言志四録 / 言志耋録 第百九十条 尋常の中に大奇有り
物遽視以爲奇者。其實皆未必奇。視爲尋常者。郤有大奇者。可不察乎。
新字:物遽視以為奇者。其実皆未必奇。視為尋常者。郤有大奇者。可不察乎。
書き下し
物の遽かに視て以て奇と為す者は、其の実皆未だ必ずしも奇ならず。視て尋常と為す者に、却つて大奇なる者有り。察せざるべけんや。
現代語訳
物事のうち、ぱっと見て珍しいと思うものは、実際には必ずしも珍しいわけではない。ありふれていると見なしているもののなかに、かえって非常に優れたものがある。よくよく観察しないでよかろうか。
解説
目新しいものに飛びつき、見慣れたものを見過ごす人の性を戒めた条です。一見奇抜に見えるものは、よく見れば案外ありふれた仕掛けであることが多い。反対に、日々当たり前に接しているもの、たとえば日の出や四季の巡り、人の誠実さなどの中に、実は驚くべき深い理が潜んでいる。朱子学が日常の事物に即して理を窮める「格物」を重んじたことにも通じます。前条の「活書」と同じく、身近な現実をよく見る目を求めているのでしょう。流行の手法や目立つ新事業に目を奪われる一方で、自社の地道な強みや現場の工夫を過小評価していないか。足もとを見直すきっかけになる言葉です。
この章句が説くこと
観察平凡と非凡格物本質を見る目
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