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山鹿語類 / 士道・愼視聽

師曰。人の身に四支百骸其品多しといへども、外をしると內を通ずると、唯兩條に究れり。耳目鼻の類は、皆外を知るの用あつて、而して內のはたらき能く感じて、外に發するにたれるなり。孔子顏淵に克己復禮の條目を告玉ふとき、非禮勿視、非禮勿聽との玉へり。如何なるをか非禮と云べきならば、事物見聞するの形威儀を失て、己れが私にまかする、是を非禮と云へり。彼の邪色をみ、邪聲をきくのみ非禮といふには非ず。邪色邪聲は外より來るもの、我是を不欲といへども、不得已ずして見聞せば、これを視聽と云べからず。正聲は非禮の色聲に非ずといへども、見聞するに威儀を失て、唯情欲にまかせば、是非禮の視聽也。故に君父の臣子をみる、臣子の君父をみること、物によつて各視るの禮あり。君父は臣子の言をきく、臣子として君父の命をきく、すべて聲の可聞、各聽くの禮あり。一つも其節にたがへば、是禮にあらず。大丈夫の世に立て身を正しくし、万人のゝつとるべき規範たること、先づ視聽の威儀をつゝしむにあり。

新字:師曰。人の身に四支百骸其品多しといへども、外をしると内を通ずると、唯両条に究れり。耳目鼻の類は、皆外を知るの用あつて、而して内のはたらき能く感じて、外に発するにたれるなり。孔子顔淵に克己復礼の条目を告玉ふとき、非礼勿視、非礼勿聴との玉へり。如何なるをか非礼と云べきならば、事物見聞するの形威儀を失て、己れが私にまかする、是を非礼と云へり。彼の邪色をみ、邪声をきくのみ非礼といふには非ず。邪色邪声は外より来るもの、我是を不欲といへども、不得已ずして見聞せば、これを視聴と云べからず。正声は非礼の色声に非ずといへども、見聞するに威儀を失て、唯情欲にまかせば、是非礼の視聴也。故に君父の臣子をみる、臣子の君父をみること、物によつて各視るの礼あり。君父は臣子の言をきく、臣子として君父の命をきく、すべて声の可聞、各聴くの礼あり。一つも其節にたがへば、是礼にあらず。大丈夫の世に立て身を正しくし、万人のゝつとるべき規範たること、先づ視聴の威儀をつゝしむにあり。

書き下し

師曰。人の身に四支百骸其品多しといへども、外をしると内を通ずると、唯両条に究れり。耳目鼻の類は、皆外を知るの用あつて、而して内のはたらき能く感じて、外に発するにたれるなり。孔子顔淵に克己復礼の条目を告玉ふとき、非礼勿視、非礼勿聴との玉へり。如何なるをか非礼と云べきならば、事物見聞するの形威儀を失て、己れが私にまかする、是を非礼と云へり。彼の邪色をみ、邪声をきくのみ非礼といふには非ず。邪色邪声は外より来るもの、我是を不欲といへども、不得已ずして見聞せば、これを視聴と云べからず。正声は非礼の色声に非ずといへども、見聞するに威儀を失て、唯情欲にまかせば、是非礼の視聴也。故に君父の臣子をみる、臣子の君父をみること、物によつて各視るの礼あり。君父は臣子の言をきく、臣子として君父の命をきく、すべて声の可聞、各聴くの礼あり。一つも其節にたがへば、是礼にあらず。大丈夫の世に立て身を正しくし、万人のゝつとるべき規範たること、先づ視聴の威儀をつゝしむにあり。

現代語訳

先生はこう言われた。人の身には手足や多くの骨などさまざまな部分があるが、外を知ることと内を通じることの二つに尽きる。耳・目・鼻の類は、みな外を知る働きがあって、そうして内の働きがよく感じ取り、外に発するのに十分なのである。孔子が顔淵に克己復礼の細目を告げられたとき、「礼にあらざれば視ること勿れ、礼にあらざれば聴くこと勿れ」と言われた。どのようなものを非礼というべきかといえば、事物を見聞きする姿が威儀を失って、自分の私心にまかせること、これを非礼というのである。あのみだらな色を見、みだらな声を聞くことだけを非礼というのではない。みだらな色や声は外から来るもので、自分がそれを望まなくても、やむを得ず見聞きしてしまうのは、これを視聴とはいえない。正しい音楽は非礼の色や声ではないが、それを見聞きするのに威儀を失って、ただ情欲にまかせるならば、これは非礼の視聴である。だから主君や父が臣や子を見る、臣や子が主君や父を見ることには、相手によってそれぞれ見る礼がある。主君や父が臣や子の言葉を聞く、臣や子として主君や父の命を聞く、すべて聞くべき声には、それぞれ聞く礼がある。一つでもその節度にたがえば、これは礼ではない。男子が世に立って身を正しくし、万人の手本となる規範となるには、まず見ること聞くことの威儀を慎むことにある。

解説

論語顔淵篇の「非礼視ること勿れ、非礼聴くこと勿れ」を、独自の角度から読み解く章句である。素行は、みだらなものを見聞きすることだけが非礼なのではなく、正しいものでも見聞きする姿勢が威儀を失い私心にまかせれば非礼だとする。外から不意に入るものはそもそも視聴とはいえないという区別も鋭い。君父と臣子の間にもそれぞれ見る礼、聞く礼があるとして、視聴を人間関係の作法としてとらえる。現代でも、相手の話を聞く姿勢や視線の向け方そのものが、敬意や信頼を伝える。

この章句が説くこと

視聴威儀非礼克己礼士道

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