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山鹿語類 / 士道・毋不敬

されば毋不敬、儼若思といへり。若思と云は、事物の上をゝろそかに不仕、常につゝしみおごそかにして、輕忽ならしめず、詳に慮り具に思ふべし。是禮に叶の本也と云へる心也。敬と云は、默して不云、形をちゞめて不動を云にあらず。事々にをいて踈んせず輕んせず、能く其理を究めはかるの謂也。踈にし輕ずるときは、怠り出來て心こゝに放失し、唯情欲にまかするのみ也。師尙父が武王に告げ奉りし丹書の言に曰、敬勝怠者吉、怠勝敬者滅と云へり。敬と怠とは相敵して、敬あるときは怠滅し、怠るときは敬滅す。怠滅するときは事物の理明に、威儀こゝに正し。故に吉也。敬滅する時は怠のみになりて、皆輕忽墮落のわざのみなれば、不待時して滅するに至りぬべし。

新字:されば毋不敬、儼若思といへり。若思と云は、事物の上をゝろそかに不仕、常につゝしみおごそかにして、軽忽ならしめず、詳に慮り具に思ふべし。是礼に叶の本也と云へる心也。敬と云は、黙して不云、形をちゞめて不動を云にあらず。事々にをいて疎んせず軽んせず、能く其理を究めはかるの謂也。疎にし軽ずるときは、怠り出来て心こゝに放失し、唯情欲にまかするのみ也。師尚父が武王に告げ奉りし丹書の言に曰、敬勝怠者吉、怠勝敬者滅と云へり。敬と怠とは相敵して、敬あるときは怠滅し、怠るときは敬滅す。怠滅するときは事物の理明に、威儀こゝに正し。故に吉也。敬滅する時は怠のみになりて、皆軽忽堕落のわざのみなれば、不待時して滅するに至りぬべし。

書き下し

されば毋不敬、儼若思といへり。若思と云は、事物の上をゝろそかに不仕、常につゝしみおごそかにして、軽忽ならしめず、詳に慮り具に思ふべし。是礼に叶の本也と云へる心也。敬と云は、黙して不云、形をちゞめて不動を云にあらず。事々にをいて疎んせず軽んせず、能く其理を究めはかるの謂也。疎にし軽ずるときは、怠り出来て心こゝに放失し、唯情欲にまかするのみ也。師尚父が武王に告げ奉りし丹書の言に曰、敬勝怠者吉、怠勝敬者滅と云へり。敬と怠とは相敵して、敬あるときは怠滅し、怠るときは敬滅す。怠滅するときは事物の理明に、威儀こゝに正し。故に吉也。敬滅する時は怠のみになりて、皆軽忽堕落のわざのみなれば、不待時して滅するに至りぬべし。

現代語訳

だから曲礼に「毋不敬、儼として思うが若(ごと)し」と言っている。「思うが若し」というのは、事物のことをおろそかにせず、常につつしみおごそかにして軽はずみにならないようにし、詳しく慮り細かく思うべきだ、これが礼にかなう根本であるという心である。敬というのは、黙って言わず、身を縮めて動かないことをいうのではない。事ごとにおいて疎かにせず軽んぜず、よくその理を究めて計ることをいうのである。疎かにし軽んじるときは、怠りが生じて心がここで放たれ失われ、ただ情欲にまかせるだけになる。師尚父(太公望)が武王に申し上げた丹書の言葉に「敬が怠に勝つ者は吉、怠が敬に勝つ者は滅ぶ」とある。敬と怠とは互いに敵対していて、敬があれば怠は滅び、怠れば敬が滅ぶ。怠が滅べば事物の理は明らかで、威儀はここに正しい。だから吉なのである。敬が滅べば怠ばかりになり、すべて軽はずみで堕落した仕業ばかりなので、時を待たずに滅ぶことになるであろう。

解説

敬の意味を説き明かす章句である。敬とは黙して動かぬことではなく、事ごとに疎かにせず軽んぜず理を究めて計ることだとする。宋学の持敬が静坐に傾きがちだったのに対し、素行は敬を事物に向かう能動的な慎重さとして読み直した。大戴礼記武王践阼篇に見える太公望の丹書の言「敬、怠に勝つ者は吉、怠、敬に勝つ者は滅ぶ」を引き、敬と怠を相敵するものとして示す。現代でも、仕事の失敗の多くは能力不足より、慣れからくる油断と手抜きから生まれるといえる。

この章句が説くこと

敬怠威儀丹書慎重士道

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