導師導古典を学びたいすべての人に

言志四録 / 言志後録 第二十二条 真敬と贋敬

心存中和。則體自安舒。即敬也。故心廣體胖。敬也。徽柔懿恭。敬也。申申夭夭。敬也。彼視敬若桎梏徽纒然者。是贋敬。非眞敬。

新字:心存中和。則体自安舒。即敬也。故心広体胖。敬也。徽柔懿恭。敬也。申申夭夭。敬也。彼視敬若桎梏徽纒然者。是贋敬。非真敬。

書き下し

心に中和を存すれば、則ち体自ら安舒なり。即ち敬なり。故に心広く体胖かなるは、敬なり。徽柔懿恭は、敬なり。申申夭夭は、敬なり。彼の敬を視ること桎梏徽纏の若く然る者は、是れ贋敬にして、真敬に非ず。

現代語訳

心に中和(偏らず調和した状態)を保っていれば、身体もおのずとゆったりと伸びやかになる。それがすなわち敬である。だから、心が広く体がのびのびしているのは、敬である。穏やかで柔らかく、立派で恭しいのは、敬である。くつろいでのびやかなさまも、敬である。敬を手かせ足かせや縄でしばられるようなものと見なす者の敬は、にせの敬であって、本当の敬ではない。

解説

「敬」を窮屈な緊張と取り違えるな、という条です。一斎は、本当の敬とは心が偏らず調和していて、その結果として体もゆったりしている状態だと言います。例に引く「心広く体胖か」は『大学』、「徽柔懿恭」は『書経』無逸篇で文王の人柄を表す言葉、「申申夭夭」は『論語』述而篇で孔子のくつろいだ様子を描いた言葉です。どれも堅苦しさとは逆の姿ですが、一斎はそれこそが敬だとします。朱子学の敬がしばしば謹厳一辺倒に受け取られたことへの反論とも読めます。前の条で過ちは不敬に生ずると説いたことの補いでもあるでしょう。張り詰めることと集中することは違います。のびやかさを保ったまま慎むとはどういうことかを考えさせる一条です。

この章句が説くこと

敬中和修養ゆとり集中

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る