言志四録 / 言志後録 第百二十九条 経書を褻慢する勿れ
竺氏尊奉佛書。太好。爲我學者。郤或褻慢經書。可愧可戒。
新字:竺氏尊奉仏書。太好。為我学者。郤或褻慢経書。可愧可戒。
書き下し
竺氏の仏書を尊奉するは、太だ好し。我が学を為す者、却つて或は経書を褻慢す。愧づべく戒むべし。
現代語訳
仏教徒が仏典を尊び敬うのは、たいへん良いことだ。ところが我々儒学を学ぶ者が、かえって経書をなれなれしく侮ることがある。恥ずべきことであり、戒めねばならない。
解説
「竺氏」は天竺の教え、つまり仏教の徒を指します。儒者はしばしば仏教を批判しましたが、一斎はここで僧侶が経典を恭しく扱う姿勢を率直にほめ、それと比べて儒者自身が経書をぞんざいに扱うことがあるのを恥じています。「褻慢」は、慣れ親しむあまりなれなれしく侮ることです。毎日講義で扱う経書だからこそ、ありがたみを忘れ、書き込みをしたり放り出したりしがちだったのでしょう。昌平坂学問所で日々経書を講じた一斎自身への戒めとも読めます。慣れ親しんだ仕事の道具や基本の理念ほど、雑に扱ってしまうことがあります。他の分野の人の姿勢から学べることはないか、自分の足元を見直す材料になる一条です。
この章句が説くこと
敬経書慣れ自戒謙虚
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
-
『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
-
『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
-
『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
-
尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
-
『呻吟語』内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る