將入戶、視必下、視瞻毋回、凡視上於面則敖、下於帶則憂、傾則姦といへり。又曰、目容端ともいへり。樂記曰、使耳目鼻口心知百躰、皆繇順正以行其義と云へる、各耳目の非禮あらしめざらんが爲め也。若し內に怠りあるときは、視之不視、聞之不聞にいたり、耳目の形自から傾側して、非禮の用甚あらはる。彼の毋不敬の戒を存するときは、聽於無聲、視於無形の戒あり。視思明、聽思聰の思あり。與大人言、始視面、中視抱、卒視面、若父則遊目、毋上於面、毋下於帶、若不言立、則視足、坐則視膝のつゝしみあり。しかれば事物の用について、視聽の禮こと〳〵く詳に糾し知るにあるべし。すべて是を云に視觀察の三の法あり。君臣父子五倫の交あり。七情の用あり。各其事物の品々するに因て、しかも其威儀の宜しき所ありぬべし。賈誼が容經曰、視有四則、朝廷之視、端流平衡、祭祀之視、々如有將、軍旅之視、固植虎張、喪紀之視、下流垂綱といへり。宋程正叔、視箴聽箴を作て、自これを戒しむ。尤可併案也。必竟視聽耳目の用なれば、先耳目の威儀を正し、而して其接るの人物事變に因て、視聽の法をたゞし、理を究め、視聽ともに詳に心符に入れて、視觀察を以て究其至、これ視聽の非禮に不及の大丈夫の威儀たるべし。

新字:曲礼に毋側聴、毋淫視、将入戸、視必下、視瞻毋回、凡視上於面則敖、下於帯則憂、傾則姦といへり。又曰、目容端ともいへり。楽記曰、使耳目鼻口心知百体、皆繇順正以行其義と云へる、各耳目の非礼あらしめざらんが為め也。若し内に怠りあるときは、視之不視、聞之不聞にいたり、耳目の形自から傾側して、非礼の用甚あらはる。彼の毋不敬の戒を存するときは、聴於無声、視於無形の戒あり。視思明、聴思聰の思あり。与大人言、始視面、中視抱、卒視面、若父則遊目、毋上於面、毋下於帯、若不言立、則視足、坐則視膝のつゝしみあり。しかれば事物の用について、視聴の礼こと〳〵く詳に糾し知るにあるべし。すべて是を云に視観察の三の法あり。君臣父子五倫の交あり。七情の用あり。各其事物の品々するに因て、しかも其威儀の宜しき所ありぬべし。賈誼が容経曰、視有四則、朝廷之視、端流平衡、祭祀之視、々如有将、軍旅之視、固植虎張、喪紀之視、下流垂綱といへり。宋程正叔、視箴聴箴を作て、自これを戒しむ。尤可併案也。必竟視聴耳目の用なれば、先耳目の威儀を正し、而して其接るの人物事変に因て、視聴の法をたゞし、理を究め、視聴ともに詳に心符に入れて、視観察を以て究其至、これ視聴の非礼に不及の大丈夫の威儀たるべし。

書き下し

曲礼に毋側聴、毋淫視、将入戸、視必下、視瞻毋回、凡視上於面則敖、下於帯則憂、傾則姦といへり。又曰、目容端ともいへり。楽記曰、使耳目鼻口心知百体、皆繇順正以行其義と云へる、各耳目の非礼あらしめざらんが為め也。若し内に怠りあるときは、視之不視、聞之不聞にいたり、耳目の形自から傾側して、非礼の用甚あらはる。彼の毋不敬の戒を存するときは、聴於無声、視於無形の戒あり。視思明、聴思聰の思あり。与大人言、始視面、中視抱、卒視面、若父則遊目、毋上於面、毋下於帯、若不言立、則視足、坐則視膝のつゝしみあり。しかれば事物の用について、視聴の礼こと〳〵く詳に糾し知るにあるべし。すべて是を云に視観察の三の法あり。君臣父子五倫の交あり。七情の用あり。各其事物の品々するに因て、しかも其威儀の宜しき所ありぬべし。賈誼が容経曰、視有四則、朝廷之視、端流平衡、祭祀之視、々如有将、軍旅之視、固植虎張、喪紀之視、下流垂綱といへり。宋程正叔、視箴聴箴を作て、自これを戒しむ。尤可併案也。必竟視聴耳目の用なれば、先耳目の威儀を正し、而して其接るの人物事変に因て、視聴の法をたゞし、理を究め、視聴ともに詳に心符に入れて、視観察を以て究其至、これ視聴の非礼に不及の大丈夫の威儀たるべし。

現代語訳

曲礼に「聞き耳を立てるな、目をみだらに動かすな。戸に入ろうとするときは、視線を必ず下げよ。見回して振り返るな。およそ見るとき、顔より上を見れば傲慢、帯より下を見れば憂いがあり、首を傾けて見れば邪である」とある。また「目の容は端正に」ともいう。楽記に「耳・目・鼻・口・心・知・全身をみな順正によってその義を行わせる」とあるのは、それぞれ耳目に非礼がないようにするためである。もし内に怠りがあれば、視ても見えず聞いても聞こえないことになり、耳目の姿は自然に傾き、非礼の働きがひどく現れる。あの毋不敬の戒めを保つときは、「声のないところに聴き、形のないところに視る」という戒めがあり、「視るには明を思い、聴くには聡を思う」という思いがあり、「大人と話すときは、はじめ顔を見、途中は胸のあたりを見、終わりにまた顔を見る。父であれば目を遊ばせてもよいが、顔より上、帯より下には向けない。話さずに立っているときは足を見、座っているときは膝を見る」という慎みがある。だから事物の働きについて、視聴の礼をことごとく詳しく正して知ることにあるはずだ。総じてこれを言えば、視・観・察の三つの法がある。君臣父子など五倫の交わりがある。七情の働きがある。それぞれ事物の品々によって、そのうえ威儀のふさわしいところがあるはずだ。賈誼の容経に「視には四つの決まりがある。朝廷での視線は真っすぐ平らに、祭祀での視線は何かが現れるかのように、軍旅での視線は固く立って虎のように張り、喪の場での視線は下に垂れる」とある。宋の程正叔(程伊川)は視箴・聴箴を作って自ら戒めた。あわせて考えるべきである。結局、視聴は耳目の働きであるから、まず耳目の威儀を正し、そのうえで接する人物や事変によって視聴の法を正し、理を究め、視ることも聴くことも詳しく心に収めて、視・観・察によってその極みを究めること、これが視聴の非礼に及ばない男子の威儀であろう。

解説

視聴の礼の具体を経書から集めた章句である。礼記曲礼の視線の作法、楽記、内則や曲礼の「声無きに聴き形無きに視る」、論語季氏篇の「視るは明を思い聴くは聡を思う」、儀礼士相見礼の視線の順序、賈誼新書容経の四つの視線、程伊川の視箴・聴箴と、引用は多岐にわたる。最後に論語為政篇の「視・観・察」を視聴の極みとして据えるところに、作法を人物の見きわめに結びつける素行の兵学者らしい関心が見える。現代でも、場にふさわしい目線と、人を深く見る眼の両方が仕事の信頼を支える。

この章句が説くこと

視聴威儀観察曲礼五倫礼

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