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山鹿語類 / 士道・毋不敬

師嘗て曰。格致を明にし、天地の大德に比し、聖學の源流を正さんとならば、敬身ざるときは、何を以て其要を可得。身を敬するの術、先威儀の則を正しくするにありぬべし。許文正公曰。威儀正于外。則敬身之大躰得矣といへり。爰に威儀の則何をか先にせんとならば、身にをいて視聽言動を非禮のために感動せしめざる、是威儀の要と可謂也。而威儀いかんして正しきとならば、曲禮曰、毋不敬と云、此三字を能く工夫するに可有也。凡そ禮は其本人心の不得止の處より出生して、事物の上に自然の節あつて、其文章嚴然としておかすべからず、斐然としてあやあるべき、是を禮といふ。身上の動靜悉く禮を用たれば、一動一靜一語一默、各禮節あり。禮節の本毋不敬の三字にきはまれり。其ゆへいかんとなれば、語默動靜の間に詳に思て、其節にあたらん事を計らば、不中と云とも不遠のことわり也。何の思ひはかる處なく、唯當座にまかせて是をいたし、情欲に從て發せしむるを以て、非禮の用多く、威儀こゝに廢しこゝに絕す。事物の間にをいて常に思を深くし詳に慮らば、各當然の則りに近かるべし。是を毋不敬と敎ゆる也。

新字:師嘗て曰。格致を明にし、天地の大徳に比し、聖学の源流を正さんとならば、敬身ざるときは、何を以て其要を可得。身を敬するの術、先威儀の則を正しくするにありぬべし。許文正公曰。威儀正于外。則敬身之大体得矣といへり。爰に威儀の則何をか先にせんとならば、身にをいて視聴言動を非礼のために感動せしめざる、是威儀の要と可謂也。而威儀いかんして正しきとならば、曲礼曰、毋不敬と云、此三字を能く工夫するに可有也。凡そ礼は其本人心の不得止の処より出生して、事物の上に自然の節あつて、其文章厳然としておかすべからず、斐然としてあやあるべき、是を礼といふ。身上の動静悉く礼を用たれば、一動一静一語一黙、各礼節あり。礼節の本毋不敬の三字にきはまれり。其ゆへいかんとなれば、語黙動静の間に詳に思て、其節にあたらん事を計らば、不中と云とも不遠のことわり也。何の思ひはかる処なく、唯当座にまかせて是をいたし、情欲に従て発せしむるを以て、非礼の用多く、威儀こゝに廃しこゝに絶す。事物の間にをいて常に思を深くし詳に慮らば、各当然の則りに近かるべし。是を毋不敬と教ゆる也。

書き下し

師嘗て曰。格致を明にし、天地の大徳に比し、聖学の源流を正さんとならば、敬身ざるときは、何を以て其要を可得。身を敬するの術、先威儀の則を正しくするにありぬべし。許文正公曰。威儀正于外。則敬身之大体得矣といへり。爰に威儀の則何をか先にせんとならば、身にをいて視聴言動を非礼のために感動せしめざる、是威儀の要と可謂也。而威儀いかんして正しきとならば、曲礼曰、毋不敬と云、此三字を能く工夫するに可有也。凡そ礼は其本人心の不得止の処より出生して、事物の上に自然の節あつて、其文章厳然としておかすべからず、斐然としてあやあるべき、是を礼といふ。身上の動静悉く礼を用たれば、一動一静一語一黙、各礼節あり。礼節の本毋不敬の三字にきはまれり。其ゆへいかんとなれば、語黙動静の間に詳に思て、其節にあたらん事を計らば、不中と云とも不遠のことわり也。何の思ひはかる処なく、唯当座にまかせて是をいたし、情欲に従て発せしむるを以て、非礼の用多く、威儀こゝに廃しこゝに絶す。事物の間にをいて常に思を深くし詳に慮らば、各当然の則りに近かるべし。是を毋不敬と教ゆる也。

現代語訳

先生はかつてこう言われた。物の理を究め知を致すことを明らかにし、天地の大徳に並び、聖人の学の源流を正そうとするならば、身を敬しないときは、どうしてその要を得られようか。身を敬する術は、まず威儀の決まりを正しくすることにあるはずだ。許文正公(許衡)は「威儀が外に正しければ、身を敬することの大体が得られる」と言った。ここで威儀の決まりは何を先にするかといえば、身において見ること・聞くこと・言うこと・動くことを、礼にはずれたことのために動かされないようにする、これが威儀の要というべきである。では威儀はどうすれば正しくなるかといえば、曲礼に「敬せざることなかれ(毋不敬)」とある、この三字をよく工夫することにある。およそ礼は、その根本が人の心のやむにやまれぬところから生まれ、事物の上に自然の節度があって、その姿はおごそかで犯すことができず、はっきりと文(あや)がある、これを礼という。身の動き静まりのすべてに礼を用いれば、一つの動き、一つの静まり、一言、一つの沈黙に、それぞれ礼節がある。礼節の根本は「毋不敬」の三字に極まる。それはなぜかといえば、語ること黙ること動くこと静まることの間に詳しく思って、その節度にかなうことを計れば、的中しなくても遠くはないという道理だからである。何も思い計るところがなく、ただその場まかせで行い、情欲に従って発するので、礼にはずれた働きが多く、威儀はすたれ絶えてしまう。事物の間で常に思いを深くし、詳しく慮るならば、それぞれ当然の決まりに近くなるであろう。これを「毋不敬」と教えるのである。

解説

身を敬する術を威儀に求め、その根本を礼記曲礼の冒頭「毋不敬」の三字に置く章句である。元の許衡の言葉を引き、外の威儀が正しければ敬身の大体が得られるとする。礼を人心のやむにやまれぬところから生まれる自然の節度と定義し、一動一静一語一黙に礼節があると説く。素行の威儀論は、立ち居振る舞いを整えることで心を正すという外から内への順序をとり、のちの武士の作法観に大きな影響を与えた。現代でも、身なりや言葉遣いを整えることが心の構えを整える入口になる。

この章句が説くこと

敬威儀礼毋不敬曲礼修身

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