山鹿語類 / 士道・自戒
師曰。大丈夫常に自省て、其氣質のおくれたる處を考へ、我好惡の癖する處をはかつて、自戒めて其後るゝに鞭うつべき也。曾子は孔門の高弟にして、一貫を唯すといへども、猶日に三省の戒あり。仲由は己が過ちを聞ことを喜ぶ。各自戒しむるの謂也。後儒家訓をしるして、其戒たゞすべき處をしるす。是則自省の謂也。凡天下の事、其なる處堅く、其起る處詳也と云へども、改めたゞさず省ること不明ときは、必ず弊あつて、これを賴むときは失乃ち生ず。是時をへて破るゝことあり。ついゆることあり。故に其事物を致し初むるの節、詳に究理して其事物を全からしむると云とも、時を考へ節をつもりて、度々是を省りみ察して其弊を改、其時にあはざることをつくろひ變ぜしむるが如くに不仕しては、終りを全くすること不可有也。
新字:師曰。大丈夫常に自省て、其気質のおくれたる処を考へ、我好悪の癖する処をはかつて、自戒めて其後るゝに鞭うつべき也。曽子は孔門の高弟にして、一貫を唯すといへども、猶日に三省の戒あり。仲由は己が過ちを聞ことを喜ぶ。各自戒しむるの謂也。後儒家訓をしるして、其戒たゞすべき処をしるす。是則自省の謂也。凡天下の事、其なる処堅く、其起る処詳也と云へども、改めたゞさず省ること不明ときは、必ず弊あつて、これを頼むときは失乃ち生ず。是時をへて破るゝことあり。ついゆることあり。故に其事物を致し初むるの節、詳に究理して其事物を全からしむると云とも、時を考へ節をつもりて、度々是を省りみ察して其弊を改、其時にあはざることをつくろひ変ぜしむるが如くに不仕しては、終りを全くすること不可有也。
書き下し
師曰。大丈夫常に自省て、其気質のおくれたる処を考へ、我好悪の癖する処をはかつて、自戒めて其後るゝに鞭うつべき也。曽子は孔門の高弟にして、一貫を唯すといへども、猶日に三省の戒あり。仲由は己が過ちを聞ことを喜ぶ。各自戒しむるの謂也。後儒家訓をしるして、其戒たゞすべき処をしるす。是則自省の謂也。凡天下の事、其なる処堅く、其起る処詳也と云へども、改めたゞさず省ること不明ときは、必ず弊あつて、これを頼むときは失乃ち生ず。是時をへて破るゝことあり。ついゆることあり。故に其事物を致し初むるの節、詳に究理して其事物を全からしむると云とも、時を考へ節をつもりて、度々是を省りみ察して其弊を改、其時にあはざることをつくろひ変ぜしむるが如くに不仕しては、終りを全くすること不可有也。
現代語訳
先生はこう言われた。男子は常に自ら省みて、自分の気質の劣っているところを考え、自分の好き嫌いが癖になっているところを見積もって、自ら戒め、その遅れているところに鞭打つべきである。曾子は孔子門下の高弟で、「一以て貫く」という教えに「はい」と即座に答えたほどであったが、なお日に三たび自分を省みる戒めがあった。仲由(子路)は自分の過ちを聞くことを喜んだ。どちらも自ら戒めることをいうのである。後の儒者は家訓を記して、その戒め正すべきところを書いた。これがすなわち自省ということである。およそ天下の事は、その成り立ちが堅く、その起こりが詳しくても、改め正さず省みることが明らかでなければ、必ず弊害が生じ、それに頼るときは失敗がすぐに生まれる。こうして時を経て破れることがあり、崩れることがある。だから事物を始める時に詳しく理を究めて完全なものにしたとしても、時を考え節目を見積もって、たびたびこれを省み察してその弊害を改め、時に合わないところを繕い変えるようにしなければ、終わりを全うすることはできない。
解説
この章句が説くこと
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