山鹿語類 / 士道・毋不敬
ことに大丈夫君父につかへ、身を修むるの道、ともに敬せずと云ことなかるべし。聊も敬せざれば、數年のつとめ一時に棄て、父祖を耻しめ、君に耻を與ふ。是敬のゆるむ所より起りぬべし。程伊川曰、只整齊嚴肅、則心便一、々則自無非辟之干といへり。整齊嚴肅の字は敬の一字を注せり。而していかなるをか整齊嚴肅と云とならば、威儀を正しくして、視聽言動に非禮のはたらきあらざる也。故に如正衣冠尊瞻視類と注す。すべて心性は內にして、身躰の動靜視聽の物にまじはるは是外也。內外は本一致にして不別。外其威儀正しきときは、內其德正し。外にみだるゝ處あれば、內必ず是に應ず。唯外の威儀を詳に究明して、其天則に相かなふが如く守らんには、心術の要自然に明なるべし。威儀は禮の形也。禮は毋不敬を以て本とす。威儀に志あらん輩、平生毋不敬の工夫あらんには、道更に遠かるべからざる也。
新字:ことに大丈夫君父につかへ、身を修むるの道、ともに敬せずと云ことなかるべし。聊も敬せざれば、数年のつとめ一時に棄て、父祖を耻しめ、君に耻を与ふ。是敬のゆるむ所より起りぬべし。程伊川曰、只整斉厳粛、則心便一、々則自無非辟之干といへり。整斉厳粛の字は敬の一字を注せり。而していかなるをか整斉厳粛と云とならば、威儀を正しくして、視聴言動に非礼のはたらきあらざる也。故に如正衣冠尊瞻視類と注す。すべて心性は内にして、身体の動静視聴の物にまじはるは是外也。内外は本一致にして不別。外其威儀正しきときは、内其徳正し。外にみだるゝ処あれば、内必ず是に応ず。唯外の威儀を詳に究明して、其天則に相かなふが如く守らんには、心術の要自然に明なるべし。威儀は礼の形也。礼は毋不敬を以て本とす。威儀に志あらん輩、平生毋不敬の工夫あらんには、道更に遠かるべからざる也。
書き下し
ことに大丈夫君父につかへ、身を修むるの道、ともに敬せずと云ことなかるべし。聊も敬せざれば、数年のつとめ一時に棄て、父祖を耻しめ、君に耻を与ふ。是敬のゆるむ所より起りぬべし。程伊川曰、只整斉厳粛、則心便一、々則自無非辟之干といへり。整斉厳粛の字は敬の一字を注せり。而していかなるをか整斉厳粛と云とならば、威儀を正しくして、視聴言動に非礼のはたらきあらざる也。故に如正衣冠尊瞻視類と注す。すべて心性は内にして、身体の動静視聴の物にまじはるは是外也。内外は本一致にして不別。外其威儀正しきときは、内其徳正し。外にみだるゝ処あれば、内必ず是に応ず。唯外の威儀を詳に究明して、其天則に相かなふが如く守らんには、心術の要自然に明なるべし。威儀は礼の形也。礼は毋不敬を以て本とす。威儀に志あらん輩、平生毋不敬の工夫あらんには、道更に遠かるべからざる也。
現代語訳
とりわけ男子が主君と父に仕え、身を修める道においては、どちらも敬しないということがあってはならない。少しでも敬しなければ、数年の勤めも一時に捨てることになり、父祖をはずかしめ、主君に恥を与える。これは敬がゆるむところから起こるのである。程伊川は「ただ整い斉い厳かに慎めば、心はそのまま一つになり、一つになれば自然に邪なものが入り込むことはない」と言った。整斉厳粛の字は、敬の一字を注釈したものである。そしてどのようなものを整斉厳粛というかといえば、威儀を正しくして、見聞言動に礼にはずれた働きがないことである。だから「衣冠を正し、まなざしを尊くする類のように」と注している。すべて心や性は内であり、身体の動き静まりや見聞が物に交わるのは外である。内と外はもともと一致して別のものではない。外の威儀が正しいときは、内の徳も正しい。外に乱れるところがあれば、内も必ずそれに応じる。ただ外の威儀を詳しく究め明らかにして、その天の決まりにかなうように守るならば、心術の要は自然に明らかになるであろう。威儀は礼の形である。礼は毋不敬を根本とする。威儀に志す者が平生毋不敬の工夫をするならば、道はまったく遠くないはずである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五或るひと曰く、程子の言に曰く、斉整厳粛なれば、則ち心便ち一なり、と。窃かに謂ふ、中心正しければ、則ち威儀の外に形はるる者も、亦自ら正し。是れ当然の理なり。夫れ心正しき者は本なり。威儀有る者は末なり。本は当に先にすべき所、末は当に後にすべき所なり。然るに程子の言は、却りて外貌を正すを以て先と為すべきに似たり。苟も先づ外貌に功を用ふれば、則ち中心自ら正しと言はば、恐らくは其の流弊、色荘の人と為るの患ひ有らん。奈何、と。予之に答へて曰く、中心を正すは、固より其の本なり。然れども中心は未だ形象有らざれば、則ち操持を做し難し。苟も外貌惰慢なれば、則ち中心も亦随ひて放縦なり。故に程子復曰く、未だ箕踞して心慢らざる者有らざるなり、と。是を以て学者の中心を正さんと欲する者は、必ず先づ当に外貌を整へ儀容を正して、以て其の心を維持すべし。然れども威儀は外に在りと雖も、其の威儀を敬慎する所以の者は内に在り。蓋し工夫此に至れば、則ち内外本末の間無く、其の持する所一のみ。是れ内外交相資くるの功のみ。其の外を専らにして其の内を遺るるの謂に非ざるなり。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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