山鹿語類 / 士道・毋不敬
程伊川甚愛表記君子莊敬日彊、安肆日偷之語、葢常人之情、纔放肆、則日就曠蕩、自檢束、則日就規矩といへり。是威儀の心也。詩の大雅抑の篇に、敬愼威儀、維民之則、又衞の詩曰、威儀祿々、不可選也といへり。衞の北宮文子是を釋して、有威而可畏、謂之威、有義而可象、謂之義、君有君之威儀、其臣畏而愛之、則而象之、故能有其國家、令聞長世、臣有臣之威儀、其下畏而愛之、故能守其官職、保族宜家、順是以下皆如是、是以上下能相固也といへること、左傳に出たり。威は其容貌より言語に至るまで、かる〳〵しからず、甚をごそかにして、人以て可畏の形也。儀は容貌の物にまじはり、言語の事に及ぶまで、詳に究明するを以て、其すがた人々皆のつとり手本に可仕に宜しき、是を儀と云へり。是內に敬を思て、常に容貌言語を究理するがゆへに、及此也。上天子より下庶人に至るまで、一皆身を修むるを本として、身を修むるの要は、威儀を詳にするにあり。威儀は毋不敬にとゞまれり。學者尤可翫味也。
新字:程伊川甚愛表記君子荘敬日彊、安肆日偸之語、葢常人之情、纔放肆、則日就曠蕩、自検束、則日就規矩といへり。是威儀の心也。詩の大雅抑の篇に、敬慎威儀、維民之則、又衛の詩曰、威儀禄々、不可選也といへり。衛の北宮文子是を釈して、有威而可畏、謂之威、有義而可象、謂之義、君有君之威儀、其臣畏而愛之、則而象之、故能有其国家、令聞長世、臣有臣之威儀、其下畏而愛之、故能守其官職、保族宜家、順是以下皆如是、是以上下能相固也といへること、左伝に出たり。威は其容貌より言語に至るまで、かる〳〵しからず、甚をごそかにして、人以て可畏の形也。儀は容貌の物にまじはり、言語の事に及ぶまで、詳に究明するを以て、其すがた人々皆のつとり手本に可仕に宜しき、是を儀と云へり。是内に敬を思て、常に容貌言語を究理するがゆへに、及此也。上天子より下庶人に至るまで、一皆身を修むるを本として、身を修むるの要は、威儀を詳にするにあり。威儀は毋不敬にとゞまれり。学者尤可翫味也。
書き下し
程伊川甚愛表記君子荘敬日彊、安肆日偸之語、葢常人之情、纔放肆、則日就曠蕩、自検束、則日就規矩といへり。是威儀の心也。詩の大雅抑の篇に、敬慎威儀、維民之則、又衛の詩曰、威儀禄々、不可選也といへり。衛の北宮文子是を釈して、有威而可畏、謂之威、有義而可象、謂之義、君有君之威儀、其臣畏而愛之、則而象之、故能有其国家、令聞長世、臣有臣之威儀、其下畏而愛之、故能守其官職、保族宜家、順是以下皆如是、是以上下能相固也といへること、左伝に出たり。威は其容貌より言語に至るまで、かる〳〵しからず、甚をごそかにして、人以て可畏の形也。儀は容貌の物にまじはり、言語の事に及ぶまで、詳に究明するを以て、其すがた人々皆のつとり手本に可仕に宜しき、是を儀と云へり。是内に敬を思て、常に容貌言語を究理するがゆへに、及此也。上天子より下庶人に至るまで、一皆身を修むるを本として、身を修むるの要は、威儀を詳にするにあり。威儀は毋不敬にとゞまれり。学者尤可翫味也。
現代語訳
程伊川は礼記表記篇の「君子は荘敬して日に強く、安肆にして日に偸(うす)し」という語をたいへん愛し、「思うに常人の情は、少しでも気ままにすれば日に日に締まりなく広がり、自ら引き締めれば日に日に規矩(のり)に就く」と言った。これが威儀の心である。詩経の大雅抑の篇に「威儀を敬み慎め、これが民の手本である」とあり、また衛の詩に「威儀は整って立派で、選び捨てるところがない」とある。衛の北宮文子はこれを解釈して「威があって畏れるべきもの、これを威という。儀(則)があって手本とすべきもの、これを儀という。君には君の威儀があり、その臣は畏れて愛し、手本としてならう。だからその国家を保ち、良い評判が長く世に伝わる。臣には臣の威儀があり、その下の者は畏れて愛する。だからその官職を守り、一族を保ち家をよくする。これに従って以下みなこのとおりである。それゆえ上下がよく互いに固まるのである」と言ったことが、左伝に出ている。威とは、その容貌から言葉に至るまで軽々しくなく、たいへんおごそかで、人が畏れるべき姿である。儀とは、容貌が物に交わり、言葉が事に及ぶまで、詳しく究め明らかにするので、その姿を人々がみな手本として倣うのにふさわしいもの、これを儀という。これは内に敬を思って、常に容貌と言葉の理を究めるからこそ、ここに及ぶのである。上は天子から下は庶民に至るまで、すべて身を修めることを根本とし、身を修める要は威儀を詳しくすることにある。威儀は毋不敬に尽きる。学ぶ者はもっともよく味わうべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『和俗童子訓』巻之五・教女子法一婦人は人に事ふるものなり。家に居ては父母に事へ、人に嫁しては舅姑夫に事ふるに、慎みて背かざるを道とす。もろこしの曹大家が言にも、敬順の道は婦人の礼なりと云へり。然れば女は敬順の二を常に守るべし。敬とはつつしむなり、順はしたがふなり。つつしむとは恐れて恣ならざるを云ふ。つつしみにあらざれば、和順の道も行ひ難し。およそ女の道は順を尊ぶ。順の行はるるは、ひとへに慎むよりおこれり。詩経に、戦々とつつしみ、兢々とおそれて、深き淵に臨むが如く、薄き氷を履むが如しと云へるは、恐れ慎むの心をかたどりて云へり。慎みて恐るる心持、斯の如くなるべし。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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